2016/12/31

荒川線7700形(7706号)

東京都電荒川線の7700形電車は、7701.7702号が緑、7703~7705号が青、7706~7708号がえんじ色という3種類のカラーリングを採用しています。私は今回えんじ色を初めて実見しましたが、非常に新鮮だと感じました。
屋根近くのアイボリーと、床下機器・屋上機器のグレーがうまくえんじ色を引き立てていると感じました。緑も青もいいですが、えんじ色がピカイチではないかと思います。路面電車の塗装としては優れていると思います。
モータリゼーションを背景とした路面電車の大量廃止を受けて、車両の新製もほぼ途絶えていた昭和50年代に颯爽と登場した荒川線7000形更新車も、荒川線7700形・豊橋鉄道3500形として当分は活躍を見られそうです。
写真の7706号は、2016年11月27日に営業運転を開始しました。1978年2月に7078号を車体更新し、2016年8月に廃車となった7024号の車体・冷房装置などを再利用しています。7706号の整備は京王重機北野事業所で行われました。
【撮影:佐野次郎 2016.12.30 王子駅前ー飛鳥山間】

2016/12/30

荒川線7700形(7702号)

今日は本年の撮り収めということで、都電荒川線の撮影に出かけてきました。横浜ー上野間を上野東京ラインを利用することで、移動時間を短縮するつもりでしたが、遅れが出ているとのことで結局京浜東北線を通しで利用し、王子に向かいました。
私も2014年の後半からめっきりと撮り鉄に出かける回数が減ってしまいましたが、ようやく今年の9月頃から月2~3回は出かけるペースを掴んできました。来年もぜひ継続したいものです。ただし、カメラ・レンズなど機材の新規投入はしないと思います。
都電荒川線も、7000形が激減し、8900形・7700形が登場したことにより、ますますカラーバリエーションが豊かになったようです。特に7700形は、7000形の車体を再利用しているので、新鮮さと懐かしさが同居しているうれしい電車であります。
写真の7702号は、旧7026号を2016年3月に改造したものです。車体は前述のように再利用していますが、車内設備・走行機器は最新の8900形と同等にグレードアップされています。鉄道車両におけるリフォームというかリノベーションのような形式といえそうです。
【撮影:佐野次郎 2016.12.30 王子駅前ー飛鳥山間】

2016/12/29

205系(ケヨ25編成)

東京ー蘇我間を結ぶ京葉線は、1990年3月に東京ー新木場間が開業したことにより、全線が開業しました。それまでは他線区から転用した103系を使用していましたが、全線開業時には205系120両(10両編成12本)が新製投入されました。
その後、京葉線の205系は、中央・総武緩行線や山手線からの転用車両が加わり、最盛期には190両(10両編成19本)が使用されていました。E233系5000番台にも継承されている赤14号の車体色は京葉線のオリジナルカラーとなっております。
205系はイニシャルコストの低減に重点を置いて設計された電車でしたが、車内は明るく座席の奥行きもあり、利用する分にはなかなか快適な電車でした。京葉線ではE233系5000番代の投入により2011年7月に運転を終了しました。
写真のケヨ25編成は、1985年2月に205系の量産先行車の第二編成として日立製作所で完成し、品川電車区に新製配置されました。2005年9月に京葉電車区に転属し、ケヨ25編成となりました。2011年3月に廃車されましたが、3連に短縮されて2012年1月に富士急行6000系として再デビューしました。

2016/12/22

京浜急行電鉄600形(655編成)

京浜急行600形といえば、1994年から96年にかけて88両が製造されましたが、腰掛がクロスシートであることが特徴でした。これは通勤時間を少しでも快適にしようという考え方に基づくものでした。
首都圏の激しい混雑の中では、クロスシートが本当に快適なのかどうか意見の分かれるところであるとは思います。2004年から扉間の腰掛をロングシートに換装する工事が始められました。
そうなると新1000形のアルミ製車体のグループとほぼ同様の電車だということになりそうです。京急の電車は、ロングシートでも奥行きがあってしっかりしていますから、なかなか座り心地は快適です。
写真の655編成は、1996年5月に東急車輌で完成したものです。600形としては最終の4次車に相当します。2014年3月に京急ファインテックで、車体更新・ロングシート化改造を施行しております。

2016/12/17

荒川線8900形(8906号)

都電荒川線の最新型車両である8900形のうち、8905号と8906号の2両の塗装は、ローズレッドとなっています。都電でも8800形以降、カラーバリエーションを取り入れたり、広告をラッピングすることを当初から考えていたりと新しい発想を取り入れていますね。
それにしても、31両が改造された7000形の代替となる8800形が8両、7000形の車体を再利用する7700形が8両、その他8500形が5両、9000形が2両を加えても、23両になります。6000形や7500形の代替まで考慮に入れると、車両数は明らかに減少しております。
というのも、荒川線には1976年の時点で1日あたり9万人いた利用者が、2014年には4万6千人まで減少しているのです。沿線にあった大規模な工場の移転や他の交通機関の整備など、さまざまな要因があるのでしょう。
写真の8906号は、2016年3月にアルナ車両で完成したものです。8900形は基本設計は8800形を踏襲していますが、丸みを帯びた8800形とは異なり、直線基調のスッキリとしたデザインを採用しております。
【撮影:佐野次郎 2016.10.10 荒川車庫前】

2016/12/16

東京都交通局8900形(8903号)

東京都電荒川線の最新型車両である8900形は、前回の8800形に続いて車体塗装にカラーバリエーションを取り入れており、オレンジ・ブルー・ローズレッド・イエローの4種類の配色を設定しております。
現在の荒川線は、8800形・8900形のほか、7000形・7700形・8500形・9000形が在籍しておりますので、実に多様な車体塗装が見られるというわけですね。
恒久的な存続が決定してから、荒川線は7000形・7500形の更新車が主力という状況が長く続きましたが、7000形・7500形の更新によって大きくラインナップを代えております。末永く現役の交通機関として継続してほしいものです。
写真の8903号は2015年12月にアルナ車両で完成したものです。8900形の角ばったスタイルは、車両の性格はかなり異なりますが、かつての8000形を連想させます。

2016/12/09

京浜急行1000形(1169編成)

2002年に最初の車両が営業運転入りした新1000形ですが、既に15年増備が継続され、先代と同様、京急の電車といえば、たいてい1000形がやってくるという大勢力となっています。早いもので、車体がステンレス製となった6次車の登場からも10年となります。
先代1000形と比べますと、新1000形はデザイン・内装がずいぶんと進歩したような感じがします。省エネルギー化も進んでいることでしょう。反面、走りにおけるスピード感は先代の方が強く感じられました。
実際には、120km運転が可能な新1000形の方が速いのですが、乗車している時のスピード感は先代1000形の方が凄かったです。電車の性能を、ぎりぎりまで引き出して走っているように思えたのです。
写真の1169編成は、2014年6月に総合車輌製作所横浜事業所で完成したもので、新1000形の14次車に相当します。入れ替わりに2000形の2021編成が、2000形の8連では初めての廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 2016.11.26 能見台ー金沢文庫間】

2016/12/04

京浜急行電鉄1000形(1809編成)

京浜急行といえば、「赤い電車」というイメージが定着しています。その代表選手ともいうべき先代1000形は、細かなバリエーションこそありましたが、一見して差異がわかるようなものではありませんでした。
新1000形は、数の上では先代1000形をすでに凌駕しておりますが、同一形式ながら様々な差異があって楽しいですね。1800番台は顔つきが変わって、正面がフラットな感じなので新鮮です。貫通扉の設置による変化ですね。
600形・2100形・新1000形によって、「ニュー赤い電車」のスタイルが確立されたかと思いましたが、新1000形の車体がアルミ製からステンレス製に移行したことにより、ちょっとわからなくなってきました。
写真の1809編成は、2016年10月に総合車輌製作所横浜事業所で完成したもので、新1000形の16次車に相当します。側面を赤と幅広の白で表現するのは、マイナーチェンジした6両編成の1600番台にも採用されていますね。

2016/12/03

京浜急行電鉄2000形(2031編成)

京浜急行2000形電車は、1982年から87年にかけて先代600形に代わる快速特急用車両として、8両編成と4両編成が6本ずつ、合計72両が製造されました。既に4両編成はすべて引退し、8両編成5本40両が運用に就いております。
製造当初は2扉・クロスシートで、2100形とは異なり転換クロスシートではなく、中央で向きが異なる集団見合い式という固定式のクロスシートでした。転換クロスシートの採用も検討されましたが、コストと重量の点から見送りとなったそうです。
1998年から2000年にかけて、2100形に快特運用を譲り、3扉・ロングシートに改造され、塗装もアイボリーの部分が細い現行の塗装に改められました。車端部にだけ、クロスシートが残されています。2010年のエアポート急行の新設までは、8両編成は日中の運用には入っていませんでした。
写真の2031編成は、1984年5月に川崎重工で完成したもので、2000形の2次車に相当します。1999年8月に久里浜工場で3扉・一般車化改造を受けております。主に羽田空港ー新逗子間のエアポート急行で走っています。

2016/11/27

京浜急行1000形(1057編成)

京浜急行1000形の1057編成は、2014年5月に黄色に塗装変更され、「しあわせの黄色い電車(KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN)」として走っています。
この黄色い塗装は、西武鉄道の2000系や9000系によく似た印象を受けます。まためったに見かけることのない京急の電動貨車のイメージにも通じます。
赤主体の京急では、青の2133編成・606編成同様に目立つ存在で、いままで何度も目撃しながら撮影はできていませんでした。そのうち撮れるだろうと思っていたら、撮影自体が減っていたのです。
写真の1057編成は、2005年8月に東急車輌で完成したもので、新1000形では4次車に相当します。前後の種別・行先表示がフルカラーLED式に変更されました。
【撮影:佐野次郎 2016.11.20 能見台ー金沢文庫間】

2016/11/26

京浜急行1000形(1367編成)

私は1985年から88年にかけて、高校の通学に杉田ー京浜富岡(当時)の一駅だけ京浜急行を利用していましたが、その頃は先代1000形がほとんどで、800形をそこそこよく見かけ、あとは先代600形、2000形をたまに見かけ、700形、1500形をときどき見かけたり利用したりという感じでした。
今では、新1000形が主力の座を占めておりますが、車体の材質や、貫通扉の位置などわかりやすい差異の他、こまかな仕様の差もあり、先代以上にバリエーション豊かな系列となっていますね。似たような車両に統一されがちな現在では珍しい展開です。
新1000形には、4両・6両・8両編成がありますが、6両編成は主に800形の代替として増備が進行しております。普通とエアポート急行に運用されますが、他編成と併結することがないので、4両・8両編成にある電気連結器は装備していませんね。6両編成だけでも84両になりますから、72両まで減勢した800形よりも多数を占めております。
写真の1367編成は、2015年12月に川崎重工で完成したもので、新1000形の15次車となります。主電動機に東京メトロ1000系などで採用されているPMSM(永久磁石同期電動機)を採用し、更なる省電力化を図っています。
【撮影:佐野次郎 2016.11.26 能見台ー金沢文庫間】

京浜急行電鉄2100形(2133編成)

私佐野次郎は、一昨年の8月に結婚してから、めっきりと撮り鉄に出動する回数が減ってしまいました。ようやくこのところ撮り鉄への出動が回復しつつあります。
とはいうものの出動は横浜市内が中心になります。しかも近場で撮影時間も短めとなります。帰りには、近所のスーパーで食料品を買って帰るのが恒例となっております。
赤が標準塗装である京急において、KEIKYU BLUE SKY TRAINはやはり目を引きますね。少しずつラッピングが変化していくのも楽しいです。撮影時には、京急百貨店20周年のラッピングを施していました。
写真の2133編成は1998年10月に東急車輛で完成したもので、2100形の2次車に相当します。2015年3月に京急ファインテック久里浜事業所で、更新工事とVVVF機器の換装工事を併せて完了しています。

2016/11/20

京浜急行1000形(1801編成)

京浜急行の主力車両である新1000形ですが、15次車で正面貫通扉を設け、京急線内運用から都営浅草線直通列車まで、様々な運用に対応できる4両編成の1800番台が登場しました。標準化が進む近年の鉄道車両では珍しい展開だと思います。
外観では、正面貫通扉の他、アイボリーの部分を増やしたラッピングが目を引きます。ステンレス製の車体でありながら、ステンレスの銀色はずいぶんと少なくなっていますね。このデザインは最新の1600番台にも取り入れられています。
1800番台は、つい最近復活した快特の増結車にもさっそく使用されております。4両編成単独での運用のほか、2編成を併結して幌を取り付け都営浅草線直通列車に使用されています。大師線にも入ったそうです。
写真の1801編成は、2016年3月に総合車輌製作所横浜事業所で完成したものです。同時に1805編成が完成したことにより、入れ替わりに同数の2000形の4両編成が(2441編成・2461編成)が廃車になりました。
【撮影:佐野次郎 2016.11.20 金沢文庫ー能見台間】

2016/11/19

京浜急行1500形(1577編成)

京浜急行では、1985年に第一陣が登場して以来、現在に至るまで中堅として活躍しているのが1500形です。4連・6連・8連の各グループが存在します。
現在、6連に組成されているグループは、アルミ車体・界磁チョッパ制御で新製されたものです。6連で新製された車両もあれば、8連で新製されてから6連に変更された編成もあります。中には1561編成(旧1601編成)のように6連→8連→6連に変更された編成もあります。
写真の1577編成は、旧1625編成を2016年8月に改番したものです。1600番台から最後に改番された編成ということになります。
1625編成は、1989年3月に東急車輌で完成したもので当初は8両編成・界磁チョッパ制御でした。2009年2月に京急ファインテック久里浜工場で、VVVFインバータ制御化・6連への組み換えを行いました。旧1600番台では最後まで残った8両編成でした。
【撮影:佐野次郎 2016.10.29 屏風浦駅】

2016/11/13

京浜急行電鉄800形(821編成)

首都圏では非常に珍しい片開きのドアを持つ京浜急行800形電車も、廃車が進んでおります。823編成がオリジナル塗装を復元しましたので、より注目を集めることでしょう。
800形電車は、1978年から86年にかけて132両が製造されました。都営地下鉄浅草線への直通を考慮していない京急線内専用・4扉という車両です。
現在では普通列車専用になっており、空港線や大師線には入りません。エアポート急行が運転されるようになってからは逗子線にもほとんど乗り入れることがなくなっています。
写真の821編成は、1981年4月に東急車輌で完成したものです。当初は3両編成でしたが、1982年3月に東急車輌で完成した中間車3両を増結して6両編成になっています。
【撮影:佐野次郎 2016.10.29 屏風浦駅】

2016/11/06

相模鉄道7000系(7754F)

首都圏でも数少なくなった新線建設プロジェクトである相鉄・JR/東急線接続事業ですが、着々と工事が進められております。特に西谷駅周辺では変化が大きいですね。
私個人としては、お気に入りの撮影地であった西谷第二踏切がなくなってしまったのが残念なところです。緩やかなカーブできれいな編成写真の撮れる良い撮影地だったのですが。
とはいえ直通工事が完成すれば、都心まで直通できる訳ですから相鉄の利便性は大きく高まるでしょうね。現在より複雑になると思われるダイヤがどうなるかも楽しみです。
写真の7754Fは、1989年6月に日立製作所で完成したもので、7000系の15次車に相当します。横浜開港150周年を記念した「走れ!みんなの横浜号」のラッピングを施していた姿の記録です。
【撮影:佐野次郎 2009.8.12 天王町駅】

2016/11/04

千代田線6000系(6121F)

東京メトロでは、副都心線の全通によって新線建設にはいったん区切りをつけて、既存路線での車両の取り換えを急ピッチで進めています。
千代田線でも16000系の新製が進んでおりますね。すでに230両が揃い、廃車が進んでいる6000系よりも多くなっています。
6000系といえば、国鉄の103系と同時期に新製された電車ですが、大胆なデザインと高性能な走行機器により、長期間の使用に十分耐えうる素晴らしい電車ですね。
写真の6121Fは、1977年9月に日本車輛で完成したもので6000系の3次車に相当します。冷房改造、VVVFインバータ制御への改造をうけております。今のところ現役車両です。
【撮影:佐野次郎 2010.5.3 百合ヶ丘-読売ランド前間】

2016/11/03

広島電鉄3000形(3005ABC)

私は、鉄道ピクトリアル誌を愛読しておりまして、毎年の増刊号である鉄道車両年鑑(2001年版までは新車年鑑)を特に楽しみにしております。1986年版から購入しておりまして、1997.1999年版を除いて毎年購入しました。
撮影と鉄道車両年鑑の購読を続けておりますと当然のことではありますが、既に撮影した車輌の廃車の報に接することになります。2016年版には写真の広島電鉄3000形3005号の、2015年7月13日付けでの廃車が記載されておりました。
広島電鉄での廃車後は、なんと商社を経由してミャンマーに渡り、2006年1月に電化開業したヤンゴン臨港地区の路面電車に使用されました。残念ながら列車の運転本数はわずか3往復で利用も伸びなかったことから7月から運行は休止になっております。
3005号は、西鉄福岡市内線1100形として1954年7月に汽車会社で完成したものです。1981年1月に広島電鉄3000形3005号に改造されました。同年8月には冷房改造が行われました。改造当初は宮島線の直通運転に使用されていましたが、のちに市内線用になっていました。
【撮影:佐野次郎 2013.9.12 的場町ー猿候橋町間】

2016/10/30

荒川線8900形(8901号)

更新時期を迎えた都電荒川線7000形の置き換え用として、2015年から16年にかけて8900形8両が導入されました。2009年から2010年にかけて7500形の代替として10両が導入された8800形の改良型に相当します。
基本的な設計は8800形を踏襲して側面の窓やドアの配置も変わっていませんが、丸みを帯びた8800形とは異なり、直線基調で角ばったデザインになりました。ヘッドライトとテールライトも角型のものになっております。
走行機器は8800形と同様にVVVFインバータ制御ですが、ブレーキ装置とSIVが小型化できたため、8800形では屋根上にあったSIVを床下に艤装し、車両の重心を低くしたことにより安全性が増しております。
写真の8901号は、2015年9月にアルナ車両で完成したものです。私も撮影に出ることが随分と減っていたものですから、当ブログでも久々の新型車両の登場となりました。
【撮影:佐野次郎 2016.10.10 滝野川一丁目ー飛鳥山間】

2016/10/29

荒川線7000形(7022号)

都電荒川線7000形の7022号は、2005年6月から車体更新・ワンマン化当時の黄色に青帯の塗装に復元されています。同時にスノープラウを取り付けて、積雪時に除雪作業に使用できるように工事を施されたそうです。
都電荒川線のワンマン化は、1977年10月と1978年4月の二段階に分けて実施されました。過渡期にはワンマンカーと車掌の乗務するツーマンカーか混在したほか、7000形の車体更新による車両不足を補うために6000形が多く営業運転に就いていました。
7000形の車体更新・ワンマン化は、1977年11月から78年3月にかけて31両に実施されました。アルナ工機で車体を新製し、台車・走行機器を7000形から流用しました。当時としては斬新なデザインで、1978年には鉄道友の会ローレル賞を受賞しています。
写真の7022号は、7076号を1978年1月に車体更新したものです。1990年3月には冷房改造を受けております。集電装置はビューゲル→菱形パンタ→シングルアーム式パンタ→菱形パンタと変更されています。
【撮影:佐野次郎 2016.10.10 滝野川一丁目-飛鳥山間】

荒川線7000形(7003号)

都電荒川線の主力車両として、長く活躍してきた7000形ですが、2015年から8900形、2016年から7700形が投入され、荒川線での活躍に終焉を迎えようとしています。
現在の塗装になったのは、1986年から25両を対象に施行された冷房改造時点からになります。冷房改造の対象から外れた6両は、1991年から93年にかけて廃車となっています。そのうち7009号と7028号は、豊橋鉄道に譲渡されて3500形となっています。
2000年からは老朽化が進んできた車体を中心に更新工事を行っており、行先表示をLEDに変更し、ワンマン表示窓を廃止して行先表示に統合しています。また車外スピーカの交換、車内放送・案内装置の更新、内装張り替えなどが行われました。
写真の7003号は、旧7057号を1978年2月にアルナ工機で車体更新したものです。1991年3月には冷房改造を行っています。
【撮影:佐野次郎 2016.10.10 滝野川一丁目-飛鳥山間】

2016/10/15

荒川線7700形(7704号)

東京都交通局では、都電荒川線の7000形の置き換え用として、8900形8両を新造するとともに、7000形の車体を再利用して、8900形と同等の走行機器を装備する7700形8両の導入を進めています。
車体の配色は最初の2両がみどりで、その後、あお、えんじがそれぞれ3両ずつデビューすることになっています。スタイルは7000形そのものですが、濃い色がベースになっているので、印象はずいぶんと異なります。
7700形への改造には、1両あたり一億三千万円かかるそうですね。ちなみに8900形1両の新造には、一億八千万円が必要だそうです。8両を8900形の新造から7700形への改造に変更することで四億円のコストダウンができたということでしょうか。いかにも現代的ですね。
写真の7704号は、2016年8月に営業運転を開始しました。元の車号が7015号になります。7015号が1977年12月に車体を更新した際の、元の車号は7069号になります。3つの車号を名乗る電車というのも何だか凄いですね。
【撮影:佐野次郎 2016.10.10 滝野川一丁目ー飛鳥山間】

2016/10/10

荒川線7700形(7701号)

東京都交通局は、7000形の更新にあたって、8900形の新製に加えて、7000形の車体を再利用した7700形8両を導入しました。「クラシックモダン調」のカラーリングに装いを改めてはいますが、7000形の雰囲気はそのままですね。
走行機器は8900形に準じたものに一新され、最新鋭のIGBT素子を採用したVVVFインバータ制御を装備しています。台車も8900形と共通のFS91Cです。8900形と機器を共通化することで、操作性と保守性の向上を図っているそうですね。
車体は再利用していますが、乗車口の幅をを900mmから1.000mmに拡大して、乗客が通りやすくしています。その他、車内表示器を設置したり、LED照明を採用して省エネ化を図ったりと、現代にあわせた車内設備になっています。
写真の7701号は、2016年3月に7007号から改造されたものです。オリジナルの7000形の時代から考えると、約60年走っていることになります。新しい命を吹き込まれてまだまだ走るわけですから、素晴らしい資源の有効利用ですね。
                        【撮影:佐野次郎 2016.10.10 滝野川一丁目ー飛鳥山間】

2016/09/17

EF65形1000番代(1089号)

EF65形電気機関車は、EF60形に続く平坦路線における直流電気機関車の標準形式として、1965年から79年にかけて国鉄の電気機関車としては最多の308両が製造されました。EF60形の弱点であった高速性能を改善し、高速性能と牽引力の両立を図っています。
貨物列車牽引用の標準型の他、ブルートレインの牽引を目的とした500番台(P形)、高速貨物列車の牽引を目的とした500番台(F形)、F形を基本として貫通扉を設け、耐寒耐雪設備を付加した1000番台(PF形)などバリエーションがあります。
私としては、P形・PF形が身近に感じられます。最寄り路線である根岸線で貨物列車の牽引に活躍する姿をよく見たからです。すでにP形は引退し、PF形もEF210形に押されてあまり見かけなくなりましたが。
写真の1089号機は、1977年11月に川崎重工・富士電機で完成したもので、PF形としては首都圏の旧型電機の置き換えに充当された6次車に属します。新製以来、新鶴見機関区に配置されていますが、2006年3月に更新修繕、2012年5月に2089号機への改番を実施しています。
【撮影:佐野次郎 2010.4.13 南武支線八丁畷駅】

2016/09/10

京浜急行1500形(1513編成)

京浜急行1500形は、先代1000形の後継として導入された都営地下鉄・京成電鉄・北総線乗り入れ対応車両で、1985年から1993年にかけて166両が製造されました。
先代1000形や現1000形がやや丸みを帯びた印象の車両であるのに対して、1500形には角ばった印象があります。
ちょうど技術の過渡期に製造されたため、車体は普通鋼製とアルミ製、制御方式も界磁チョッパとVVVFインバータ制御が混在しております。
写真の1513編成は、1986年7月に川崎重工で完成したもので、鋼製車体・界磁チョッパ制御と初期型のグループに属します。2001年12月に京急ファインテックで更新修繕を施行して、初期型の特徴であった戸袋窓を埋めています。
【撮影:佐野次郎 2016.9.4 屏風ヶ浦駅】

2016/09/04

京浜急行1000形(1361編成)

本日私こと佐野次郎は、2016年になってから初めて撮り鉄に出かけてきました。といいましても、近場の京浜急行電鉄屏風ヶ浦駅での駅撮りです。短い時間で効率よく、多くの編成の記録を撮影するのが目的であります。
昨年12月末以来、久しぶりに京急を撮影して感じたことは、800形がずいぶんと少なくなったことですね。以前、京急の普通は800形と1500形が大勢を占め、それに1000形と2000形が加わるような印象を持っていました。今では1500形と1000形がほとんどですね。
800形も半数近くまで廃車が進み、2000形も8連にまで廃車が波及してきました。今年から来年にかけて1000形1800番台の増備により、さらに両者の廃車も進むことでしょう。
写真の1000形1361編成は、2015年4月に総合車両製作所横浜事業所で完成したものです。1000形も今や6連の1300番台だけで12編成72両となり、先代1000形同様の勢力となっていますね。
【撮影:佐野次郎 2016.9.4 屏風ヶ浦駅】

2016/07/17

カルボナーラ

独身の頃は、ほとんど外食か中食で、料理は細々とやっておりましたが、結婚してからは家で料理を作る機会も増えました。
その反面、撮り鉄は休眠状態が続いております。昨年の大晦日を最後に、出動を怠っている次第です。それでも鉄道ピクトリアル誌は毎号購入し、鉄道書も厳選しながら購入を続けております。
料理をけっこうするのは、外食に比べると格段に安価なこともありますが、何よりも楽しいからです。段取りを考えて、思い通りに仕上がった時の喜びは、鉄道趣味に通じるものがあります。
カルボナーラは、火にかけすぎるとすぐに卵が固まってしまいます。火をかけては、すぐに火から外してかきまぜるの繰り返し、で卵料理のカルボナーラになります。といいましても、落合務さんの「パーフェクト・レシピ」という本の通りに作っているだけなのですが。

2016/05/04

変貌する品川駅

昨年の3月に上野東京ラインが開業した品川駅界隈ですが、気が付いてみれば激変というしかない変貌ぶりであります。今後も車両基地跡の再開発やリニア新幹線の建設などで大きく姿を変えていくことでしょう。
かつては、東京機関区・品川客車区・田町電車区と三大車輌基地を擁していましたが、今となっては見る影もありません。むしろ東海道新幹線の駅や通勤電車のターミナルとしての役割が圧倒的に強くなっていますね。
それでも80年代から90年代前半までは、ブルートレインの運行の要としてかなりの威容を保っておりました。都心の一等地に堂々と寝台列車のための客車が停泊していたのです。また写真のようにディーゼル機関車による入れ替え作業も行われていました。
写真に写っているのは、DD13形ディーゼル機関車や14系14形、24系25形寝台客車です。そういえば東海道線の下りホームには常盤軒の立ち食い蕎麦のお店があって、とってもおいしかった記憶があります。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 品川駅】

2016/04/29

455系急行形電車

455系急行形電車は、1965年5月から1968年9月にかけて製造されたもので、勾配抑速発電ブレーキを装備した形式です。これは交直流急行形電車の運転区間が勾配線区にも及ぶための装備でした。ちなみに直流急行形電車については、既に1963年に勾配抑速発電ブレーキを装備した165系電車が登場していました。
455系には、当初クモハ455・モハ454・サロ455・サハシ455の5形式が登場しました。新製当初は、グリーン車のサロ455とビュフェ・普通車合造車サハシ455のビュフェ部分にしか冷房装置がありませんでした。
455系は交流区間では50Hzのみの対応ですので、東北・奥羽本線などの急行列車を中心に使用され、その活躍は1985年3月東北・上越新幹線上野開業まで続きました。
急行運用を退いてからは3両編成を基本に短編成化されて、普通列車に転用されました。短編成化の中で他形式からの編入を含む改造先頭車が登場しました。JR東日本に継承され、2008年3月まで使用されました。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2016/04/10

モハ454形

モハ454形は、1965年5月から1968年9月にかけて日本車両、日立製作所、東急車輌で51両が製造された455系急行形電車の中間電動車です。交流50Hz対応ですので、運用区間は東日本地域に限定されます。
クモハ455形とユニットを組み、主変圧器はTM9、主整流器はRS22などの交流機器を備え、また補機集約化により大容量の空気圧縮機MH113A-C2000Mを装備しています。
東北・上越新幹線が上野駅に乗り入れた1985年3月のダイヤ改正によって、上野口の交直流急行形電車の乗り入れはなくなり、中間のサロを抜いて仙台地区などのローカル運用に転用されました。1989年に郡山駅で見かけた記憶があります。
この写真を撮影したのは、1984年頃ですが、写真を撮っている人はそんなに見かけなかったような気がします。現在ではデジカメの普及で、ずいぶんと撮影される方も増えているのでしょう。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 上野駅】

2016/01/23

サロ455 207

サロ455形200番台は、1968年10月のダイヤ改正で急行「ざおう」の電車化と、1978年10月のダイヤ改正で、仙台運転所の基本・付属編成の共通化によってサロ455形が不足したため、サロ451形0番台に抑速ブレーキを付加してサロ455形に編入改造したものです。
改造工事は、1969年5月から1980年3月にかけて国鉄郡山工場で行われ、番台を200番台に区分しました。10両の改造が予定されていましたが、実際の改造は8両にとどまりました。
今となっては、新幹線・特急が中心となり絶滅同然の急行列車ですが、本当にそれだけでいいんでしょうか?特急と普通の中間に、急行や準急が用意されていてもいいように感じます。需要はあるのではないでしょうか?
写真のサロ455 207は、1963年7月に汽車会社で製造され、勝田電車区に新製配置されたサロ451 17を1979年12月に郡山工場で改造したものです。サロ451時代の新製後まもなくの1963年9月には仙台運転所に転属し、1967年3月には郡山工場で冷房改造を受けています。1986年10月に廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 上野駅】

2016/01/10

My鉄道博物館 展示替え

拙宅のリビングダイニングにあるカップボードの中に、My鉄道博物館と称して、Nゲージ車両を展示しておりますが、昨日展示替えを行いました。
KATOのC55.C58、TOMIXのEF30を追加し、TOMIXのEF64ユーロライナー色.EF64-1000.EF66の展示を取りやめてバックヤード(カップボードの引き出しの中)に収容しました。
その他、車種別に配置をまとめたので、以前よりも見やすくなったのではないかと自画自賛しているところであります。
自分としては一番のお気に入りのクハネ583も見やすい位置に動かしております。このKATOの583系、初出は1982年頃だと思いますが、今でも実によくできていると感じます。

2016/01/04

京浜急行600形(656編成)

現代の京浜急行電車の貌を確立した存在である600形電車も、1994年から96年にかけて製造されたものですから、もはや20年選手となり今では相当なベテランということになります。
私が通学で京浜急行を利用していた1985~88年は、先代1000形が主力で、次に見るのが700形と800形であり、1500形と2000形に至っては新鋭でしたので、昨今の京浜急行の車両のレベルは確実に向上したものと感じております。
600形のウリは、快適性に優れるクロスシートでした。意欲的な試みで、素晴らしいと思います。とはいうものの激しい朝夕の混雑の中では、意図していた通りに快適性を提供できるのでしょうか?
なかなか難しいところですね。
写真の656編成は1996年5月に東急車輌で完成したもので、600形の4次車でなおかつ最終増備車に相当します。2012年10月に京急ファインテックで車体更新を完了し、扉間のクロスシートはロングシートに変更されました。
【撮影:佐野次郎 2015.12.31 屏風ヶ浦駅】

2016/01/03

京浜急行電鉄1500形(1561編成)

京浜急行1500形には、4両・6両・8両編成がありますが、そのうち6両編成は15編成90両が在籍しております。
新製当初の主回路は、界磁チョッパ制御でしたが、2009年度からVVVFインバータ制御への改造工事が実施されております。新製当初は全電動車編成でしたが、VVVF化と同時に中間車2両を電装解除し4M2T編成に変更されています。
2015年2月の1541編成を最後に1500形6両編成のVVVFインバータ制御化は完了しました。また、2013年度から1600番台の車番変更が行われています。ただし中間の電装解除車であるサハ1900形は車番変更の対象外になっております。
写真の1561編成は、1601編成として1988年1月東急車輛で完成したもので、1500形では初めてのアルミ車体・6両編成で登場しました。2010年3月に京急ファインテックでVVVFインバータ制御化を行い、2013年12月に1561編成に車番変更を行っております。

2016/01/01

京浜急行2100形(2157編成)

皆さま、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。おそらく月数回の更新になると思いますが、ご訪問いただければ幸いです。
昨日は大晦日でしたが、久々の京急撮り鉄に出かけてまいりました。昨年は純然たる撮り鉄は三回の出動となりました。
独身の頃の、一カ月当たりの出動回数みたいですが、やはり休日は仕事の疲れを癒すのが最優先になります。
写真の2157編成は、かつて青色塗装で活躍しましたが、2015年8月に車体更新工事を完了して赤色塗装に戻っております。行先表示も方向幕からLEDに変更されていますね。
【撮影:佐野次郎 2015.12.31 屏風ヶ浦駅】