2011/06/26

東京急行電鉄9000系(9008F)

 先週の日曜日に東急大井町線の尾山台まで出かけて撮影してきました。何ヶ月かに1回は訪問しておりまして、定期パトロールのようになってます。
 現在大井町線でも節電ダイヤを実施中で、平日の朝夕を除いて各停は大井町ー二子玉川間の運転になっています。
 その他、駅の照明を落としたり、車内の照明を切ったり、空調を抑えたりときめ細かな節電策を実施しています。写真の電車の窓が開いているのがわかりますか?
 写真の9008Fは1988年8月に東急車輌で完成したものです。東横線で活躍していましたが、2011年1月に大井町線に転属してきました。

京浜急行電鉄1000形(1485編成)

 京浜急行でも現在節電ダイヤを実施しており、1時間に京急川崎ー金沢文庫間の普通電車を3本削減しています。
 このため上大岡駅で下りA快特に接続する普通がないという状況だそうです。普通しか止まらない駅を利用している方は不便を感じておられるでしょう。
 中期的な展望では、京急蒲田駅付近の高架化が完成するときにダイヤが大きく見直されるでしょう。急行と普通の比率が変化するかもしれないですね。
 写真の1485編成は2009年6月に川崎重工で完成したもので、新1000形の9次車に相当します。4連も普通の他、増結用や2本つなげてのエアポート急行など幅広く活躍しています。

京浜急行電鉄1500形(1601編成)

 昨日は新橋まで出て「ゆりかもめ」を撮影しようと思っていたのですが、雲行きが怪しくなってきましたので予定を変更して京浜東北線の新子安で下車して京急を撮り鉄することにしました。
 晴れているとビルの影や架線の影が写真に写ってしまいますが、曇りだと安心して撮影できます。遍照院近くの踏切から撮影しました。6連までは編成全部を写せるポイントです。
 京急の中では中堅どころの1500形がやってきました。快特から普通までをこなすオールラウンダーです。近年では普通列車での運用が多くなっています。
 写真の1601編成は1988年1月に東急車輌で完成しました。2010年3月に京急ファインテック久里浜工場でVVVF化改造を受けています。

2011/06/23

リニア・鉄道館クハ111-1

 リニア・鉄道館には懐かしい「湘南電車」も展示されています。私にとっては子供の頃から慣れ親しんだ電車です。
 当時は東海道線と横須賀線が東京ー大船間で線路を共用しており、「湘南色」「スカ色」の混色編成を見た記憶があります。
 2006年3月のダイヤ改正まで113系は東海道線の東京口で活躍していましたが、ヘッドライトの大きいタイプはかなり前に姿を消しましたね。
 写真のクハ111-1は1962年に日本車輌で完成したものです。東京口で使用されましたが、静岡地区に転用されました。佐久間レールパークでも展示されていました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館ホジ6014

 蒸気動車が保存されているのはリニア・鉄道館だけではないでしょうか?蒸気動車とは客車の中に小型の蒸気機関車が内蔵されているような構造で、1両での運転を可能にしたものです。
 明治末期からローカル線で使用されたそうです。現在のディーゼルカーの先祖のような車両ですね。
 写真のホジ6014は1913年に汽車製造で完成したものです。1943年まで関西本線などで運転されていました。
 リニア・鉄道館に収蔵されるまでは、明治村に長らく展示されていました。1962年に鉄道記念物に指定されています。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/19

リニア・鉄道館C57 139

 無骨な輸入電機2両のうしろには、C57形蒸気機関車が展示されております。C57形といえば「やまぐち」号の1号機、「ばんえつ物語」号の180号機という2両の動態保存機が高名ですね。また最後のSLによる旅客列車を牽引した135号機が鉄道博物館で保存されております。
 C57形蒸気機関車は北海道から九州まで幹線・亜幹線(最近あまり聞かない言葉ですね)で幅広く活躍しました。またC57形には「貴婦人」というニックネームがつけられておりました。確かに優美なスタイルの蒸気機関車だということはできるでしょう。
 とはいうものの皆さんのご存じの通り、SLとは効率の悪いものでした。そしてSLの乗務も過酷なものでした。つい先日どこかの鉄道会社で乗務員が居眠りしていたらしいですが、SLでは絶対に無理です。
 輸送用の機械でありながら、人間臭い。それがSLです。電化やディーゼル化される過程において多くの鉄道ファンを引きつけたのもなんとなくわかるような気がします。私自身はリアルタイムで経験するには少し遅かったのですが、当時の熱気は想像できます。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館ED18 2

 1992年に復活し、2005年までイベント列車などで使用されたED18 2もリニア・鉄道館に展示されています。飯田線などで走っているのを撮影された方もおられるのではないでしょうか?
 もとはED11形と同様、東海道線・横須賀線の電化に備えて輸入された電気機関車の1形式です。ED17形と称しましたが、動力台車の中間に、負荷軽減用の遊車を追加して支線でも走れるようにしました。
 この手法はのちにED61形→ED62形でも採用されました。支線はレールが幹線より軽いですから、重い車両は入線できないという理屈ですね。
 写真のED18 2は1923年にイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社で完成したものです。改造後は飯田線で使用され、1970年代に廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館ED11 2

 1925年12月に東海道本線の東京ー小田原間、横須賀線の大船ー横須賀間の電化が完成しました。当時はまだ国内で電気機関車を製造することができなかったので、輸入により調達しました。
 写真のED11形はアメリカのGE社で製造されたものです。GEといえばアメリカの代表的な大企業ですね。ビジネスマンや経営学を学んでいる学生の方はジャック・ウェルチの自叙伝などを読んでなじみが深いかもしれません。
 話が脱線しましたが、製造銘板にもGE製であることが明記されています。現在東海道線を走るJR貨物の新鋭機関車やベテランのEF65形に比べるとずいぶんと小柄ですね。それでいて無骨なスタイルです。電気機関車も最初は輸入して、技術を消化して国産化しています。
 写真のED11 2は1922年にGE社で製造したものです。現役時代の最後は国鉄浜松工場の構内入換用に使用されました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/18

リニア・鉄道館モハ10 35

 モハ52形「流電」の右隣に展示されているのが、モハ1形電車です。モハ1形電車は鉄道省が1921年から製造した通勤用の電車です。京浜線や中央本線などで使用されました。現代のE233系の遠祖ともいうべき電車です。
 車体は木製です。車内の様子をご覧いただくとよくわかります。現代の通勤電車とは全く雰囲気が違いますね。
 ちなみにモハ1形は乗務員室が、客室と独立した初めての電車だそうです。それまでは路面電車のように客室の隅に運転台があったような感じだったのでしょう。
 写真のモハ10 35は1922年に汽車製造で完成したものです。1938年に三信鉄道(飯田線の前身)に転籍し、さらに1958年には大井川鉄道に転じました。1994年にJR東海が引き取っております。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/16

リニア・鉄道館モハ52 004

 モハ52形電車は「流電」として知られる電車で1936年から37年に中間車を含めて12両が製造されました。当時は鉄道車両に流線型がとりいれられ、国鉄ではC53形やC55形に流線型のカバーをつけたものも登場しました。
 名鉄の850形「なまず」や3400形「いもむし」なども同時期に製造された電車ですね。その他同時期に製造された路面電車にも、横浜市電1100形など流線型の影響を感じさせる電車があります。
 モハ52形は当初京阪神間の急行に投入され、その後阪和線に転じました。1957年以降飯田線に転属して引退まで活躍しました。「スカ色」で走る姿を鉄道誌で見た記憶があります。
 写真のモハ52004は1937年に川崎車輌で完成したもので、1978年に廃車となりました。製造当時の姿に復元されて展示されていますね。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/12

リニア・鉄道館クハ381-1

 1973年7月のダイヤ改正で中央西線・篠ノ井線の電化完成に伴い、特急「しなの」6往復に381系特急形電車が投入され、名古屋ー長野間を3時間20分で結びました。さらに1975年8月のダイヤ改正では2往復残っていたキハ181系の運用も381系に置き換えられました。
 381系電車は振り子電車で、カーブを通過するときに振り子のように車体を傾けることで通常の車両よりも20km/h速く通過できます。カーブの多い路線を高速化するにはもってこいの車両です。その後紀勢本線の特急「くろしお」の電車化、伯備線の特急「やくも」の電車化にも投入されました。
 私は中央東線の特急「あずさ」になぜ381系を導入しないのか不思議に思っていましたが、JR東日本が1990年代に振り子式のE351系を導入し、わが意を得たりと思いました。しかしE351系の製造は60両で中止となり、その後は非振り子式のE257系が大量投入されました。振り子電車は高価で国鉄時代も福知山線・高山本線への投入がボツになっています。
 写真のクハ381-1は1973年川崎重工で完成したもので、長野運転所に新製配置されました。1982年11月のダイヤ改正で「しなの」用の381系88両は神領電車区に転属しました。1996年11月に後継の383系に代替され、「しなの」定期運用から退きました。その後も381系は長野オリンピック輸送の臨時列車などに起用されましたが、1998年から2006年にかけて廃車されました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館キハ181-1

 キハ181系特急形気動車は1968年10月のダイヤ改正で新設された特急「しなの」に投入され、名古屋ー長野間を4時間11分で結びました。従来の急行に比べて約40分の時間短縮でした。
 キハ181系の特徴は500馬力のDML30HSE形ディーゼルエンジンを新たに搭載したことで、既存のキハ82系では対応できなかった急勾配路線の高速化を可能としました。中央西線の他、奥羽本線の特急「つばさ」、予讃線の特急「しおかぜ」、土讃線の特急「南風」などにも投入されました。
 中央西線や奥羽本線はその後電化されましたので、キハ181系の活躍場所は山陰や四国に移って行きました。幡但線を経由する特急「はまかぜ」を最後に現役を退きました。JR西日本や四国では塗装変更されましたが、リニア・鉄道館では美しい国鉄色で展示されております。
 写真のキハ181-1は1968年8月に富士重工で完成したもので、名古屋機関区に新製配置されました。「しなの」の381系電車化に伴い1974年には高松運転所に転属して四国の特急列車に使用されました。1993年3月に廃車となりましたが、JR東海に引き取られ佐久間レールパークで展示され、リニア・鉄道館に収蔵されました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館922-26

 リニア・鉄道館には、黄色い新幹線も保存されています。922形新幹線電気軌道総合試験車というのが正式名称です。「ドクターイエロー」のニックネームでおなじみですね。
 新幹線の安全な運行を保つために、走行しながら架線や信号・線路の検査・測定を行います。営業列車と同じように走れるよう0系新幹線電車を基本として製作されています。
 車内には各種の測定機器を満載しております。展示されている先頭車には窓がたくさんありますが、中間車では窓がかなり少なくなっています。
 写真の922-26は1979年に日立製作所で完成したもので、7両編成の7両目に相当します。現在では700系をベースにした試験車両が活躍していますね。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/11

リニア・鉄道館323-20.322-9001(東海道・山陽新幹線300系)

 東海道新幹線の看板列車である「のぞみ」は1992年3月のダイヤ改正で2往復の運転を開始しました。「のぞみ」用に新たに設計されたのが300系電車です。
 サービス面の改善が顕著だったとはいえ、技術的には0系の延長線上にあった100系とは異なり、飛躍的な進化を遂げています。アルミ製の軽量車体にVVVFインバータ制御による大出力の誘導電動機を搭載し、東海道新幹線での270km/h運転を実現しました。
 東京ー新大阪間を2時間30分で結びましたが、食堂車もなくなり味気なくなった部分もあります。とはいえ今や「のぞみ」も毎時4本ずつが設定され、品川駅開業や新横浜停車により便利となりました。車両もN700系や700系に置き換わってより快適になっています。
 時の流れは速いもので300系も「こだま」専用に近くなっています。JR東海では9本しか稼働編成がないそうです。近いうちにN700系Aなんていう新形が登場して700系の廃車が始まるそうですから。

 リニア・鉄道館では御覧のように323-20の隣に試作車の322-9001を展示しています。323-20は1993年に日本車輌で完成したもので、322-9001は1990年に日立製作所で完成したものです。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館123-1.168-9001(東海道・山陽新幹線100系)

  東海道新幹線は1964年の開業以来、85年まで0系を増備し続けました。途中1000番台から窓が小さくなり、転換クロスシートだった腰掛がリクライニングシートになったりしましたが、基本設計は同じまま20年以上増備が続きました。
 国鉄の分割・民営化前夜ともいうべき1985年になってやっと、第二世代の新幹線として100系の試作編成が姿を現しました。丸みを帯びた0系とは異なり、すこし拗ねたような表情のニュー新幹線でした。山下達郎の歌が流れるCMを記憶している方もあるかと思います。
 サービス向上を目的として、車内のインテリアも0系に比べるとずいぶんと良くなりました。車内で停車駅や通過駅、ニュースなどのテロップを流すようになったのも100系からです。
 そして100系の目玉となったのは、個室を備えた二階建てのグリーン車と食堂車でした。100系は1986年6月に12両編成で暫定的に「こだま」に投入されましたが、1986年11月のダイヤ改正で二階建て車両2両を含む16両編成で「ひかり」に投入され、好評を博しました。

 食堂車は1階が調理室と廊下、2階が食堂となりました。眺めもよく、落ち着いて食事を愉しめるというわけですね。鉄道ならではのすばらしいサービスです。現在でも走る寝台特急「カシオペア」のダイニングカー(食堂車とは呼ばないんですね)も一回り小さいですが、こんなレイアウトです。
 1階の厨房で調理された食事は、エレベーターで2階の食堂に運ばれます。私は0系の食堂車は利用したことがありますが、残念ながら100系の食堂車を利用する機会がありませんでした。
 100系の食堂車で驚くのは食堂妻面のレリーフ。歴代の東海道線を走った車両たちが美しく描かれています。鉄道車両の域を越え工芸品に近い風格があります。リニア・鉄道館を訪問して初めて実際に見ましたが、これは素晴らしい。
 素晴らしい100系食堂車でしたが、試作車を含むX1~X7編成で増備が終了し、JR東海が1988年から92年にかけて製作したG1~G50編成では食堂車はカフェテリア方式の売店付きのグリーン車に変更されてしまいました。その他JR西日本では食堂車を含む二階建て車両4両を組み込んだ100系3000番台V1~V9編成を投入しました。
 写真の123-1は1986年7月に日立製作所で完成したもので、量産第一編成に相当します。2000年に廃車されています。168-9001は1985年3月日本車輌で完成したもので、試作編成です。2000年4月に廃車となりました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/10

リニア・鉄道館21-86.36-84(東海道・山陽新幹線0系)

 さすがに直通列車こそ走っておりませんが、いまでは青森から鹿児島まで新幹線で結ばれている時代です。多彩な新形車両や新在直通車両(ミニ新幹線)も走っております。しかし私のようなおじさんには新幹線といえば0系なのであります。
 母の実家が京都ですので、夏休みに遊びに行くため私も小学生の頃から新幹線を利用しました。新横浜には「こだま」しか停車せず、「ひかり」に乗るためには東京まで出る必要がありました。新横浜に「ひかり」が多く停車することになったのは1985年3月のダイヤ改正からでした。
 年代までははっきりしませんが、家族で「ひかり」に乗ったときに食堂車に連れてもらった記憶があります。コロッケを食べたような気がします。列車の中でありながら、市中に近い食事がとれ、さすが特急・さすが「ひかり」などと思いました。
 なぜ食堂車が新幹線にあったかというと1975年3月に山陽新幹線が全通し、「ひかり」が東京ー博多間を6時間56分で結びましたが、所要時間が長かったからなのですね。当時は在来線の特急でも長距離を走る列車にも食堂車が連結されていました。列車の中でコックさん、ウェイトレスさんが働いていたわけです。
 新幹線は車体の幅が広いので、通路は食堂の外にありました。食堂と通路の間に窓はありませんでしたが、改造により窓が設けられました。理由は窓がないと食事中に富士山が見えないから・・・。しゃれていると思いませんか?
 0系の食堂車は1999年には完全に姿を消してしまいました。東海道新幹線も混むようになり、食堂車を外してよりキャッシュを生む座席車を増結したかったようです。今では列車も速くなり、市中のレストランや車内販売も充実、食堂車がなくても困りはしないのですが、予約しなくても利用できた「ひかり」の食堂車が懐かしいです。
 写真の21-86は1971年に汽車製造で、食堂車36-84は1975年に日立製作所で製造されたものです。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館MLX01-1

 リニア・鉄道館の展示車両でもっとも目立つのが超電導リニアのMLX01-1であります。超電導リニアとは車両に載せた超電導磁石と地上に設置したコイルの間に生じる磁力で浮上して走るものです。超電導リニアは「鉄道」ですが、もはや別の乗り物という感じがしますね。
 2027年に中央リニア新幹線として品川?ー名古屋間を開業すべく動きだしております。JR東海にとって社運をかけた基幹事業ですね。つい先日も中間駅の候補地が新聞で報じられました。神奈川県では相模原市に中間駅を設けるそうです。
 2003年には、山梨リニア実験線での試験運転で、581km/hという鉄道による世界最高速度を記録しております。
 写真のMLX01-1は1995年に三菱重工業で完成したものです。2005年には実験走行を終了し、愛知万博で展示されました。その後腐食試験に供されたのち、リニア・鉄道館に収蔵されました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館955-6

 C6217の隣に展示されているのが955形新幹線電車の6号車です。955形電車は300系「のぞみ」の運転開始により、東海道新幹線での270km/h営業運転を達成したJR東海がさらなる高速化をめざした「300X」プロジェクトのために開発・製作した試験用車両です。
 955形電車は7年間にわたり約600回の試験運転を行い、のちの高速化のための様々なデータを残しました。また試験走行の成果は700系やN700系の仕様にも反映されております。
 1996年に電車方式としては当時の世界記録となる443.0km/hを記録しました。この記録は惜しくも2006年12月フランスのTGVによる540km/hによって破られました。さらにTGVは翌2007年4月には574.8km/hと記録を伸ばしております。
 955-6は1994年12月に日立製作所で完成したもので、東京第二新幹線総合車両所に新製配置されました。2002年1月に試験車両を終了し、2月に廃車となりました。反対側の先頭車である955-1は米原にある鉄道総研の風洞試験センターに保存されています。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/09

リニア・鉄道館C6217

 今日は名古屋駅から「あおなみ線」に乗車して約30分、終点である金城ふ頭駅近くに開館した「リニア・鉄道館」に行って参りました。
 エントランスホールをくぐると、いきなりそれぞれの領域で速度記録を打ち立てたレコードホルダーたちが迎えてくれます。
 ますはC62形蒸気機関車の17号機。1954年に実施された木曽川橋梁での強度試験において、129km/hを記録しました。これは狭軌(軌間1.067mm)の蒸気機関車における世界記録であります。
 17号機は1948年12月に日立製作所で完成したものです。東海道・山陽本線で特急列車の牽引などに活躍し、最終的には呉線に転じました。1971年に廃車となってから名古屋市内の東山動植物公園に展示されていましたが、リニア・鉄道館に収蔵されました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/06/08

横浜新都市交通1000形(1081編成)

 シーサイドラインは根岸線の新杉田を起点にして、京浜急行の金沢八景まで10.6kmを結ぶ路線です。東京の「ゆりかもめ」「舎人ライナー」や神戸の「ポートライナー」などと同じ新交通システムの路線です。
 シーサイドラインの開業は1989年7月です。私は京浜富岡駅(当時)を最寄りとする県立富岡高校(これもまた当時)に通っていたもので、シーライドラインの高架が立ちあがってきたのをよく覚えています。マラソン大会なる行事があって並木団地のあたりで、走りながら「お、工事してるぞ」みたいに思ってました。
 結局シーサイドラインは高校通学中には完成しませんでした。当時根岸線沿線から富岡高校(現在はお隣の東金沢高校と統合され、金沢総合高校)に通うには、京浜急行の横浜乗り換えか新杉田→杉田徒歩連絡、または新杉田から横浜市営バスの61系統の三択でしたね。
 写真の1081編成は1989年6月に新潟鉄工所で完成したものです。1000形は開業に備えて17編成が製造されました。2011年2月から新形の2000形が走り始めました。1000形は順次2000形に代替される予定です。
【撮影:佐野次郎 2011.6.7海の公園柴口駅】

2011/06/07

武蔵野線205系(ケヨM2編成)

 京浜東北・根岸線といえば、スカイブルーの103系や異例の早期置換えで話題となった209系電車の印象が強いと思いますが、1989年から1995年にかけて205系電車が使用されておりました。
 1989年から90年にかけて6編成が新製配置されましたが、92年には209系電車の投入により3本が中央・総武緩行線と横浜線に転出し、95年には残る3本も埼京線の恵比寿延伸用に転出して姿を消しました。
 92年に中央・総武緩行線に転出した2編成はさらに武蔵野線に転じております。電動車はVVVF制御の5000番台に改造されています。
 写真のケヨM2編成は1989年10月に川崎重工で完成し、浦和電車区に新製配置されました。中央・総武緩行線に転用されてから、さらに2002年3月に大宮総合車両センターでVVVF制御に改造され武蔵野線に転用されました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.6 葛西臨海公園駅】

2011/06/06

東武鉄道200系(208F)

 東武伊勢崎線を走る特急「スペーシア」・「りょうもう」の一部編成は、「がんばろう日本」のヘッドマークを掲げて運転しています。
 特急「りょうもう」に使用されているのが200系電車です。丸みを帯びた「スペーシア」100系電車とは対照的にシャープなデザインとなっています。ローズレッドのラインは急行「りょうもう」で使用されていた1800系電車から継承したものですね。
 200系は特急「けごん」」「きぬ」に使用されていた1720系電車から台車と主電動機を流用しています。制御装置はJR205系などと同じ添加励磁制御として、電力回生ブレーキを使用可能としています。また定速運転装置を導入してスピードアップを図っております。
 写真の208Fは1720系の1721Fを1998年1月に、東急車輌で車体更新したものです。現在ではパンタグラフがシングルアーム式に換装されています。

2011/06/04

東武鉄道6050系(6174F)

 東武鉄道の浅草といえば、日光や鬼怒川温泉への玄関口というイメージがあります。さすがにJR線こそ通っておりませんが、地下鉄銀座線・浅草線という老舗の2路線が通っていてそれほど不便だとも思えません。
 そんな浅草からの看板列車といえば特急「スペーシア」ということになるでしょう。20年以上走っているのにいまだに新鮮さを失っておりません。凄い電車です。また先代の1720系も特急の風格あふれる何とも味のある電車でしたね。
 とはいうものの「スペーシア」が走り始めて間もない90年代初めに大学のサークルの合宿が日光で行われ、利用したのが特急料金不要の写真の6050系です。6050系は快速用として活躍していた6000系を野岩鉄道直通のために1986年に大改造したものです。
 写真の6174Fは1988年6月にアルナ工機で完成したものです。6000系の改造ではなく完全な新製車両です。2006年には霜取り用のパンタグラフを増設しています。

東武鉄道10000系(11603F)

 東武鉄道の伊勢崎線は、北千住で東京メトロ日比谷線、押上で東京メトロ半蔵門線と1線で2路線の地下鉄と相互直通運転しているという珍しい路線です。
 また北千住ー北越谷間の18.9kmにも及ぶ複々線区間は関東の民鉄では最長のものです。それだけ利用客も多く、重要度の高い路線だということがいえそうですね。
 そんな伊勢崎線の本来のターミナルは浅草です。土地の制約により6両編成しか入れません。かつては急行も発着していましたが、急行は半蔵門線直通にシフトしたため区間準急が役割を引き継いでいます。
 写真の11603Fは1984年7月に東急車輌で完成したものです。伊勢崎線の10000系は車体改修が進んでおり、11603Fも2008年度に改修を施行して、パンタのシングルアーム化、スカートの増設、車内のリニューアルなどが行われております。

2011/06/03

神奈川臨海鉄道DD55形(14号)

 横浜本牧の主な交通機関は市バスで電車はありません。しかし鉄道は通っています。根岸駅と本牧埠頭駅を結ぶ神奈川臨海鉄道本牧線が通っています。貨物輸送専業で、旅客輸送はやっていませんが。
 臨海鉄道は臨海部の工業地域から内陸部へ大量輸送体制を構築することを目的として、1960年代から国鉄の一部出資により整備が行われたものです。神奈川臨海鉄道本牧線は1969年10月に開業しました。
 神奈川臨海鉄道本牧線を最近「ブラタモリ」でとりあげられたことでご記憶の方も多いかと思います。またC56形蒸気機関車を保管していることでも知られていますね。
 写真のDD5514は1976年8月に富士重工で完成したものです。DD55形は旧国鉄のDD13形に準じたディーゼル機関車ですが、初期車の廃車が進んでおり14号機は最古参となります。

2011/06/02

桜木町駅の列車接近表示器

 私は通勤に京浜東北・根岸線を利用しております。自宅の最寄駅は山手駅ですので、帰宅時には大船行か磯子行に乗る必要があります。
 ところが夕方のラッシュ時から夜間にかけては桜木町行というのもちょこちょこ走ります。桜木町行が来るととりあえず乗車して、桜木町駅で大船行か磯子行の電車を待ちます。
 桜木町駅のホームには通過列車の接近を知らせる表示器が設置されています。写真の通り103系の低運転台車をモチーフにしていますが、JRマークはしっかりと入っています。
 桜木町駅が改築されて今のスタイルになったのは90年代初めで、その頃に設置されたものと推測されます。この表示器が点灯すると貨物用の電気機関車がゆっくりとホームを通過していきます。
【撮影:佐野次郎 2010.8.7 桜木町駅】