2015/12/30

My鉄道博物館 二次開業

拙宅のダイニングにあるカップボードの一角を用いて、Nゲージ鉄道模型を展示しておりますが、この度、もう一段のスペースを確保し、場所を二倍に拡張して合計36両を展示することができるようになりました。
この度の拡張のために、実家から電気機関車を中心に車両を持ってきました。私のNゲージコレクションは主に学生時代から社会人の初期にかけて、横浜駅西口近くにあったALIC日進で買い求めたものです。
今はドンキホーテになっているところで、地下1階が模型売り場でした。あとは本牧にあった篠原模型店や、新橋の交通書房、麻布十番にあった麻布ホビー、などで購入したのだと思います。
Nゲージも多品種少量生産が主流になっているのでしょうか?新規の購入は控えようと思っておりますが、手持ちの模型たちは大切に扱っていていく所存です。他にも手持ちがありますので、展示は少々入れ替えていく予定であります。


新宿駅の115系

今では首都圏に姿を現そうものなら、それだけでひと騒動になりそうなスカ色の115系ですが、1985年3月のダイヤ改正までは恒常的に新宿駅に乗り入れており、立川・高尾発着が基本となり最終的に1993年12月のダイヤ改正で新宿駅への乗り入れがなくなりました。
中央本線には、松本までの電化が完成した翌年の1966年に、三鷹電車区に115系電車が投入され同年12月から客車による普通列車の一部が電車化されました。115系の塗色は元の70系電車にあわせて115系では初の「スカ色」になりました。
3両編成を基本にしたため、制御電動車のクモハや、高さの低いトンネルに対応するための低屋根の電動車800番台が新たに用意されるなど、既存の東北・高崎線用とは少し違った115系が登場しました。1975年には普通の全電車化と70系置き換えのため冷房装備の300番台が投入されました。
中央線の115系は豊田車両センターに移り、2014年12月に運行を終了しました。写真を撮影した1984年当時は、隣に写っている有蓋貨車などが一般的で、新宿駅に貨物用の線路が多く残るなど現在とはずいぶんと様相が異なりますね。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 新宿駅】

2015/12/27

485系1000番台「つばさ」

このところ撮影にはほとんど出かけておりませんが、鉄道ピクトリアル誌だけは、毎号欠かさず購入しております。21日発売の2016年2月号の特集は、「国鉄形特急電車の今」であります。JR移行直前の特急電車の転配属の記事は、非常に懐かしく感じるものでした。
確かに、いまや国鉄形特急電車による定期運行はほとんどありません。もうすぐ廃止になる青森ー函館間の「白鳥」や、伊豆に向かう「踊り子」など185系による列車などわずかしか残っておりません。
東北・上越新幹線開業前の、東北本線上野口では、特急・急行電車の賑わいは凄いものでした。優等列車の本数が、普通の本数と拮抗していたのではないでしょうか?当時は急行の存在感が高く、特急よりも一般的でした。
写真の485系1000番台「つばさ」は、上野ー秋田間の運転で、1982年の東北・上越新幹線の大宮開業後も上野行きが1往復残されていました。1985年3月の新幹線上野開業で上野行きはなくなりました。現在では、山形・秋田新幹線が発展的にその役割を継承していますね。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 尾久駅】

2015/12/26

クハ115 320

もうすぐ2016年を迎えようとする現在、さすがに国鉄時代に製造され、JRで継続使用されている車輌もかなり少なくなってきました。国鉄が分割・民営化されてJRが発足した頃は、103系・113系・115系はそれぞれ1000両以上が在籍していたはずです。
今では、国鉄形車両が走るだけでも、けっこうな注目を集めたりしているようです。注目の対象も、SLブームから始まって、路面電車、在来線特急、ブルートレインときて、現在は国鉄形に注目といったところでしょうか。
確かに銀色の電車ばかりになってしまった昨今の通勤電車に比較すると、国鉄形電車は温かみがあって味わい深いですね。
写真のクハ115 320は、1974年3月に川崎重工で完成し、小山電車区に新製配置されました。1986年3月に下関運転所に転属しています。広島地区には227系電車の投入が本格化していますので、近いうちに現役を退くことになるでしょう。
【撮影:佐野次郎 2013.9.11 広島駅】

2015/12/06

オハネフ25 13

私佐野次郎は、昭和44年生まれでして、鉄道の花形といえば、ブルートレインと在来線の特急列車という印象が強いのであります。SLブームや路面電車の全盛期を知るのには、少し遅すぎた世代でもあります。
ブルートレインの中でも、王道はやはり東京と九州を結ぶ、「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」「富士」といった名列車で、私も強い憧れを感じました。国鉄最後のダイヤ改正となった1986年11月改正で「あさかぜ1.4号」がグレードアップされたのには大いに期待したものでした。
時代は流れ、ブルートレインの代名詞になったのは、1988年3月改正で登場した上野ー札幌間の「北斗星」でした。個室寝台車や食堂車は在来車両の更新でありながら、大いに注目を集めました。JR北海道とJR東日本の所属車で仕様の違いがあったり、クルーズトレイン的な要素があったのが良かったのでしょうね。
写真のオハネフ25 13は、1974年3月に富士車輌で完成し、向日町運転所に新製配置されました。「北斗星」への転用に先立ち、耐寒・耐雪設備を強化し、乗降扉を折戸から引戸に変更しております。いつかは乗ろうと思っていた「北斗星」ですが、周知の通り3月改正で廃止になってしまいました。
【撮影:佐野次郎 2013.4.18 大宮駅】