2012/02/29

京浜急行電鉄1500形(1541編成)

先代1000形の印象があまりにも強く、またその後継者である1000形が急速に増備されたため1500形の印象は地味なものとなっています。
本線では6両編成での普通列車での運用が中心となっていますね。800形と半々ずつやってくる感じですね。6両編成ともなると日中の輸送力としては余裕があり、ゆっくりできる感じはあります。本線で4両だと日中でもほどほどの混み具合です。
京浜急行本線の普通は、頻繁に快特など速達系列車の退避を行うのですが、退避時には一部のドアを締め切ります。寒い日にはありがたいですね。私が通勤で利用する京葉線は全開。寒い日や雨の日はつらいです。
写真の1541編成は1990年2月に、東急車輌で完成したものです。当初は4連でしたが、編成の組み換えによって現在では6連になっています。6連の界磁チョッパ車も徐々にVVVFインバータ化改造が進んでおり、いずれ当編成も改造されることになるでしょう。

2012/02/26

京浜急行電鉄1500形(1525編成)

京浜急行の車両のなかでは、一番地味な印象のある1500形ですが、現在でも広範に使用されていい働きをしている気がします。
4両編成は、現在では7編成と新製当時に比べると、6編成が6両編成に組み替えられて減少していますが、大師線の運用を中心に活躍しています。
その他、快特や特急の増結用にも活躍していますし、4両編成で本線の普通に使用されることもあります。
写真の1525編成は、1988年6月に東急車輌で完成したもので、アルミ合金製の車体を採用したグループです。1500形は1次車の20両だけが、普通鋼製の車体で製造されました。

485系特急形電車

私が電車好きなのは小学生以来だと思いますが、1982年11月のダイヤ改正で東北・上越新幹線が開業したことによる上野始発の特急・急行の再編成には興味深いものがありました。
この段階では、上越・羽越線経由の青森行き「鳥海」、秋田行き「つばさ」、山形行き「やまびこ」は1往復ずつ残されていたのです。なので上野口では、まだ485系特急形電車を見ることができました。
これら乗換えの負担を軽減するために暫定的に残されていた特急も、新幹線が上野まで延長された1985年3月のダイヤ改正では軒並み整理されました。
代わりに増強されたのが常磐線の特急「ひたち」ですね。急行「ときわ」の格上げにより23往復体制となりました。JR移行後の1988年に651系が投入され、私としては驚きましたが、現在にはさらにその後継のE657系が登場と、時の流れの早さを実感しています。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 上野駅】

201系通勤形電車

私は鉄道雑誌は、中学2年の頃から毎月購入しています。最初は「鉄道ファン」、次が「鉄道ジャーナル」、社会人になってからは「鉄道ピクトリアル」を中心に購入しております。
写真の方は、社会人の2年目を最後に休眠していましたが、2009年の元旦から復活しました。職場に鉄道に詳しい同僚がいて刺激を受けたり、「国電総研」をはじめ、ネット上に詳細なサイトが多くあり、また撮りたくなったのです。
写真を再開して驚いたのはJRの通勤電車の人気が高いことですね。寝台特急などが減ったせいか、JRに関しては、どこの駅でも撮影している人がいますね。
JR東日本での201系の引退に関する盛り上がりぶりには驚きました。中央線・京葉線とも連日たいへんだったという感じですね。大学の頃、通学で中央線に乗っていて馴染みの深い車両でしたので、感慨深いものがありました。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 撮影場所は失念】

2012/02/25

185系特急形電車

185系特急形電車は、急行「伊豆」に使用されていた153系電車を置き換えるために1981年に投入され、急行「伊豆」は特急「踊り子」に格上げされました。
さらに1982年には、東北本線・高崎線に200番台が投入されました。主な目的は上野ー大宮間に運転を開始した「新幹線リレー号」に使用するためです。
東北新幹線・上越新幹線は当初大宮始発だったんですよね。「新幹線リレー号」の運転は、新幹線が上野まで延長された1985年3月のダイヤ改正まで続きました。
今では東北新幹線は東京まで延長され、新青森までつながっています。また山形・秋田に向うミニ新幹線も営業しています。この写真を撮った頃には考えられない充実ぶりです。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 上野駅】

117系近郊型電車

117系近郊型電車は、京阪神・中京地区の快速列車用として1979年から1986年にかけて製造されました。快速列車に使用されていた153系急行形電車を置き換えました。
車体は普通鋼製で両開き2扉・座席は転換クロスシートを採用し、急行形電車に近い水準の車内設備となりました。車端部の化粧板が濃い木目調なのが印象的でした。
走行機器は実績のある機器で揃えた非常に手堅い構成となりました。その方が長持ちする電車になるような気がします。ほぼ同じ構成の185系特急形電車も長寿命ですね。
国鉄からJR東海には72両(4両編成)が継承されましたが、既に313系電車による置換えが進んでおり2013年までには全廃されることになっております。
【撮影:佐野次郎 1992.10.9 豊橋駅】

2012/02/22

EH200形(11号機)

インターネットやデジカメの普及によって、鉄道趣味の裾野が急激に広がっているように感じます。何十年も前から、鉄道趣味には撮るのが好きな人、乗るのが好きな人のほか、模型をやる人や走行音を撮るのが好きな人などいろいろとおりました。
「撮り鉄」という言葉がいつからあるのか私にはわかりませんが、ずいぶんと一般に広がった感じはしますね。私は参加型の鉄道趣味を拡げたネコパブリッシングや、馴染みやすい鉄道写真家の中井精也さんの功績が大きいと感じています。
今になって考えると80年代中盤までの「鉄道ファン」誌なんかは、現在に比べるとずいぶんと専門的というか敷居が高い感じがしましたね。詳しいけど少し難しい。そんな感じがしました。海外の鉄道の記事なんかもずいぶんと充実していた。そんな印象です。
写真のEH200形の11号機は2006年3月に東芝で完成したもので、高崎機関区に新製配置されました。首都圏では根岸線などで姿を見ることができます。
【撮影:佐野次郎 2010.8.14 京浜急行線生麦駅】

2012/02/19

京浜急行電鉄800形(822編成)

京浜急行800形は、1978年から1986年にかけて製造された電車です。同時に私は小学生→中学生→高校生と進んで行きました。なので同時代の電車だという感じがあります。
初めて800形を目撃したのは、横浜駅に3両編成で入線してくる姿ですね。現在の2100形や600形の赤とアイボリーの塗り分けを最初に採用したのが800形でした。
高校の頃は、川崎ー新逗子間運転の6両編成の急行で通過していく姿をよくみかけました。その頃既に塗装は現在と同じような一般車用?になっていましたね。当時通学で利用していた杉田駅は普通しか止まらなかったので、通過する電車ばかりでした。
写真の822編成は1981年4月に東急車輌で完成したものです。当初は3連でしたが、1983年2月に東急車輌で完成した中間車3両を組み込んで6両編成になっています。

京浜急行電鉄800形(809編成)

京浜急行800形電車は、昨年1000形の6両編成にが登場したことによって、801・803編成が相次いで廃車となりましたが、その後は運用を離脱して廃車となる編成が出ておりません。
まだまだ120両(6両編成20本)が稼働中で、ゆっくりと撮影ができるというわけです。普通列車では、800形と1500形を中心に、1000形や2000形、600形が混じるようなかっこうですね。
もし800形がいなくなると、京急から片側4扉の通勤時間帯重視の電車がいなくなるわけで一気に寂しくなりますね。独特の正面デザインはいまだに斬新さを失ってはおりません。
写真の809編成は、1979年11月に川崎重工で完成したものです。当初は3連でしたが1995年11月に同時期に製造された810編成を組み込んで6両固定編成に改造されました。編成中間に入る運転台を撤去するとともに、更新工事も実施しています。2012年3月に廃車となりました。

鶴見川を渡る東横線を流し撮り

このところ寒いですね。私も寒さに負けずに、今日も撮り鉄に出動しました!といいたいところですが、実は完全休養してしまいました。昼寝をしないことには、平日の仕事の疲れがとれません。
なので今週末の更新は、過去のストックから記事を作らせていただきます。とりあえずは、当ブログでたくさん登場してもらっている東急の記事から始めます。
最近私は、「流し撮り」を試みています。昨年くらいからときどき挑戦していたのですが、あまりの成功率の低さゆえブログに掲載できるような写真が撮れませんでした。
ようやく最近になってから、拙い写真ながらも、なんとか「流し撮り」と呼べるような写真も撮れるようになってきました。理想は高く、いつか広田尚敬さんの「動止フォトグラフ」みたいな迫力のある「流し撮り」が撮れることを目指して練習を重ねたいと思っています。
【撮影:佐野次郎 2012.2.11 大倉山ー綱島間】

2012/02/12

205系(クラH2編成)

私にとって横浜線といえば、103系の印象が強いですね。根岸線に乗り入れてくるウグイス色の103系は特に印象深い。デカイ「横浜線」表示を正面に掲げて走っていました。
これは横浜線の103系には、ウグイス色のほか、京浜東北・根岸線の103系と同じスカイブルーの電車も使われていたので誤乗を防止するためですね。
横浜線は103系も、1世代前の73系も他路線のお下がりを使用していたのですが、JR東日本になってから新形の205系電車を投入しました。103系に比べると相当のサービス改善といえるでしょう。
写真のクラH2編成は1988年9月に日本車輌で完成したものです。新しい電車だと思っていた横浜線の205系電車もはや20年選手です。

新高島駅

私のようなオジサンは、子供の頃図鑑を読んで21世紀の鉄道について、さまざまな空想を巡らせていたものでした。今みたいにゲームなんてありませんでしたからね。
その頃の予想では、東京ー大阪間にリニアモーターカーが走っていたり、プロペラで走る鉄道と飛行機の合の子みたいなものが描かれていました。確かに今でこそリニアはJR東海が実現に向けて動いていますが、21世紀は想像していたよりもずっと現実的でした。
国鉄を代表する103系・113系・485系も21世紀に入ってから現役でした。しかし2004年に開業したみなとみらい線の新高島駅とみなとみらい駅だけは、幼少の頃想像していた21世紀の鉄道そのままの姿を現実としています。
各停しか停まらない新高島駅はとくにそんな感じがします。モダンで無機質な意匠は、映画「ブレードランナー」の世界のよう・・・かどうかは別として、ときどき撮影に使用されているらしいですね。
【撮影:佐野次郎 2012.2.11 新高島駅】

東京急行電鉄5050系(5175F)

私のイメージでは、東急東横線には「お顔の平らな電車」が走る路線という感じがありました。長らく主力として活躍していた8000系もそうでしたし、8000系から1世代前の先代7000系も1世代後の9000系も「お顔の平らな電車」でした。
ときたま前面の傾斜した7200系が東横線を走ると、なんとなく特別な電車のような感じがしました。その他、走る湯たんぽのようだった先代6000系なんかも幼少の私には凄いインパクトがありました。大きくなってからは8090系・8590系に独特の雰囲気を感じました。
今や東横線の最大勢力となっている5050系は、前面が傾斜していて、以前の東急電車とは少し印象が異なります。もっとも5050系の前面が傾斜しているのには理由があって、特急や急行で駅を通過するときの風圧を軽減するためだそうですね。
写真の5175Fは2011年12月に東急車輌で完成したもので、2012年1月に営業運転を開始しました。私としても初めて撮影した編成でしたが、ピカピカでした。

東京急行電鉄9000系(9012F)

いわゆる「客ダネ」という言葉がありますが、鉄道路線それぞれには、沿線の経済や文化を背景とした雰囲気がありますね。
私が通勤に利用する京浜東北・根岸線は平均年齢高め、私もふくめたオジサンが大勢を占め、そして高齢の方も比較的多く乗車されている感じです。比較的混んでいる路線なので、あまり着席することもありませんが、お年寄りや杖を抱えている方、妊婦さんを見かけたら即座に席を譲るようにしています。
東横線の雰囲気は独特ですね。なんとなく、経済的なゆとりみたいなものを漂わせている雰囲気です。JR線ではけっこう見かける車内で缶チューハイを飲むような人もみかけません。女の子の一人暮らしに人気が高いのもうなづけます。とはいうものの朝のピーク時の混雑には、凄いものがあります。
写真の9012Fは、1988年11月に東急車輌で完成したものです。9000系は大井町線に転じた9006Fを除いて、車内の化粧板が木目調になっていますね。

2012/02/11

京浜急行電鉄800形(813編成)

当ブログも開設してから丸3年を経過しました。ご覧いただいている皆様、誠にありがとうございます。横浜の本牧・根岸あたりのご近所情報と、鉄道の記事を半々くらいでやっていこうと思っていましたが、実際には首都圏の通勤電車の記事が中心となってしまいました。
しかも、「構図がいつも同じだ」とか「JRに冷淡だ」などと、友人からは叱正を頂戴しているていたらくです。目指すところは、全編成の撮影ですので、これからも斜め前から撮影した編成写真(いつも同じ構図と指摘されています)を中心に記事を掲載していきます。
基本的には、今まで通り1記事1編成&1写真のスタイルでやっていきます。場合によっては、複数の写真で構成することもありますし、同じ編成が何度も登場することもあります。また更新が停滞しているご近所の記事も、ときたま登場するかもしれません。
写真の813編成は、1980年3月に川崎重工で完成したものです。当初は3連でしたが、1982年3月に中間車3両を増備して6両編成になっています。

2012/02/08

京浜急行電鉄1500形(1713編成)

京浜急行1500形は、先代1000形に続いて都営浅草線に直通することを目的として投入された電車ですが、現在は当初からVVVFインバータ制御で製造された1700番台6編成だけが、都営浅草線・京成線に直通しています。
従来8連だった編成も、4連と組み合わせて6連にされ、京急線内の普通列車用となっていますね。編成組み替えと同時にVVVFインバータ制御化改造された編成も多くなりますし、これからも界磁チョッパ車の改造が行われるようです。
個性豊かな京浜急行の電車の中では、1500形がいちばん地味な電車のように思います。編成の組み替えも一段落しているので、800形や2000形の置換えが優先されて、1500形は現状に近い姿が続くように思います。
写真の1713編成は、1992年2月に川崎重工で完成したものです。2007年7月に京急ファインテック久里浜工場で車体更新を完了しております。

2012/02/06

京浜急行電鉄1000形(1025編成)

先週の日曜日は曇りとなりました。編成写真や形式写真を撮影するには、好都合な天候というわけです。私は根岸線の新杉田駅で降りて、杉田第2踏切に向いました。
この踏切は、比較的近場で上下列車が被ることも少なく、上り列車の編成写真を撮影するのに重宝な撮影地なのですが、晴れると完全な逆光になり、ちゃんとした写真になりません。だから曇りの日にだけ訪問するのです。
そして新杉田駅周辺は、カレーライスが充実していることも魅力を感じています。横浜を代表するスタミナカレーの店「バーグ」を筆頭に、安定した実力をみせる「ココ壱番屋」、そして牛丼のチェーン店としては他の追従を許さないカレーを出す「松屋」があります、私は杉田に出かけると、3店のどこかには必ず寄りますね。
写真の1025編成は2003年5月に東急車輌で完成したもので、新1000形の2次車に相当します。この写真は、撮影から引き上げる途中で杉田駅の上りホームから撮影したものです。上りホームで撮影する際には、上り列車の進入に要注意です。趣味では絶対に無理をしてはいけません。

2012/02/05

京浜急行電鉄1000形(1113編成)

私が京浜急行に在籍している電車のなかで、もっともお世話になっていると思うのが、写真の1000形(1113編成)です。
昨年の9月21日、首都圏を台風15号が直撃しました。私が普段通勤に利用している京葉線は、海のそばを高架で走るという、風が苦手の電車ですので、そうなると運転を早々に見合わせることになります。
そんなときには、京葉線よりは内陸よりの幕張駅から京成千葉線に乗り、津田沼から本線に乗り換え、京成押上線~浅草線~京浜急行線のルートで横浜を目指します。押上までは順調に進みましたが、さすがの京急も強風で運転見合わせ。押上で4時間1113編成に缶づめとなり、横浜に着いたのは22時55分でした。
写真の1113編成は2008年12月に東急車輌で完成したもので、1000形の8次車に相当します。1000形の奥行きの深いシートは、長時間発車を待つ間たいへん心強く感じられました。

京浜急行電鉄1000形(1445編成)

私は長年にわたる根岸線ユーザーなのですが、車両こそ103系→209系→E233系と交代しましたが、運転面については本質的な変化は感じられません。E233系への置換えが完了したら、スピードアップするかとも思いましたが、所要時間は103系の頃と変わりはないようです。
私は1985年から88年にかけて、高校に通うため、杉田ー京浜富岡(当時)間を利用していました。当時は先代1000形の天下で、だいたい乗車するのはほとんど先代1000形4連の普通で、たまに700形や800形の3連の普通に乗るような感じでした。
当時は1時間に、品川発着の快速特急3本・浅草線直通の特急3本、京浜川崎発着の急行3本、普通6本が基本形でした。1999年に快特6本・普通12本と単純化され、これが完成形と思いきや、今度はエアポート急行を新設しています。
写真の1445編成は2006年11月に川崎重工で完成したもので、1000形の5次車に相当します。先代1000形も優れた電車ですが、2代目1000形も完成度の高い電車だと思いますね。

京浜急行電鉄1500形(1643編成)

1985年に登場した京浜急行1500形は、私の感覚では「新しい電車」なのですが、実際にはベテランの域に達しています。山手線に投入された国鉄の205系電車が、同級生になるのですが、こちらは山手線からは既に退いて、東京メガループと呼ばれる横浜線・南武線・武蔵野線などでの運用が中心となっています。
なぜ1500形を新しく感じるかというと、出入口が両開きになったからですね。1982年に登場した快速特急用の2000形は別として、京急ではなぜか片開きの通勤電車を、かたくなに増備していました。800形が登場した1978年には、両開きの採用が一般的になってから、かなりの年月が経過していました。
とはいうものの、実際にストップウォッチで計測すると、開閉時間にはそれほどの差はないらしいですね。先代1000形から1500形へのモデルチェンジの中で、こだわりを捨てたということだったのでしょうか?
写真の1643編成は1991年2月に東急車輌で完成したものです。当初は8連でしたが、2007年3月に京急ファインテック久里浜工場で、車体更新・VVVFインバータ化改造を受け、6連となっています。

2012/02/04

梅小路蒸気機関車館 オハフ50 68

C62やD51をはじめとして、国鉄の制式蒸気機関車のほとんどが一堂に会する展示施設として名高い梅小路蒸気機関車館ですが、休憩室代わりに「レッドトレイン」こと50系客車が展示されています。
50系客車は昭和50年代に、当時まだ多く残っていた客車列車の近代化を目的として、比較的短期間に多数が投入された客車です。確かに角ばっていて、簡素なスタイルはいかにも量産向きという感じがしますね。
50系によって置き換えられたいわゆる旧形客車は、冷房がなかった(50系にも当初はなかったのですが)ことはもちろん、ドアも自動ではありませんでしたので、50系による近代化は必要な施策だったとは思います。
実際にはマイカーの普及によって、機関車牽引・大ロットの客車による普通列車自体が時代遅れとなり、電車やディーゼルカーによる短編成・高頻度の普通列車の運転が主体となり、50系客車は早々に陳腐化することになってしまいました。青函トンネル「海峡」における改造車の活躍が、50系客車の花道になったと思います。
【撮影:佐野次郎 2008.4.11】

渋谷ハチ公前デハ5001

鉄道車両の保存場所といえば、セキュリティ完備・収蔵品としての待遇が約束された博物館での展示か、風雨にさらされ厳しい道のりを歩むことになる公園での展示がよく見られますが、若者の街渋谷に鎮座する東急デハ5001号は異例の存在でしょう。
酔っ払い(失礼!)もとい古典的サラリーマンの街、新橋SL広場のC11と並んで、もっとも賑やかな場所に保存されている鉄道車両といえるでしょう。もっとも車体は半分にカットされ、走行機器もありませんが、オリジナルの雰囲気をよく残しているといえるでしょう。
東京急行電鉄5000形電車(先代)は東急では初めての高性能電車で、超軽量構造の車体を特徴としていました。1954年から60年までに105両が製造されました。1964年までは東横線のエース的存在でしたが、ステンレス車7000系の登場によって、大井町線への転用が始まりました。
5000形の東急での活躍は1986年で終止符を打ちましたが、1977年から福島交通・秩父鉄道・長野電鉄・上田交通・岳南鉄道・熊本電鉄などの地方鉄道に譲渡されました。その後移籍先でも置換えが進みましたが、なんと熊本電鉄では、今でも現役です。
【撮影:佐野次郎 2009.8.11】

寝台特急「さくら」

私が子供の頃は、「ブルートレインブーム」でありまして、休日ともなると東京駅はカメラをかまえたチビッ子たちでにぎわったものです。デジカメも携帯電話もまだなかった昭和50年代から60年代頃の話です。
長崎・佐世保行きの「さくら」を筆頭に、「はやぶさ」「富士」「みずほ」「あさかぜ」と九州に向かう寝台特急群が発車し、そのあと下関行きの「あさかぜ」「出雲」「瀬戸」などが続き、トリは大阪行きの寝台急行「銀河」が締めるという順番でしたね。
今になって考えると豪華ラインナップですが、当時私は東北・上越新幹線が開業して上野発の特急・急行がずいぶん減ったナなどと思っていたのですからいい気なものです。そんな私が中年になってから迎えた、特急「富士+はやぶさ」、急行「銀河」の廃止時には、怒涛の混雑に恐れをなして近寄ることすらしませんでした。
写真を撮ったころは、1985年3月のダイヤ改正で東京口の牽引機関車が、EF65形PFから、もとは貨物用のEF66形に交代した直後でした。14系14形寝台客車とともに九州ブルートレインの終焉まで活躍しました。「さくら」の愛称が九州新幹線で復活したのは、なんとなくうれしい気がします。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 横浜ー川崎間】