2011/12/31

東武鉄道亀戸線


東武鉄道亀戸線は、亀戸ー曳舟間3.4kmを結ぶ路線です。開業は1904(明治37)年と古く、総武鉄道(現在の総武線)の両国まで乗り入れ、また伊勢崎線の久喜までを結ぶ本線の一部となっていました。当時は蒸気機関車による運転でした。
1910年には総武線へ乗り入れを中止して、浅草ー曳舟間が本線となり、亀戸線は支線となりました。これは総武鉄道の国有化がきっかけとなっています。1928年4月には、亀戸線は全線電化されました。越中島まで延長する構想もありましたが、実現しませんでした。

 亀戸線は、8000系のワンマン車2両編成によって運転されています。日中でも10分間隔で運転され、支線といえども利便性はまずまずといえるのではないでしょうか?
亀戸線の駅には、徐々に数を減らしている構内踏切が残されています。ホームも狭い駅がありますので、訪問時には十分注意しましょう。
【撮影:佐野次郎 2011.12.31 亀戸水神ー東あずま間】

京浜急行電鉄600形(652編成)

京浜急行600形は更新工事が進行中で、8両編成については604・608編成を除く6編成の工事が既に完了しておりますが、4両編成については初めてとなる652編成の工事が完了しました。
600形の4両編成は、システムの大幅な見直しが行われ、シンプルな構成を採用してコスト低減を目指した2M2Tユニットとなりました。またパンタグラフがシングルアーム式となっています。車内については座席配置を見直し、扉間は4人席1区画と2人席の配置となりました。
更新工事によって、ワイパーカバーに600と形式名のスリットが入り、車内はロングシート化されました。また空調装置や排障器の交換や、モニタ装置・転落防止幌の増設が施行されました。
写真の652編成は、1996年3月に川崎重工で完成したものです。2011年10月に京急ファインテック久里浜工場で更新工事を完了しております。

2011/12/25

東京急行電鉄6000系(6104F)

2008年3月ダイヤ改正での本格的な急行電車の運転開始に備えて、新形式の6000形電車が投入されました。大井町線に新製配置されたのは、1988年に投入された9000系の9007F以来久しぶりになります。
この6000系は、田園都市線の5000系をベースとして設計されたものですが、前面デザインや側面のカラーリングが独自のものですので、まったく違う印象を受けます。東横線の特急にも、これくらいインパクトのある電車を投入してもらいたいものですが、そういう計画はないようです。
それはともかく大井町線の急行で大井町を出ると、大岡山で目黒線の急行で同一ホーム上で乗り換えでき、さらに武蔵小杉でも東横特急に同一ホームで乗り換えできるのは感心します。JRでは階段を上り下りして乗りかえる路線がほとんどですからね。
写真の6104Fは、2008年3月に東急車輌で完成したものです。休日には田園都市線にも乗り入れてきますね。

2011/12/21

東京急行電鉄8590系(8692F)

東急大井町線では、かつて東急東横線・みなとみらい線で活躍していた8590系15両(5両編成3本)も使用されています。
8590系は東横線で急行を中心に使用されていた8090系を、地下鉄路線であるみなとみらい線で走らせるために、正面に貫通扉を設けた先頭車を新造して、編成を組み替えた電車ですね。
みなとみらい線といえば、当初は東横線ではなく、横浜線と直通することを考えていたようですね。国鉄の財政難によって、東横線と直通するようになりましたが、現在の姿のほうが便利ですね。
写真の8692Fは1988年11月に東急車輛で先頭車が新製されました。2006年3月に長津田検車区に転属し、大井町線用となりました。パンタグラフはシングルアーム式に換装されましたが、行先表示は幕式のままですね。

2011/12/20

東京急行電鉄8500系(8641F)

東急田園都市線の主力として、長年にわたって活躍を続けている8500系ですが、大井町線にも20両(5両編成4本)が活躍しています。
もともとは5両編成を2本つなげた10両編成として、新玉川線・田園都市線で使用されていましたが、2003年から大井町線の8000系を置き換えるために転属してきたものです。
5両編成だったのはもともと、大井町線との共通予備車だったからというわけです。田園都市線と大井町線は同じく長津田検車区を車両基地としており、田園都市線を大井町線用の電車が入出庫のために回送されるのを見ることができますね。
写真の8641Fは1986年12月に東急車輛で完成し、長津田検車区に新製配置されました。編成すべてが軽量構体車です。大井町線用の8500系は、田園都市線用とは異なり、パンタグラフがシングルアーム式に換装されています。

2011/12/17

東京急行電鉄8500系(8633F)

田園都市線の主力となっている8500系のうち、1983年以降に製造された車両については、車体に軽量構体を採用しています。
軽量構体とは、1976年に東急車輌が開発に着手したもので、三次元解析による強度分析によって、構体の軽量化を図ったものです。1978年には東横線の8000系に組み込む試作車デハ8400形2両を製造して試験を行い、1980年の8090系で本格的に採用されました。
この技術は国鉄→JRの205系電車にも採用され、そのほかの関東民鉄の車両にも波及しました。80年代後半から90年代の通勤電車には、広く採用されたものです。側面のコルゲートが少なくなったのが特徴ですが、8500系では在来構造の車両と同じコルゲートが残されています。
写真の8633Fは1983年11月に東急車輌で完成したもので、10連で登場しました。同年から新玉川線・田園都市線8500系の10連化が始まりましたが、全編成が10連化されたのは1991年のことでした。

2011/12/11

東京急行電鉄5000系(5107F)

同じ東急でも、東横線では、ほとんどこの電車がやってくるように感じる5000系列ですが、田園都市線では、車両の種類が多いこともあって5000系にも新鮮味があるように感じます。
田園都市線の5000系は、5104F~5117F.5120Fが6ドア車を3両も編成中に組みこんでいますね。ラッシュ時の急行を、旧新玉川線内各駅停車の準急にせざるをえなかったのと同様に、田園都市線の混雑の激しさを現していますね。
また島式ホーム1面の田園都市線・半蔵門線渋谷駅も、終日混雑していますね。多くの警備員を投入して、安全確保にあたっているようです。周囲の空間の余裕も乏しいとのことで、拡幅も難しいそうですね。
写真の5107Fは、2005年4月に東急車輌で完成したものです。ここ数年は田園都市線への新車投入が止まっております。東横線への投入が一段落したら、再開されるでしょう。

東京急行電鉄8500系(8625F)

今日は久々に東急田園都市線の撮影に出かけてきました。つくし野駅で降りて、定番の線路沿いの撮影地でいつものように編成写真を撮影致しました。
このあたりは、いわゆるお屋敷が立ち並んでいますね。一軒家がほとんどですが、一軒あたりの家が大きいですね。条例で規制されているそうです。
田園都市線も、東急・東京メトロ・東武の電車がそれぞれ走りますが、東急のベテラン8500系は走行音が賑やかなのですぐにわかります。副都心線直通に伴う東横線への新車投入のあおりを受けて新形車への置換えが中断していますが、今のうちに記録しておきたい電車です。
写真の8626Fは、1976年12月に東急車輌で完成したものです。新玉川線の開業に備えて投入されたグループで、当初は6連でした。1995年に行先表示をLED化、2003年に排障器を設置しています。

2011/12/10

小田急電鉄8000形(8261F)

小田急電鉄でも、1000形以降の電車はステンレス製の車体となり「銀色の電車」ですので、8000形がアイボリーの塗装を施した最後の通勤電車ということになります。この塗装は、なかなか感じのよいものだと私は思っています。
8000形も登場後20年を過ぎた2002年から、車体修理が始まっています。座席のモケットがバケットタイプとなり、窓ガラスをUVカットの遮光ガラスに取り替えて、カーテンを撤去したりするなどの変化があります。また扉上部に案内装置を増設しています。
主回路も3編成目からIGBT-VVVFインバータ制御に更新されています。主電動機は出力190kWの誘導電動機MB-5102-A形に換装しています。またブレーキ装置も電気指令式ブレーキに変更されています。
写真の8261Fは1985年2月に東急車輌で完成したもので、6連としては4次車に相当します。2006年8月に車体修理を施行しています。

小田急電鉄8000形(8251F)

小田急でも電車の世代交代が進み、あれだけ走っていた「小田急顔」の電車も4両編成が2本残るだけになっています。8000形は、「小田急顔」の5000形・5200形のあとをうけて、1982年から87年にかけて160両(6両編成と4両編成が16本ずつ)製造されたものです。
8000形の車体は普通鋼製ですが、ようやく「小田急顔」から脱却しています。私は中学生の頃、8000形の登場を「鉄道ファン」誌で知り、カッコいい電車だなあと思ったものでした。また成人してから、少しの間通勤で利用してなんとなくうれしく思いましたね。
8000形の主回路は界磁チョッパ制御を採用しております。現在では更なる省エネルギー化と、メンテナンスの効率化を目指して、VVVFインバータ制御への取替を進めていますね。導入当時に意図した通り、長期間にわたって使用する方針のようです。
写真の8251Fは、1982年12月に東急車輌で完成したもので、6連の1次車に相当します。2003年2月に、8000形としては真っ先に車体更新を行いましたが、主回路は界磁チョッパ制御のままとなっています。

2011/12/09

根岸線の103系

今でこそ京浜東北・根岸線には小ぎれいなE233系1000番台が走っていますが、かつては103系の天下でした。
ATCと呼ばれる新形の保安装置に対応して、運転台の位置を高くした後期形の車両が先頭についていましたが、編成中心にはクモハ103やクハ103-500番台といった初期形の車両も連結されていました。クーラーのない車両もたくさんありました。
寒々とした感じのブルーの座席や、グリーンの化粧板、そして銀色の乗降扉の内張り。私はこの電車といっしょに大きくなったような気がします。そしてMT54形モーターの高らかな回転音。思い出いっぱいの電車です。
現在走っているE233系よりも、103系電車のほうが乗り心地が良かったような気がします。停車時のガックンなんて当時はあったかな?記憶が定かではないですが・・・。しかし高校生の頃は、新杉田ー石川町間の短区間の乗車でも座ると爆睡できました。若かったのですね。
【撮影:佐野次郎 1992.2.4 石川町ー山手間】

2011/12/03

宮坂区民センター デハ601

東急世田谷線の宮の坂駅のホーム横には、デハ601号電車が保存されています。世田谷区立宮坂区民センターの施設だということです。
この電車は玉川線のデハ80形の87号として製造され、江ノ島電鉄に譲渡されてデハ601号となったものです。
駅のすぐそばに、保存車両が展示されているというのは、なかなか珍しい光景といえそうですね。その代わり、車両の全景を写すのは難しい展示位置となってます。
塗装は世田谷線で活躍した同形のデハ80形と同じ緑一色、車号は江ノ島電鉄当時の601号と、それぞれの歴史を反映した姿で展示されています。
【撮影:佐野次郎 2011.11.26】

過去の記事から
江ノ島電鉄で現役当時のデハ601号

東京急行電鉄300系(301F)

東急世田谷線は、東急では唯一の軌道線で、1925年に玉川電気鉄道によって開業したものです。玉川線の一部でしたが、1969年に新玉川線建設工事のために渋谷ー二子玉川園間が廃止されたため、独立して世田谷線となりました。
世田谷線は全線専用軌道で、閑静な住宅街を縫って走ります。かつては古い電車が2両連結で走っておりましたが、1996年に三軒茶屋駅を、再開発ビル「キャロットタワー」に移設、2001年に全車両を現行の300系に置き換えて近代化されました。
現在では、PASMOやSUICAでも乗車可能ですので、より利用しやすくなったという印象があります。90年代でも旧式の緑色の電車が走っていた世田谷線とは様変わりです。また現在の田園都市線の混雑からは玉川線が走っていた当時を想像することは難しいですね。
写真の301Fは1999年7月に東急車輌で完成したものです。当初は旧形車と併用されたため、乗降扉にステップを装備していましたが、2001年にホームのかさ上げが完了したため撤去しています。現在は玉電リバイバルカラーで営業運転に就いています。

2011/11/27

東京急行電鉄300系(306F)

東京都内に残る路面電車である東急世田谷線と都電荒川線が、両線にそれぞれ1編成しかない『黄色い電車』を見つけると幸せになれる」をテーマに、共同企画「黄色い電車でハッピーに!」を実施しています。
期間中は両編成はヘッドマークを掲げて運転されています。健さん主演のあまりにも有名な映画「幸福の黄色いハンカチ」やヒマワリの花の色からも、確かに黄色=ハッピーという感じはします。そして鉄道ファンの方なら中央・総武緩行線の色を連想するかもしれません。
私はベタですが、黄色といえばキレンジャーを連想しますね。そうカレーライスばかり食べていたあの人です。カレーライスにも、人を幸せにする力があるような気がしますね。
写真の306Fは、2000年12月に東急車輌で完成したものです。中間扉をガラス面積の少ないタイプに取り替えていますね。

東京急行電鉄5050系(5168F)

東急東横線5050系の5168Fは、「花と神社めぐり」スタンプラリーのヘッドマークを掲示して営業運転に就いております。
スタンプラリーといえば、「ポケモンスタンプラリー」とか子供向けのものだという印象がありますが、「花と神社めぐり」はマークに女性が描かれており、より幅広い客層を対象としているようです。でも、実際問題として大人がスタンプを押すのでしょうか?
それはともかくとして、花や神社を見て歩くのは愉しいものです。首都圏でも鎌倉を筆頭にして、いくらでも見るところがあります。撮影するのも楽しいでしょう。
写真の5168Fは、2007年12月に東急車輌で完成したものです。前年度の増備車とほぼ同じ仕様ですが、乗降扉の窓が複層ガラスとなっています。

東京急行電鉄5000系(5121F)

東横線には、本来であれば田園都市線用の5000系のうち、5118F.5119F.5121F.5122Fの4編成が在籍しております。
5000系は東横線用の5050系と比べると、車体幅が2.778mmと20mmだけ狭いのですが、緑色だった帯を5050系と同様にピンクにしてしまえば、見分けがつきません。また今のところ副都心線乗り入れ対応工事を施行された編成はありません。
むしろ座席や壁・床が青系統でまとめられている客室のほうが、5000系の特徴としてはわかりやすいところです。ちなみに5050系の座席は赤です。さらにいえば5050系には、田園都市線用の4ドア組み込みによって捻出された中間車が一部に組み込まれており、これらの車両の客室は青系統です。
写真の5121Fは2009年4月に東急車輛で完成しました。田園都市線で10両編成で営業運転を行ってのち、2010年7月末から東横線での営業運転を開始しています。

過去の記事から
田園都市線在籍当時の5121F

2011/11/26

横浜高速鉄道Y500系(Y512F)

2004年2月に、みなとみらい線の横浜ー元町・中華街間4.1kmが開業し、東急東横線との相互直通運転を開始しました。
東横線の横浜ー桜木町間は廃線となり、東横線とみなとみらい線は列車運行上は一体となっています。運賃の方も一体ですと、利用者としてはありがたいのですが現実にはそうなっていません。
みなとみらい線ですが、休日を除いては比較的空いていますね。思い切って本牧まで通しておけば、ガッツリと通勤客を確保できたように思いますが、本牧に地下鉄が来るにはまだまだ時間がかかりそうです。
写真のY512Fは2004年2月に東急車輌で完成したものです。Y500系は、5050系をそのまま青くした電車ですね。車両番号は10連化を考慮したものでしたが、副都心線への直通に対応して10連化されるのでしょうか?

東京急行電鉄5050系(5152F)

東急東横線では、副都心線への相互乗り入れ用に4000系?が登場し、下の記事のようにいろいろな噂があったのですが、現実には5050系4000番台が登場しました。
現在の東横線では、大井町線への転用が進んでいる9000系を除いては、横浜高速鉄道のY500系、もとは田園都市線用の5000系を含めて、ほとんど5050系が走ってくるような状態となっております。菊名までは、日比谷線直通用の1000系、東京メトロ03系も加わりますが。
東急の電車は総じて清掃が行き届いて、きれいだという印象がありますが、5050系は新しいのでよりきれいな電車だという印象がありますね。個人的な好みでいえば、座席の奥行きが深い9000系のほうが快適だと思ってます。
写真の5152Fは、2004年4月に東急車輌で完成したもので、5050系の1次車に相当します。この編成は副都心線乗り入れ対応工事も施行しておりませんので、オリジナルの状態を維持していますが、最新の4000番台も同じ電車にしか見えないですよね。

2011/11/23

東京急行電鉄5050系4000番代(4101F)

5050系4000番代は、現在工事が進められている東京メトロ副都心線・西武池袋線・東武東上線との相互乗入れに備えて製造された電車です。
相互乗入れの開始後は、東横線の特急・急行は10両編成となり、各停は現行と同じく8両編成で運転されます。特急・急行の停車駅ではホームの延伸工事が進められています。
5050系4000番代は、10両編成という以外には5050系と変化がないように見受けられます。しかも現在は8連になっています。新8000系が出るとか、大井町線の急行用6000系の10連タイプが出るとか、ファンは様々な想像をしておりましたが、もっとも現実的な車両の増備となりましたね。
写真の4101Fは2011年3月に、東急車輌で完成したものです。2011年9月9日から営業運転に入りました。既に試験のため、東上線に入ったりしたそうです。

2011/11/20

リニア・鉄道館ケ90

リニア・鉄道館の展示車両のなかでも異彩を放つのが、写真のケ90蒸気機関車ですね。他の展示車両よりも二回りくらい小型です。
それもそのはずで軌間762mmの軽便鉄道用の蒸気機関車なのです。軽便鉄道といえば、いまでは三岐鉄道北勢線くらいしか残っていません。鉄軌道の中でもまっさきに自動車に駆逐された分野に入るでしょう。過去の写真で思い起こすほかありません。
私などはこの機関車から、子供の頃テレビで観た「走れ!ケー100」という番組を思い出しますね。シャチハタのCMに長いこと出演していた大野しげひささんが主人公=もちろん機関士でした。ケー100は陸も海も走るという機関車トーマスなんか目じゃない凄い番組でしたよ。
写真のケ90は1918年に東濃鉄道が新多治見ー広見間(現在の太多線の一部)を開業するに際して、大日本軌道で製作されたものです。ケ90は1926年に国有化され、28年まで使用されました。その後浜松工場で保管されていました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館キハ82 73

キハ82系特急形気動車は、1961年10月のダイヤ改正で運転を開始したものです。大阪ー青森・上野間の特急「白鳥」や上野ー秋田間での特急「つばさ」などでの活躍が名高いですね。
北海道から九州にかけて、四国を除く全国で活躍した特急形気動車であります。国鉄ならではの車両ですね。その後幹線は電化が進み、国鉄も分割・民営化されましたのでキハ82系のように広域で運用される特急形気動車は作られておりません。
展示車は高山本線の特急「ひだ」のヘッドマークを掲示していますが、現在の「ワイドビューひだ」のキハ85系に置き換わるまで現役でしたので、相当長い間走っていたことになります。私も高校の修学旅行で乗車しました。
写真のキハ82 73号は1965年に日本車輌で完成したものです。またキハ82系といえばKATOのNゲージで古くから商品化されていて、子供の頃百貨店で展示されているのを見て憧れたものです。いまでは百貨店には模型をあまり置いていないようで少し残念です。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

リニア・鉄道館キハ48036

いまからおよそ四半世紀まえ、国鉄の分割・民営化が行われました。その中でも大ナタを振るわれることになったのは貨物輸送と地方交通線でした。
地方交通線については、沿線の人口密度も低く、もともと限定された需要しか見込めないので、経営的には厳しい路線がほとんどでした。民鉄についても経営に行き詰まり、廃止となる路線が出ています。
地方交通線の主力となっていたのが、いわゆるディーゼルカーですね。両運転台で1両でも走れるものや、勾配路線向けに2エンジンにしたもの、酷寒の北海道でも走れるよう対策を施したものなどなど・・・バリエーションも豊かでした。
写真のキハ48036は1956年に東急車輌で完成したものです。称号改正により1957年にキハ11-26号となりました。
【撮影:佐野次郎 2011.6.9】

2011/11/19

京浜急行電鉄1000形(1469編成)

京浜急行の快特といえば、泉岳寺発着のA快特は2100形が中心、都営浅草線に乗り入れるSH快特は1000形・1500形・600形の8両編成で運転されています。列車によっては、品川ー金沢文庫間で4両編成を増結しますね。
平日の朝ピーク時を過ぎた時間には、4両編成を2本つなげた快特が運転されています。4両編成を2本つなげた8両編成は、エアポート急行ではよくみられますが、快特ではそれほど見かけませんね。朝のラッシュ時には、当然沢山の電車を走らせますので、運行に余裕のある日中や土日には見られない編成も走るのかな?と想像しています。
写真の1469編成は、2009年4月に川崎重工で完成したもので、1000形の9次車に相当します。9次車はすべて4両編成で、32両(4両編成8本)が製造されました。

185系200番代(チタB1編成)

いよいよE233系3000番代により、田町車両センターの211系電車の置換えが始まった東海道線ですが、211系より先輩の185系特急形電車には置換えの計画が具体化していません。
田町車両センターの185系は、東京ー伊豆急下田・修善寺間の特急「踊り子」や、通勤ライナーに使用されていますが、運転開始時からそれほど変化のない運行形態ですが、もう少し積極的な営業施策があってもよいのかなと思います。
東海道線東京口のラッシュ時における混雑は依然として激しいものです。東海道貨物線の活用の震度化による朝ラッシュ時の通勤ライナーの拡充や、特急「踊り子」も小田急ロマンスカーのように、より幅広い乗客を取り込めるような策があるように思いますね。
写真のチタB1編成は、1982年2月に完成したもので新前橋電車区に新製配置されたものです。上野ー大宮間の「新幹線リレー号」などで活躍しました。1985年3月に田町電車区(当時)に転属しました。2000年11月にアコモ改善工事を施行しています。

2011/11/14

相模鉄道9000系(9702F)

昨日の相鉄線の撮影では、11月5日に新塗装化されて、運用に復帰したばかりの9000系9702Fを撮影することができました。
国鉄~JRの車両でもそうですが、何かの理由で車両の塗装が変更になると、撮りにいきたくなります。それでいてオリジナルの塗装が復活すると、それはそれで撮りたくなり、非鉄の友人に「どっちが撮りたいの!」などと怒られたりします。
正直にいうと、どちらも撮りたいのですが、製造当初の塗装が一番かっこいいということになりそうです。国鉄色のディーゼルカーや、485系特急形電車、185系「踊り子」号なんかが典型例ですね。
写真の9702Fは1993年3月に東急車輛で完成したもので、9000系としては1次車に相当します。相模鉄道9000系に関しては、オリジナル塗装もいいですが、新塗装もなかなかカッコィイと思ってます。

2011/11/13

相模鉄道7000系(7710F)

11月とは思えないような暖かい日がある一方で、寒くなったりと気候の変化が激しく、調子狂いますね。そんなときこそ、元気に撮り鉄に出かけて調子を取り戻したいものです。
今日は、横浜駅で軽く東海道線を撮ってから、相模鉄道の定番撮影地、西谷2号踏切で、相鉄線を撮ってきました。
相模鉄道も車種が豊富なうえに、新塗装への過渡期で、同じ系列でも新旧塗装が入り乱れて走っているので退屈しないですね。ベテラン7000系も健在です。
写真の7710Fは1980年10月に日立製作所で完成したもので、7000系の7次車に相当します。晴天だと架線が車体に写ったりしますが、今日はきれいに撮れた気がします。

E233系3000番代(チタNT1+NT51編成)

田町車両センターに新製配置されたE233系3000番代(チタNT1+NT51編成)が、11月12日から営業運転を開始しました。
田町車両センターのE233系3000番代は現在工事中の東北本線と東海道線を結ぶ、東北縦貫線の開通をにらんで、211系を置き換えるものです。捻出された211系は、地方都市で走り続けている115系などの置換えに活用されるそうです。
211系も長年東海道線で活躍した113系に比べると、デザインも斬新でずいぶんと新しい電車だと思っていましたが、今では運用がタイトなのかだいぶお疲れ気味です。グリーン車の座席なんかも、けっこう傷んでいる感じがしますね。
写真のNT1+NT51編成は、新津車両製作所で2011年9月に完成したものです。新津で量産体制に入ると置換えも早いですから、東海道線の211系は今のうちに記録したほうがいいかもしれません。
【撮影:佐野次郎 2011.11.13 横浜駅】

2011/11/12

京浜急行電鉄1500形(1545編成)

京浜急行の電車の中でも、1500形というのは少し異質な感じがしますね。角ばっていて、窓が少ない感じがします。最多勢力の1000形をはじめとして、丸みを帯びたデザインの電車が多いですから。
先代1000形などは、無骨なデザインでありながらも窓が多く、意外と軽快な感じがありましたね。実際には、初期の20両を除いてアルミ車体となった1500形のほうが重量は軽いのですがね。
1500形の車内は、当初は800形と同じような奥行きの深い座席で、ゆったりとした感じがありましたが、現在では更新が進んで新形車両みたいになっていますね。一般化改造された2000形と同じようになっているのも面白いです。
写真の1545編成は、1990年2月に川崎重工で完成したものです。4両編成・界磁チョッパ制御でしたが、2011年2月に京急ファインテックでVVVFインバータ化改造するとともに、8連・界磁チョッパ制御だった1607編成から2両を編入して6両編成となっております。

2011/11/09

京浜急行電鉄1500形(1725編成)

京浜急行1500形といえば、快特から普通までのあらゆる運用をこなすオールラウンダーという紹介をされることが多かったのですが、近年では普通としての運用が多くなっていますね。
快特や特急に使用されていた界磁チョッパ制御の8連が、先代1000形を置き換えるために6連に組み替えられましたから当然ではあります。
一方でVVVFインバータ制御で新製された1700番台6編成については、8両編成を維持して都営浅草線・京成押上線直通の快特・特急で引き続き活躍しています。
写真の1725編成は、1993年2月に東急車輛と川崎重工で完成したものです。またモーターなし車両である1909.1910号については、界磁チョッパ制御の編成から転用したものです。

2011/11/06

東京急行電鉄1000系(1001F)

節電ダイヤによって運転が見合わされていた、東急東横線の日比谷線直通列車も9月から運転が再開されました。再び東横線内で1000系や東京メトロ03系の走る姿を見られるようになったというわけです。
1000系は、9000系を18m・3扉に縮小したような電車ですが、ドア間の窓が3連窓になっていたり、正面の行先、列車種別、運行番号の各表示をまとめて黒で縁取っているという相違点があります。先代7000系の後継車両で、まず日比谷線直通列車に投入されました。
現在日比谷線直通列車は、中目黒ー菊名間に毎時2本運転されていますが、東横特急の運転開始までは毎時4本運転されていました。もともとは中目黒ー日吉間の運転でしたね。
写真の1001Fは1988年12月に東急車輌で完成したもので、1000系の1次車に相当します。1000系にも上田電鉄や伊賀鉄道など地方私鉄に移籍した仲間が出ていますね。

東京急行電鉄7700系(7908F)

東急池上・多摩川線用7700系の7908Fは、10月29日から「花と神社めぐりスタンプラリー」のヘッドマークを掲示して運行に就いています。
スタンプラリーというと、お子様向けという感じがしますが、この企画はもう少し幅広い層を対象としている感じですね。
東急だけの企画ではなく、東武・西武・小田急など関東民鉄各社の協業によるものです。小田急などでもヘッドマークを掲げて走っている電車があります。
写真の7908Fは、デハ7006・7106・7005・7105を1988年4月にデハ7708.7808.クハ7908.サハ7958に改造したものです。2001年11月にサハ7958が廃車となり、3両編成となっています。

東京急行電鉄7600系(7602F)

蒲田駅を起点とする東急池上線と多摩川線は、車両も共通運用になっていて、雪ケ谷検車区が共用の車庫になっております。
新形車両として、7000形が投入されていますが、このところ7700系の7915F.7913Fといった「歌舞伎顔」と呼ばれる電車が入れ替わりに廃車となっております。
同じ「歌舞伎顔」の7600系も、2編成が残るだけとなっています。この形式は前面が傾斜している独特のスタイルですから、目立ちますね。
写真の7602Fは1986年に改造されましたが、当初は7200系と混結されていました。1990年に現在の組成となりました。1994年9月に室内更新とワンマン化改造工事を施行し、「歌舞伎顔」となりました。

2011/11/05

東京地下鉄15000系(15101F)

東京メトロ東西線では、近年も沿線人口が増加しており、朝ラッシュ時の列車遅延が慢性化しておりました。対策として遅延が発生している西船橋から茅場町方面に向う茅場町7:54~8:36着の15運行に対してワイドドア車を充当することになりました。
15運行を賄うための車両は定期検査や工事などを考慮すると18編成が必要になりますが、既に05系のワイドドア車が5編成ありますので、新形15000系電車を13編成投入することになりました。
15000系は、05系13次車をベースにしたアルミニウム構造のダブルスキン鋼体を採用しています。システム的には共通点の多い有楽町・副都心線用の10000系とは異なり、車内貫通路も全面ガラスではなく通常の扉としています。また座席のモケットは青系統になりました。
写真の15101Fは、2010年4月に日立製作所で完成したものです。15000系の投入に伴い、同数の05系のチョッパ制御車が廃車となります。既に一部の車両はインドネシアに渡って、再起しています。

2011/11/04

東京地下鉄10000系(10101F)

東京メトロとしては、初めての新形式となった有楽町・副都心線用の10000系電車は、東西線用05系13次車を基本として設計されたものです。
車体はアルミ車体の、ダブルスキン構造を採用しています。10000系は、いわゆる日立製作所のA-TRAINシリーズの電車であり、西武30000系や東武50000系などの仲間が存在しています。それにしてもずいぶんと丸みを帯びたデザインだと思っていましたが、レトロ調だそうですね。
主回路はIGBT-VVVFインバータ制御を採用しています。05系13次車と同様に、10両編成で5M5Tとしています。この構成は半蔵門線用8000系のVVVFインバータ化改造車などにも取り入れられていますね。
写真の10101Fは、2006年8月に日立製作所で完成したもので、10000系の1次車に相当します。60両が製造された10000系の1次車は、副都心線開業前の2006年9月から、有楽町線で営業運転を開始しました。

2011/11/03

京浜急行 1985年

1985年の京浜急行といえば、先代1000形の天下でした。現在日中は都営浅草線直通ー三崎口間に運転されているSH快特も、特急として運転されており、この運転系統については1000形の独壇場でした。
 当時の普通列車には、主に先代1000形の4連が使用されていました。私は高校に通学するため、杉田ー京浜富岡(当時)間を利用していたのですが、わずか1駅ですがずいぶんと飛ばしているのがわかりました。その他普通列車には、700形と800形の3連も使用されていました。
 京浜川崎ー新逗子間には急行が走っていました。急行は6両編成で、先代1000形も使用されていましたが、800形が多く走っていましたね。都営5000形が急行として乗り入れてきているのを見た記憶もありますね。
 1000形は、特急・急行・普通の他、快速特急にも使用されておりました。あんなにたくさん走っていた先代1000形もきれいに姿を消してしまいました。高松琴平電気鉄道に譲渡され、第二の人生を得ることのできた仲間については、末永く活躍してもらいたいものです。
 当時の快特は快速特急が正式名称で、先代600形から2000形に置き換わる過渡期でした。当時のエース的存在だった2000形は後継の2100形が登場してから、3扉化され、8連については朝夕のラッシュ時専用になっていましたが、昨年5月のエアポート急行の運転開始により、再び終日走るようになりました。
 金沢検車区に並ぶ車両群です。手前から1000形、800形、400形を改造した電動貨車デワ40形、700形です。400形は吊り掛け駆動の電車でしたが、現役当時に乗ることはありませんでした。700形は800形と同じ、車体長18m・4扉のラッシュ時対応用の電車です。大師線での活躍が印象に残ります。なにしろ朝の通勤時間帯や初詣の時期には猛烈に混む路線ですからね。
【撮影:佐野次郎 1985年 上2枚杉田ー京浜富岡間、下4枚金沢文庫ー金沢八景間】

2011/11/02

西武鉄道9000系(9103F)

9000系は101系の車体更新車両で、1994年から98年にかけて80両(10両編成8本)が西武所沢車輌工場で製作された。6000系以降の新製車は車両メーカーが行っておりますので、所沢車輌工場で製作された最後の車両で、現在は西武鉄道には車両を製造する機能はありません。
新製した車体は新2000系とほぼ同じ仕様ですが、サービス設備は6000系並みの水準となりました。現状でも車番表記があるためにかろうじて新2000系と識別できますが、遠目には同じような車両に見えます。
制御装置はIGBT-VVVFインバータのVFI-HR1815D、主電動機は出力135kWのEFO-K60、補助電源装置はIGBT-SIVのSVH150-493Aです。台車はFS-372・FS-072、集電装置はPT7116Bを装備しています。
写真の9103Fは、1995年6月に西武所沢車輌工場で完成したものです。2007年10月に制御機器を更新し回生ブレーキを使用できるようになりました。また集電装置もシングルアーム式パンタグラフに換装しています。

2011/11/01

京成電鉄3000形(3001編成)

現在152両が在籍し、京成電鉄では最多両数となっている3000形電車ですが、本線の普通列車を席巻している感のある6両編成とは対照的に、地下鉄乗り入れ用の8両編成は1本しかありません。
地下鉄乗り入れに使用するために、正面には貫通路を設けておりますが、目立たないように上手に処理されております。また京急線にも入るために、両先頭車はモーター付き車両になっています。
京成3000形の8両編成は1本しかありませんが、ほぼ同仕様の北総鉄道7500形が同じ区間を走行しており、さらに昨年の成田スカイアクセス開業を契機に3050形も投入されました。
写真の3001編成は、2003年1月に日本車輌で完成したもので、3000形の1次車に相当します。アクセス特急の運用に入っているところを撮影しました。

2011/10/30

東京地下鉄05系(05140F)

東京メトロ東西線では、1988年度から05系を投入して5000系の置換えを進めてきましたが、2004年度に製造された13次車では、車体の上質化を図る一方で、新技術の導入とモジュール化によって、コストダウンを図りました。
車体は従来通り無塗装のアルミニウム合金製ですが、新幹線の700系などと同じくオールダブルスキン構造を採用して、強度と見栄えの向上を図っています。客室は明るい赤色を基調とした座席モケットを中心とした明るいデザインとなっています。13次車では、1人あたりのシート幅を従来より10mm広げて460mmとしています。
編成は11次車から5M5Tとなっています。走行機器のモジュール化を進めて、省メンテナンス化とコストダウンを図っています。パンタグラフはシングルアーム式ですが、11次車以降の5基から3基に削減しております。
写真の05140Fは、2004年11月に日立製作所で完成したものです。05系13次車からは、のちに登場した有楽町・副都心線用の10000系に発展していく要素を感じますね。

2011/10/29

東京地下鉄05系(05132F)

東西線の05系電車の増備は、1994年の7次車の製造を最後に一旦中断し、5000系の一部車両は冷房改造工事を施行して引き続き使用されていました。1999年度から、05系の増備を再開して、5000系230両(10両編成23本)を置き換えることになりました。
1999年に製造された8次車から、前面デザインが変更され、スピード感を強調した意匠となりました。これは、東西線で快速運転を行っていることを表現したものです。また車内も方持式の座席を使用して、すっきりとした見付けとするとともに、明るく暖かみのある配色となりました。
主回路はIGBT-VVVFインバータ制御ですが、7次車の仕様から変更して、機器の小型・軽量化を図っています。また車両情報制御装置には、行先表示・自動車内放送などの設定機能を付加するとともに、伝送ケーブルの削減を図っています。
写真の05132Fは2002年3月に東急車輌で完成したもので、05系の10次車に相当します。それにしても昨日明らかになった東急車輌のJR東日本への売却のニュース、驚きましたね。

2011/10/25

東武鉄道30000系(31601F)

東武東上線に転属してきた30000系の第一編成(31601F+31401F)が、6月から営業運転を開始しました。
もともと30000系は、東武伊勢崎線・東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線との相互乗入れに使用されていましたが、中間に運転台があるため10両固定編成の50050系に代替され、現在では2編成だけが相互乗入れに使用されています。
伊勢崎線の浅草口に転用されてからは、6両・4両編成で区間準急や普通に使用されています。4両編成は10000系の2両編成と組み合わせて使用されたりもしています。
東上線への転属の意図はよくわかっていません。副都心線・東急東横線への相互乗入れに抜擢されると面白いですが、現在は池袋口で使用されています。

2011/10/24

東武鉄道8000系(8185F)

東武東上線の8000系電車も、徐々に50000系への置換えが進み、数を減らしております。唯一原形顔を維持していた8111Fも廃車となってしまいました。
とはいうものの、東上線では急行にも使用され健在です。走行音が新形車両に比べると派手なので、撮影していて近づいてくるのがよくわかります。
8000系の車体は、普通鋼製ですが、当初から戸袋窓を省略するなど軽量化を図っています。また運転台は高運転台構造として強化されています。
写真の8185Fは1978年9月に富士重工で完成したものです。2000年に更新修繕を行い、前面形状が変化しています。

2011/10/23

東京地下鉄07系(07102F)

東京メトロ東西線の07系は、もともと有楽町線の輸送力増強を目的として、1992年から94年にかけて60両(10両編成6本)が製造されたものです。窓配置が7000系・10000系と異なり、有楽町線と共通運用を行う副都心線のホームドアに対応できないため、2007年・2009年の2回に分けて東西線に転属してきました。
車体は、アルミ合金製の無塗装車体で前面デザインは丸みを帯びた新しいスタイルとなっています。室内は座席幅を1人あたり450mmに拡幅するなどの改良を施しています。07系の仕様は同時期に製造された03系・05系の増備車にも反映されました。
主回路はVVVFインバータ制御を採用し、電動車比率を10両編成で4M6Tに下げています。台車についても、次世代の標準型となることを目指して新規に設計されました。また車両の運転制御に関わる情報を集中管理するためTIS(車両制御情報管理装置)を導入しています。
写真の07102Fは、1992年11月に川崎重工で完成したもので07系の1次車に相当します。2007年10月に有楽町線での運転から外れ、和光検車区で休車となっていましたが、深川検車区に転属し、2009年3月から東西線での運転に就いています。