2010/12/31

201系(ケヨK3+K53編成)

 中央快速線を走っていたオレンジ色の201系が完全引退しましたので、京葉線に残るスカイブルーの201系がJR東日本では最後の201系ということになります。
 とはいうものの後継のE233系5000番代の分割編成の1本目も既に出場し、来年の夏までには京葉線の201系も姿を消すことになりそうです。ゆっくりと撮影を愉しめるのも今のうちかもしれません。
 今となっては古い車両となってしまった201系電車ですが、103系電車を延々と増備していた国鉄の中にあって、チョッパ制御に空気バネ台車、平天井にバケットシートという装備は飛躍的な進歩を遂げたものと感じられました。
 写真のK3+K53編成は1984年2月に日本車輛で完成したもので、中野電車区に新製配置されて中央・総武緩行線で使用されました。2000年8月に京葉電車区に転属し、スカイブルーに塗り替えられて京葉線用となりました。2009年3月にパンタグラフをシングルアーム式に換装しています。

東京急行電鉄5000系(5109F)

 東急田園都市線の最新型車両である5000系は2002年から製造されているもので、田園都市線用としては180両〈10両編成18本〉が在籍しております。
 JR東日本のE231系を設計のベースとしておりますが、拡幅車体ではありませんし、正面デザインは独自のものとなっております。
 現在では14編成に6ドア車を3両組み込み、準急列車に集中的に運用されて、朝ラッシュ時の切り札的な存在となっています。
 写真の5109Fは2006年5月に東急車輛で完成したものです。5000系は22編成が製造されましたが、4編成は東横線で使用されています。

東京急行電鉄5000系(5103F)

 田園都市線用5000系のうち5101F~5104Fの4編成だけは、6ドア車の組み込みがない10両編成となっています。先頭車両に「6Door」のステッカーがないのですぐわかりますね。
 5000系の製造が始まった2002年より少し前に、新聞記事で東急電鉄の新車大量導入構想を見ました。その記事を読むと9000系と1000系以外は全取り替えする位の勢いでした。
 実際に東横線では5050系が大勢を占めるようになりましたが、田園都市線には8500系が大量に残り、多摩川・池上線にも7600系や7700系が残っていますね。東急電鉄も大規模な改良工事をどこかで行うのが常態化していますので、車両を大量に調達するのは困難なのでしょう。
 写真の5103Fは2003年1月に東急車輛で完成したもので、東武伊勢崎・日光線への直通開始にあわせて導入された5000系の2次車に相当します。

2010/12/30

東京急行電鉄8500系(8642F)

CanonのEOS7Dは昨年の10月に発売されたカメラで、Rail Magazineで取り上げられたり、尊敬する広田尚敬さんが購入されたりと欲しいとは思いましたが購入せずにきました。
自分の腕前では使いこなせないという気がしましたし、EOS40DとEOS50Dをとことん使い倒そうという思いもあったからです。
しかしつい先日購入してしまいました。7Dに慣れるという意味もあり既に撮影したことのある場所で使用しましたが、「撮る快感」を十二分に感じさせてくれるカメラですね。連写の速度が、指圧に敏感に反応したりなどなど・・・。
写真の田園都市線を走る8642Fはご存じ8500系の最終編成で、編成中に界磁チョッパとVVVFインバータ制御が混在しています。東武線には8606Fと並んで乗り入れしない編成です。

東京急行電鉄8500系(8629F)

 私のようなおじさんの感覚では、東急田園都市線を走る電車といえばこの8500系ですね。営団地下鉄半蔵門線の渋谷ー青山一丁目間の開通時点では、営団側には車両がなくこの8500系で全て運転されたのでした。
 今となっては田園都市線には、東京メトロの車両はもちろん東武鉄道の電車もひんぱんに走っていますので、昔日のように8500系ばかりが走るわけではありませんが、やはり存在感はあります。走行音が他の車両に比べて大きいということもありますが・・・。
 ほぼ原形を維持している8606Fは別として、先頭車にはスカートがつき、方向幕もLEDに換装していますので、やや印象は異なりますが当面は主力として走り続けそうですね。
 写真の8629Fは1978年6月に東急車輛で完成したものです。当初は6連でしたが、8連・10連と段階的に増結されました。2001年度に方向幕がLED化され、2004年2月に先頭車にスカートを増設しています。

2010/12/26

京成電鉄AE100形(AE138編成)

 スカイライナーが成田スカイアクセス経由となり、AE形に代替されたことにより去就が注目されていたAE100形ですが、本線経由の特急「シティライナー」が1時間に1本残り、AE100形で運転されています。
 運用数は半減となりますので、AE108.AE118.AE148の3編成が廃車となりました。シティライナー用として残るAE100形4編成は「SKYLINER」のロゴを撤去しています。
 AE形の登場によって、本線経由の特急とAE100形は廃止になるものと漠然と想像しておりましたが、当面残るのは喜ばしいですね。
 写真のAE138編成は1991年6月に東急車輛で完成したものです。2002年11月にリニューアル工事を完了しております。

京成電鉄3700形(3778編成)

 京成電鉄にはスカイライナーのほか、通勤電車で運転されている特急料金不要の「特急」が運転されています。上野ー成田空港間に20分間隔を基本として運転されています。
 使用車両は3700形や3400形を中心として、3500形の更新車や3600形も使用されています。成田空港までの利用もけっこうあるようで、乗車すると大きなカバンを持ったお客さんも目立ちます。
 私も92年シンガポールまで旅行に出かけたときには、上野から成田空港まで利用しました。NEXより時間はかかっても安いですからね。車両は3300形だったのではないでしょうか?
 写真の3778編成は1996年3月に東急車輛で完成したもので、3700形の3次車に相当します。3次車から座席の1人当たりの区分が明確になりました。

京成電鉄3500形(3528編成)

 昨日は荒川の土手に京成電鉄の撮影に出かけてまいりました。京成関屋駅から歩いて5分くらいで土手にたどりつきます。天候は良好でしたが、寒かったですね。
 ここは「3年B組金八先生」のロケ地として有名なところであります。エンディングの「贈る言葉」の背景に流れるのがまさにこの荒川沿いの土手であります。
 写真の3500形は多少のズレがありますが、「3年B組金八先生」と同じく昭和を歩んだ電車といえることができるでしょう。議員になった三原じゅん子や、バラエティ番組での豪快な発言が光る杉田かおるも生徒役で出演していましたので、ずいぶんと昔のドラマではありますね。
 写真の3528編成は1973年4月に東急車輛で完成したものです。1998年2月に大栄車輛で更新修繕を受けています。

東京都交通局10-300形(10-460編成)

 新宿ー本八幡間を結ぶ都営地下鉄新宿線は、京王電鉄の橋本ー新宿間で相互乗り入れ運転を実施しています。
 開業時に用意された10-000形は2005年から製造を開始した10-300形への置き換えが進んでいます。現在では10-000形は笹塚で折り返し、橋本には姿を見せなくなってしまいました。
 10-300形はJR東日本のE231系を基本とした電車です。側面を見ると確かによく似ていますね。ところが実際に乗車してみると、車内の配色が独特です。なにか新しい電車ではないような感じがします。もっとも気にならない人がほとんどだと思いますが。
 写真の10-460編成は2006年4月に東急車輛で完成したものです。当初は8両編成でしたが、2010年6月に完成した中間車2両を組み込んで10連化されています。

2010/12/24

鉄道博物館222-35

 1982年の東北・上越新幹線の開業に際して用意されたのが200系新幹線電車です。私などは白に青帯の東海道・山陽新幹線0系だけが新幹線だと思っていましたから、当時はずいぶんと新鮮な電車に思えました。
 ただ単に帯色をグリーンに変えたのではなく、車体はアルミ製となっています。これは積雪地帯を走るための耐寒・耐雪構造とするための重量増加を防止するという理由があります。また機器の架設については着雪を防ぐため、ボディ・マウント方式を採用しています。
 主回路はサイリスタ位相制御を採用し、機器類の接点を減らすことによる保守の省力化も行われました。また当初は210km/hを最高速度としましたが、将来のスピードアップを考慮した構造となったいます。1985年には最高速度を240km/hに引き上げています。
 写真の222-35は1982年に近畿車輛で完成したものです。200系についてはE2系など新形車両への置き換えが進み、リニューアル改造を受けた編成の一部が現役として残っています。

鉄道博物館クハ48126

 いよいよ12月4日に東北新幹線が新青森まで開業し、全線開通となりました。1982年に大宮ー仙台間で新幹線が走り始めるまでは、上野駅は在来線特急列車の宝庫でした。青森行き「はつかり」、盛岡行き「やまびこ」、仙台行き「ひばり」などなど・・・。
 同年11月の上越新幹線と合わせて、東北特急の任から解かれた485系たちは、常磐線や北陸地区・九州地区へと旅立って行きました。国鉄ならではの広域移動ですね。
 写真の26号のようなようなボンネット形の先頭車は既に姿を消していますが、長く活躍した北陸本線の特急「雷鳥」や日豊本線の特急「ひゅうが」「きりしま」での運用ももうすぐ終焉となります。それでも東北では大改造されているとはいえ再編成された特急「つがる」に3000番台が当面残るわけですから485系というのは偉大な形式だと思います。
 写真のクハ481-26は1965年に日立製作所で完成したものです。483系として仙台電車区に新製配置され、特急「ひばり」に運用されました。東北新幹線開業後は勝田電車区に転属して、特急「ひたち」で使用されました。1991年から訓練車となり、2007年2月まで使用されました。

2010/12/23

鉄道博物館オハ3126

 草創期の日本の鉄道車両の客車は木製車体でしたが、大正の終わりごろになると機関車の高性能化を背景として木製車体では安全性の面では万全とはいえなくなってきました。
 そこで1927年から製造されたのが、骨組みと外板を鋼製とし、車内は従来通り木造とした半鋼製客車オハ32000形〈→オハ31形〉です。明かり取りのある二重屋根という現代の感覚ではクラシカルな外観ですね。車体長も17mとやや小ぶりです。
 そういえばこの客車はKATO〈関水金属〉で古くからC50形蒸気機関車とともにNゲージで模型化されていました。私も中学生くらいの頃はなかなか模型を買えませんでしたので、カタログを何度も何度も読み返したものです。おじさんになると模型は買うことはできますが、模型で遊ぶ時間はないですね。
 写真の26号は1927年に汽車製造で完成したものです。国鉄で引退してから津軽鉄道に譲渡され、ストーブ列車として活躍しました。1983年に現役を退き芦野公園で保存されていました。津軽鉄道から寄贈を受け、鉄道博物館に収蔵されました。

2010/12/20

京浜急行電鉄1000形(1413編成)

 京浜急行新1000形電車は、老朽化した先代1000形や700形の代替を目的として、2002年から製造されている電車です。現在では京浜急行でもっとも多く在籍している電車となっています。
 2006年に製造された車両までは、アルミ製の車体を採用して塗装を施しています。快速特急用の2100形を3扉にしたようなスタイルをしています。側面の窓ガラスと車体の外板がフラットになっているところは、通勤電車としては豪華な感じがしますね。
 主回路は2100形と同様にドイツ・シーメンス社製のGTO-VVVFインバータ制御を採用しております。例の起動時に音階を奏でているように聞こえるというアレですね。
 写真の1413編成は2003年7月に川崎重工で完成したもので、新1000形の2次車に相当します。「エアポート急行」では4両編成を2本つなげた8連で運転されています。

2010/12/12

京浜急行電鉄600形(655編成)

 京浜急行600形は8両編成8本のほかに、4両編成も6本が製造されました。651編成を除いては、製造当初のクロスシートを維持しています。
 600形は今年の5月から運転を開始した羽田空港ー新逗子間の「エアポート急行」にも、4両編成を2本つなげた8両編成で使用されています。
 飛行機の旅を終えて疲れた乗客が、クロスシートに座ってゆっくりと帰宅する。逗子あたりに住んでいる人には特に喜ばれそうですね。
 写真の655編成は1996年5月に東急車輛で完成したものです。「エアポート急行」の運転開始に伴い、以前よくみられた2100形の付属編成的な運用は減少したようですね。

2010/12/11

鉄道博物館ナハネフ221

 1958年に東京ー博多間を結ぶ寝台特急「あさかぜ」に、当時としては画期的な20系客車が新製投入されました。「ブルートレイン」と呼ばれる寝台客車の最初の形式であります。
 20系の登場までは、客車は複数の形式を混結して必要に応じて編成を組成するのが一般的でしたが、20系では固定編成を採用しました。また専用の電源車を用意することにより、全車を空調完備とし、車内を静粛に保てる固定窓を採用することができました。
 個室寝台やグリーン車、食堂車も連結され、豪華な車内設備から「走るホテル」と呼ばれたそうです。その後長崎行き「さくら」や鹿児島行き「はやぶさ」にも投入され、新幹線開業前の長距離旅行に大きな役割を果たしました。
 1980年代には一線を退いて急行用となっていましたが、東京ー大阪間の急行「銀河」で実際に乗車した3段式B寝台の上段は、まるで屋根裏部屋のようでした。今では急行「銀河」もなくなってしまいました。

鉄道博物館マイテ3911

 1930年に東京ー下関間を結ぶ特急列車「富士」に1等展望車が投入されました。展望デッキ、展望室、談話室などを備え、給仕によるサービスを受けられたそうです。
 現代の特急列車はビジネスや旅行などに普通に利用するものですが、当時の特急は外国人旅行客など限られた人が利用するものだったようです。そういえば内田百聞が「阿房列車」で乗車していたのもこんな感じの客車ではないでしょうか?
 1943年には戦況の悪化により特急列車の運転が中止され、山間の駅に疎開しました。1949年9月に特急「へいわ」で復活し、翌年から「つばめ」「はと」にも使用されましたが、新形車両の登場により団体用に転用されてから、1962年に廃車となりました。
 1963年から青梅鉄道公園で展示されましたが、痛みが目立つようになり1987年からJR東日本の大井工場で保管されていました。鉄道博物館での展示に際して整備され、「桃山式」と呼ばれる美しい内装も復活しました。

鉄道博物館キハ41307

 キハ41000形は日本で初めて量産された気動車として、1932年から36年にかけて138両が製造されました。当初ガソリンを動力としていましたが、戦後はディーゼルを動力とするエンジンに換装されました。
 写真のキハ41307は1934年に川崎車輛で完成したもので、主に長野県下で活躍しました。1948年には長野工場で、燃料不足対策として天然ガスを利用するガス動車に改造され、さらに1952年には長野工場でディーゼルカーに再改造されました。
 1957年の形式称号改正でキハ04 8に改番されました。1958年1月中込機関区で廃車され、国鉄車両としての活躍に終止符を打ちました。
 遠州鉄道キハ802として再起してから、1967年に北陸鉄道能登線に転じて1972年の廃線までキハ5211として活躍しました。さらに関東鉄道筑波線→筑波鉄道キハ461として1982年まで使用されました。鉄道博物館での展示に際してはキハ04 8保存会から寄贈を受けています。

2010/12/08

鉄道博物館DD131

 現在品川駅では、構内の整理が行われていて、旧東京機関区の施設や入替用に使用していた線路の撤去が行われています。
 かつては東京と九州を結ぶブルートレインも多くの列車が残っていて、品川客車区での入替作業を担当していたのがDD13形やDE10形といったディーゼル機関車でした。
 DD13形は1958年から67年までに416両が製造され、蒸気機関車を代替し、国鉄の動力近代化に大きく貢献しました。その他首都圏近郊では横浜機関区に配置され、山下公園の高架を走っていたことも記憶に残っております。
 写真の1号機は1958年に汽車製造で製造されたものです。製造当初の塗装に復元されて、鉄道博物館に展示されています。

2010/12/05

E233系2000番代(マト1編成)

 東京メトロ千代田線と相互直通運転を行っている常磐緩行線では、203系・207系900番台電車の置換えを目的として、E233系2000番代の新製投入を行っています。
 中央快速線、京浜東北・根岸線、京葉線に投入されたE233系電車はいずれも拡幅車体を採用していますが、2000番台は千代田線の規格の関係でストレート車体を採用しています。客室についてはクリーム系統のカラーデザインとし、また座席幅の460mmへの拡大や座り心地の改善などを図っております。
 主回路はIGBT-VVVFインバータ制御で、主電動機は出力140kwのMT75形を装備しております。高低差のある地下鉄線内での使用条件を考慮して加減速性能は0番台より向上しています。台車はモーター付きがDT71形、モーターなしがTR255形を装備しています。
 写真のマト1編成は2009年5月に東急車輛で完成し、松戸車両センターに新製配置されたものです。代替として1編成だけが在籍していた207系900番代が廃車となり、さよなら運転が行われるなど大いに注目を浴びました。

209系1000番代(マト82編成)

 1999年に営団地下鉄〈当時〉千代田線・常磐緩行線の増発用として、209系1000番代20両〈10両編成2本〉が松戸電車区に新製配置されました。
 209系は既に拡幅車体を採用した500番代が、中央・総武緩行線に投入されていましたが、1000番代は地下鉄線の規格にあわせてストレート車体としました。また正面の助手席側には非常用の貫通扉を装備しています。
 高加減速性能の確保と異常時救援を目的として、6M4Tとモーター付き車両の比率を上げています。主電動機はE231系と同じMT73を装備しています。またパンタグラフは地下鉄線内で使用されている剛体架線に対応したPS21を装備しております。
 写真のマト82編成は、1999年9月に東急車輛で完成したものです。側窓の一部開閉可能化や大型スカートへの換装などの改造を行っています。現在進んでいるE233系2000番代の新製投入による置き換え対象からは外れています。

203系100番代(マト67編成)

 中央快速線のオレンジ色の201系電車が完全に引退した状況の中で注目されるJR東日本の通勤型電車といえば、京葉線の201系か常磐緩行線を走る203系ということになるのではないでしょうか?
 203系電車は、201系電車の走行機器を基本として地下鉄千代田線乗り入れ用に開発された電車です。1982年の我孫子ー取手間の複々線化完成を契機に量産先行車1本が完成し、1986年までに170両が製造されました。
 主回路は201系と同様に電機子チョッパ制御で、ようやく営団地下鉄6000系と同じく回生ブレーキを使用できるようになりました。車体も6000系と同じくアルミ製となりました。主電動機はMT60形、台車は電動車がDT46A形、制御車と付随車がTR234形を装備しています。
 写真のマト67編成は1986年2月に川崎重工で完成したもので、台車をボルスタレス式のDT50A形モーター付き台車とTR235A形モーターなし台車に変更した100番代属します。100番代は同時期に製造された山手線用205系電車と同様に新製コストの低減を図った車両であります。

鉄道博物館ED75775

 ED75形電気機関車は交流区間における標準型電気機関車として、1963年から302両が製造されました。東北・奥羽本線や九州地区などで使用されました。基本番台の他、九州向けの300番台、1両だけの北海道向け500番台、高速貨物牽引用の1000番台、改良形の700番台があります。
 鉄道博物館に保存されている775号機は、1971年の奥羽本線秋田ー青森間の電化に備えて投入された700番台に属します。パンタグラフが下枠交差型になっているので、他のグループとは容易に識別できます。
 上野ー青森間を奥羽本線経由で結んでいた寝台特急「あけぼの」の牽引にも活躍しました。赤い機関車と青い客車の組み合わせは「絵になる」姿でした。現在では山形・秋田新幹線に対首都圏輸送の主力が委ねられ、「あけぼの」も上越・羽越本線経由にルートを改めています。
 775号機は1975年に東芝で完成したものです。ちなみに青函トンネル専用機関車として活躍しているED79形は、JR貨物が新製投入した50番台を除いてED75形700番台からの改造車であります。

2010/12/04

鉄道博物館EF6611

  EF66形電気機関車は東海道・山陽本線での高速貨物列車の牽引を目的として、1968年から75年にかけて55両が製造されました。1966年のダイヤ改正から行われたEF65形の重連運用などを置き換えています。
 EF65形までの国鉄の電気機関車とは明らかにフォルムが異なり、欧米の車両のような風貌でした。また電気機関車としては初めて、空気バネ台車を装備しています。
 1985年からは東京ー下関間でブルートレインの牽引にも従事するようになりました。当時は貨物列車の削減により余剰車も生じていたのを、寝台特急の高速化に活用したものです。
 写真の11号機は1968年に川崎重工で完成したものです。.現在でもJR貨物にEF66形は現役として在籍しており、さらにJR貨物が増備した100番台も活躍しています。

鉄道博物館EF5889

 EF58形は御承知の通り、戦後の国鉄を代表する電気機関車ですね。1946年から57年にかけて172両が製造されました。
 初期形の31両に関しては、デッキ付き箱型車体で登場しましたが、のちに流線型の車体に乗せ換えられ、箱型車体は貨物用のEF13形電気機関車で再度利用されました。さらに箱形車体のまま歯車比を変更してEF18形として3両が完成しています。
 EF58形は特急「つばめ」「はと」の牽引に使用されたほか、昭和40~50年代にはブルートレインの牽引にも使用されました。1984年2月まで行われた東海道・山陽本線の荷物列車の牽引が、EF58形としては最後の運用となりました。
 写真の89号機は1956年に日立製作所で完成したものです。積雪の多い上越線で使用されたため、正面窓にツララ切りを装備しています。国鉄の分割・民営化後もジョイフルトレインの牽引のために現役でいましたが、1999年に廃車となりました。

鉄道博物館ED4010

 現在は長野新幹線が首都圏と軽井沢を結んでいますが、1997年の新幹線開業まで横川ー軽井沢の急こう配区間では、EF63形電気機関車が特急電車まで含めて全列車に専用補機として連結されていました。
 さらにEF63形の本格的な投入までは、アプト式といってレールの他に歯車を併用するという特殊な方式で運転されていました。なにしろ1.000mで66.7m駆け上がるという急こう配区間ですので、通常の鉄道車両では対応が困難だったのです。
 ED40形電気機関車は、1919年から23年にかけて14両が製造されました。輸入ではなく初めての国産による電気機関車でもあります。
 写真の10号機は唯一の現存するED40形で、アプト式用の機器を撤去したうえで1944年から1964年にかけて東武鉄道日光軌道線で貨物列車の牽引に使用されました。1968年の路線廃止後、東武鉄道から国鉄に寄贈され、準鉄道記念物として整備されました。

2010/12/01

鉄道博物館ED171

 鉄道博物館に展示されているED17形電気機関車は、1925年の東京ー国府津・横須賀間の電化に備えてイギリスから輸入されたものです。
 1040形として1925年5月田町機関区〈当時〉に新製配置され、横須賀線の旅客列車牽引に使用されました。1928年10月の形式称号改正により、ED50形の1号機に改番されました。
 1931年8月には大宮工場で勾配路線用に歯車比を改めて、ED17形の1号機に改番され、甲府までの電化が完成したばかりの中央本線に転用されました。
 1970年11月に甲府機関区で廃車され、1972年から甲府市内の舞鶴城で静態保存されていました。1997年には城の公園改修を契機として大宮工場に移送されて保管されたのち、鉄道博物館に収蔵されました。