2013/05/26

広島電鉄800形〈803〉

広島電鉄800形は、700形に続いて導入された電車で、1983年から96年にかけて14両が製造されました。2次車までは再生部品を用いて製造された700形電車とは異なり、当初から完全新車として製造されました。
車体は700形とほとんど同じですが、製造年次に応じて細かな差異があります。同時期に製造された連節車と似通った変化があるのが、興味深いところです。しかしながら、普通に利用している方のほとんどが無関心でしょうねえ。
主回路は電機子チョッパ制御を採用し、電力回生ブレーキを装備している省エネ電車です。台車はシェブロン式コイルばね台車を採用しております。走行機器に関しては。製造年次に関わらず、基本的な構成は共通です。
写真の803は、1987年3月にアルナ工機で完成したもので800形の2次車に相当します。3800形の前期形に準じたスタイルに変更され、1次車とはスタイルに相違があります。800形は白島線を除く市内線全線で使用されています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 猿候橋町ー的場町間】
804 1987年3月 アルナ工機 2013.4.22 本川町ー原爆ドーム前間

2013/05/25

広島電鉄700形〈711〉

広島電鉄700形は、701~707までが、2次に渡って吊り掛け駆動で製造されました。3次車に相当する711~714はカルダン駆動で製造され、完全新車となりました。同時期に製造された宮島線直通用の連節車3700形に近い電車になったというわけですね。
鉄道とバスの中間に相当する中量輸送機関として、モノレールや新交通システムが日本ではかなり導入されましたが、フォーマットとしては路面電車の発展型であるLRTも決して悪くはないと思いますが、日本ではそれほど導入が進みませんね。
広島電鉄を見ていると路面電車~LRTのポテンシャルの高さをまざまざと感じます。もっとも広島電鉄の企業努力のたまものでありますが。ちなみに公営でも熊本や鹿児島など上手に活用している都市はあります。京都市電などはほんとうに残念だと思います。
写真の711は、1985年7月にアルナ工機で完成したものです。700形の増備は3次車で終了し、以下の増備は800形に継承されました。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 的場町ー猿候橋町間】
712 2013.4.22 的場町ー猿候橋町間
713 2013.4.22 十日市町ー寺町間
714 2013.4.23 本川町ー原爆ドーム前間

2013/05/24

広島電鉄700形〈706〉

広島電鉄700形は3次にわたり製作されましたが、2次車に相当する705~707は、吊り掛け駆動のままですが、方向幕が大型化され、ブレーキ灯が新設されるなどの小変化がありました。また制御装置も新しい形式に変更となっております。
全長13.5mと路面電車としては、大型の部類に入りますが、連節車が主力となっている広島電鉄では「単車」と表現されています。広島電鉄の存在感の大きさには凄いものがあります。大柄な700形や800形がそれほど大きく感じられないのです。
さて1970年代には大都市圏での路面電車の廃止が進み、電車の新製も途絶えましたが、70年代の終盤から80年代にかけて、車体更新という手法で新しい電車が入るようになりました。東京都電荒川線の7000形などがその代表格ですね。
写真の706号は、1983年11月にアルナ工機で完成したものです。この頃に完成した鉄道車両といえば、東北新幹線の200系や中央線の201系電車、東急8090系といったところで引退している電車が多いですね。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 横川駅前ー横川一丁目間】

2013/05/19

広島電鉄700形〈701〉

広島電鉄700形は、1982年から85年にかけて11両が製作された市内線としては、久々の新製車です。デザイン的には1980年に宮島線直通系統に試験的に投入された3500形「軽快電車」の流れを組むものです。
全長13メートルの大型車体に、ワイドな正面1枚窓と1200mm幅の両開き式の中央扉を持っていて、姉妹形式ともいうべき800形とともに、新しい「ひろでん」のスタイルを確立した形式でもあります。
冷房装備で車内も明るく、サービス改善にも大きく貢献したのではないでしょうか?ワンマン運転を基本としながらも、ラッシュ時には車掌の乗務もできるようになっております。
写真の701号は1982年6月にアルナ工機で完成したもので、700形の1次車に相当します。モーターは発生品を流用したため、吊り掛け駆動になっています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 的場町ー猿候橋町間】
702 2013.4.23 猿候橋町ー的場町間
704 2013.4.23 原爆ドーム前ー紙屋町西間

広島電鉄350形〈352〉

350形は広島電鉄の自社発注の電車で、1958年に3両が製作されました。当初は850形と称し、宮島線への直通運転を目論んでおりました。このため間接非自動制御を採用し、モーターも50kw×2個と強化されています。
1958年6月から始まった通勤時の宮島線~市内線への直通運転に投入され、1962年1月からの広島駅ー廿日市間の15分間隔での直通運転の恒常化に際して、2000・2500形とともに直通用の塗装をまとって活躍しました。
その後、2000・2500形の増備に伴い、市内線専用となり塗装も現在と同じ、クリームとグリーンのツートンカラーになりました。また1971年に形式名も850形から350形に変更されました。1975年には、ワンマンカーに改造されています。
写真の352号は、1958年3月にナニワ工機で852号として完成しました。1971年5月に352号に改番されています。1984年に冷房改造されましたが、艤装スペースの関係で補助電源のSIVを屋上に搭載したため、屋根上が賑やかになっています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 御幸橋ー広電本社前間】

2013/05/15

205系〈ハエ23編成〉

埼京線は、1985年9月に池袋ー大宮間で開業し、川越線川越までの直通運転を開始しました。翌1986年3月には山手貨物線を利用して、新宿まで延伸されました。この頃の使用車両は、山手線から転用したウグイス色の103系電車でした。
103系の置き換え用として、1989年から90年にかけて、3次に分けて205系電車250両〈10両編成25本〉が投入されました。保安装置は埼京線用ATCと川越線用ATS-Sの併設、運転席にモニタ装置のの導入、主電動機の冷却ファンをケース内部に収めた内扇形に変更、主抵抗器を小型化し3箱化するなどの変更が行われました。
山手線のウグイス色をそのまま利用した103系とは異なり、205系では緑15号のラインカラーを採用しました。このラインカラーは後継となるE233系7000番台にもそのまま継承されます。
写真のハエ23編成は、1990年11月に川崎重工で完成したものです。新製後も山手線から転用した6扉車を2両編成に組み込んだり、方向幕をLED化したりと細かな変化が見られます。今後E233系7000番台への置き換えが進むにつれ、撮影も賑わいそうですね。

2013/05/11

205系〈ハエ28編成〉

今や有数の混雑路線となった埼京線には、205系電車320両〈10両編成32本〉が配置されておりますが、後継となるE233系7000番台の導入が始まり、置き換えが始まりました。
早くもハエ27編成が埼京線での運用から外れた模様です。埼京線でも、今までにE233系を導入した中央快速線・京浜東北線・京葉線と同様に急速な置き換えが進むでしょう。
通勤時間帯には、激しい混雑を見せる埼京線ですが、日中は閑散としている感じです。この輸送量の落差は京葉線に通じるものを感じます。
写真のハエ28編成は、1989年11月に川崎重工で完成したものです。ウラ4編成として浦和電車区に新製配置され、京浜東北・根岸線に投入されました。1996年1月には川越電車区に転属し、埼京線用となっております。この編成は6扉車の組み込みはなく、全車4扉車です。

2013/05/06

広島電鉄5100形〈5105ACEDB〉

近年、日本でも都市活性化の手段として従来の路面電車の概念を超えたLRTが注目されております。ローカル線を活用した富山ライトレールは素晴らしい成功例だと思います。広島ではグリーンムーバーこと、5000形を導入しました。
5000形はドイツ製の先進的な電車ですが、空調設備の広島での能力不足や座席が少し少ないこと、部品調達が国産車に比べると円滑でないこと、などの問題があり、12編成導入したあとは純国産の5100形に増備が継承されました。
5100形は、5000形と同様の5車体連節車ですが、座席数の増加や通路幅の拡大、運転操作性やメンテナンス性の向上などを図った改良型で、グリーンムーバー・マックスの愛称をつけています。近畿車輛・三菱重工業・東洋電機・広島電鉄が共同開発したものです。
写真の5105ACEDBは、2007年1月に近畿車輛・三菱重工業・東洋電機が共同で製造したものです。5100形は、2004年から2008年にかけて10編成が製造され、軌道線を中心に運行されています。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 猿候橋町ー的場町間】

広島電鉄5000形〈5010ACEDB〉

広島電鉄5000形は、1999年から2002年にかけて12編成がドイツ・シーメンス社で製造されました。日本では熊本市電9700形に次いで、2番目の100%低床車です。また5000形は5車体連節車になっております。
5000形はシーメンス社のコンビーノ・シリーズに属するものですが、車体の前面部分を日本でデザインしています。固定式窓にプラグドアと、日本離れした電車にはなっています。ステップがないため車内は広く、窓が大きいためたいへん明るくなっております。
主回路はIGBT-VVVFインバータ制御を採用しています。制御装置は屋根上に搭載しているトラクション・コンテナに搭載しております。部品の調達や日本の風土への適合性については、純国産車に利があり、増備は純国産の5100形に移行しております。
写真の5010ACEDBは、2002年9月に完成したものです。書類上は、シーメンス社とアルナ車両の共同製造になっています。5000形は宮島線への直通運用を中心に運用されております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 銀山町ー稲荷町間】

2013/05/05

広島電鉄3950形〈3954ACB〉

広島電鉄3950形は、広島駅ー広電宮島〈当時〉間の直通車両として、1997年から98年にかけて6編成が導入されました。3900形からスタイルとカラーを一新しております。また3500形以来の3車体連節車の最後の形式でもあります。
車体の前面と側面上部をグリーン、窓枠・扉部分をダークグリーン、側面窓下をホワイトに塗装し、鮮やかな彩色になっております。また乗降扉の下部を赤色に塗装することで、扉の位置をわかりやすくする工夫をしています。
3900形同様、制御方式はVVVFインバータ制御で、制御器を2台装備し、出力85kwのモーター2台を制御しています。またシングルアーム式のパンタグラフを装備し、性能の向上を図っております。
写真の3954ACBは、1998年3月にアルナ工機で完成したものです。3950形は宮島線での高速運転時に強い横揺れが生じるために5000形の増備により、いったん市内線での運用が中心になりましたが、5100形の増備と台車の改良により再度宮島線への直通運用に就いております。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 猿候橋町ー的場町間】

広島電鉄3900形〈3907ACB〉

広島電鉄3900形は、3800形の改良型に相当する形式です。宮島線沿線から乗り換えなしで市内線に直通できる便利さが評価されて、需要が伸びていることに対応して導入されたものです。
3000形以来の3車体連節車という構成に変化はありませんが、デザインは曲線的なイメージに変化しています。車内の配色もグリーン系でまとめられ、変化を図っております。
主回路は3800形と同様、VVVFインバータ制御ですが、モータ出力を85kw×4に増強したために、インバータ制御装置を2台に増強しております。
写真の3907ACBは、1996年12月にアルナ工機で完成したものです。3900形は、1990年から96年にかけて8編成が製作されました。
【撮影:佐野次郎 2013.4.23 猿候橋町ー的場町間】

2013/05/03

広島電鉄3800形〈3802ACB〉

広島電鉄3800形は、宮島線沿線のベットタウン化の進展により、直通利用客が増加したのに対応して、1987年から89年にかけて9編成を導入したものです。広島電鉄では、はじめてVVVFインバータ制御を採用しました。
基本的な車体構造は3700形を基本にしており、前面形状と側窓の構造を変更しています。前面形状は、市内の併用軌道を走ることを考慮して曲面ガラスを採用して視界を拡げ、下方向にもガラス面を拡大しました。側窓は連窓に見えるような工夫をしています。
主回路は先述の通りVVVFインバータ制御ですが、加減速性能を高くとっています。これは停留所間の間隔が短い路面電車には適したものです。また応荷重機能を持ち、乗客数の増減による加減速の応答性をコントロールできるようになっておます。
写真の3802ACBは、1987年11月にアルナ工機で完成したものです。1987年度に導入された3801~3803は、ヘッドライトが丸形という特徴があります。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 猿候橋町ー的場町間】

広島電鉄3700形〈3702ACB〉

広島電鉄を撮影に行ってみて驚いたのは、輸送力が大きい連節車が頻繁に運行されていることでした。話には聞いていましたが、実際に見てみるとやはり凄い迫力でした。
もともと広島電鉄の連節車は、宮島線直通用でしたが、広島駅ー広島港間の1系統も連節車が運用の中心となっており、その他の系統もラッシュ時などには、連節車が運行されることがあります。
3700形は、1984年から87年にかけて5編成が製造された3車体連節車です。完全な新車ですが、主回路は抵抗制御と手堅くまとめられた電車であります。
写真の3702ACBは、1985年にアルナ工機で完成したものです。3700形には1980年に「軽快電車」として登場した3500形の量産車的な性格もありますね。
【撮影:佐野次郎 2013.4.22 猿候橋町ー的場町間】