2010/01/31

東京急行電鉄5000系(5104F)

2002年5月に田園都市線での営業運転を開始した5101Fの使用実績を踏まえて、5000系の二次車として2002年12月から2003年2月までに5102F~5106Fが営業運転を開始しました。 5101Fとの相違点として車体幅が2.778mmと5101Fの2.770mmからわずかに拡大しています。また正面扉の窓が上方に拡大して正面窓の高さが揃えられました。ちなみにグリーンのアクセント帯は2004年4月から追加されたものです。
 5000系の車内インテリアはブルー系でまとめられていますが、扉の上にあるモニタは二次車から2台設置されるようになりました。5101Fも2台に増設されました。東急5000系のほかにも、山手線や京浜東北・根岸線、副都心線など大型モニタを設置した電車を見かけることも多くなっています。
写真の5104Fは、2003年1月に東急車輛で完成し、長津田検車区に新製配置されました。その後6扉車を組み込みましたが、昨年に再度オール4ドア車に編成を組み替えています。

2010/01/30

205系(クラH27編成)

横浜線の205系は1988年から89年にかけて一気に投入され、103系をすべて置き換えました。その後、輸送力増強のため他路線からの転用が3回にわたって行われました。
 写真のH27編成は山手線からの転用車です。もともと6扉車を組み込んだ11両編成を8連に短縮して転用しています。ちなみに山手線205系の6扉車は横浜線に転じた1両を除いてすべて埼京線に転用されています。
横浜線の205系では、唯一側扉の窓が小さい編成となっています。また6扉車のサハ204-30は横浜線では唯一の0番台で、山手線時代にあった液晶ディスプレイを撤去しています。
写真のH27編成は1986年2月に川崎重工で完成し、ヤテ30編成として山手電車区に新製配置され、1991年11月に近畿車輛で完成した6扉車を組み込み11連化されました。2003年7月に横浜線に鎌倉総合車両所〈当時〉に転属し、クラH27編成となりました。残りの2両は仙石線に転用され、1両は保留車となりました。

205系(クラH22編成)

横浜線で使用されている205系は1988年から89年にかけて175両〈7両編成25本〉が製造されました。その後6扉車を増備して8連化し、さらに転属車3編成を受け入れて現在では196両〈8両編成28本〉が鎌倉車両センターに配置されています。
205系は横浜線向けの車両から、側扉の窓が上下に拡大されました。また前面の行先表示の右隣に列車種別表示が付けられました。  
現在では前面の行先表示がLEDとなり、列車種別表示は使用されなくなりました。先頭車にはスカートが取り付けられています。また最近パンタグラフをシングルアーム式に換装しています。
写真のクラH22編成は、1989年1月に東急車輛で完成し蒲田電車区に新製配置されました。1994年12月に6扉車を増結しています。

2010/01/29

EF210形100番代(146号)

 根岸線の根岸駅は、新日本石油株式会社の根岸製油所に隣接しており、タンク車による貨物輸送が頻繁に行われています。従って桜木町と根岸の間では、通勤電車に混じって貨物列車が走る姿を見出すことができます。
  山手駅から矢口台や滝の上方面に歩いて行くと、風向きによっては機関車と貨車が連結する音や汽笛を耳にすることがあります。また自宅でも、早朝に貨物列車が走る音がかすかに響いてきます。
  根岸線の貨物列車といえば、開業当初はEF13・15形、そのあとはEF65形が主力という期間が長かったように思います。現在ではEF210形が一番走っているように感じています。
  写真の146号機は2008年10月に三菱重工業で完成し、吹田機関区に新製配置されています。

EF64形1000番代(1033号)

 根岸線で意外によくみかける電気機関車がEF64形1000番代です。1980年代に入ってから上越線で使用されていたEF15・16・58形の置き換えを目的として製造された電気機関車です。
 EF64形0番代と基本的な性能は同じですが、変更内容が多岐に及び新形式となってもおかしくなかったそうです。一説には新形式にすると労働組合と揉めるからEF64形1000番代にしたという話もありました。
 小さい頃電車にときどきチョークでいろいろと文字が書いてあるのが何か不思議でしたが、労働組合がスローガンを書いていたわけですね。 労働組合のあり方も現在では大きく変化しています。
 写真の1033号は1982年6月に東洋電機製造/川崎重工業で完成し、長岡運転所に新製配置されました。2006年3月に大宮工場で更新工事を受けています。現在では高崎機関区の配置です。

2010/01/28

電車とバスの博物館デハ204

 東急電鉄が運営している電車とバスの博物館は、東急田園都市線の宮崎台駅の高架下にあります。その代表的な展示物が玉川線を走っていたデハ200形の204号車です。
 今となっては信じられない気もしますが、混雑の激しい田園都市線の渋谷ー二子玉川間には、1969年まで東急玉川線という路面電車が国道246号線上を走っていました。
 デハ200形は1955年に東急車輛で6両が製造された連接車で、超軽量車体やカルダン駆動など多くの新機軸を採用していました。世田谷線には転用されず、玉川線の廃止と運命をともにしました。
 写真の204号は玉川線の廃止後、多摩川園に展示されていました。私も小さい頃に見た記憶があります。
【撮影:佐野次郎 2010.1.17】

2010/01/27

207系900番代〈マト71編成〉

 24日に京浜東北・根岸線の209系が最終運行になりましたが、いつもでは考えられないほどたくさんの撮影されている方がいらっしゃいました。  昨年常磐緩行線・東京メトロ千代田線での運行を終了した207系電車についても、運用末期にはかなりのにぎわいを見せたようです。3月の「北陸」「能登」ラストランではどういうことになるのでしょうか?  207系は1986年に1編成だけが製造された、国鉄では唯一VVVFインバーター制御を採用した電車でした。1編成しかないためE233系2000番台投入に際してまっさきに運用を離脱することになりました。  私佐野次郎は混雑が予想される場所には行かないことにしているので、松戸駅の快速線下りホームから望遠レンズで強引に撮影したこの写真が207系の唯一の記録になりました。

2010/01/24

485系〈カツK60編成〉

 写真の485系K60編成は、常磐線の勝田車両センターに配置されている臨時列車用の6両編成です。 先頭車2両が1500番台、中間車4両が1000番台で組成されています。
 485系1500番台は、1974年に北海道で電車特急を運転するのに備えて485系に耐寒・耐雪設備を施して製造されたものです。屋根上の前照灯が2灯なのはそのためです。1975年から特急「いしかり」に使用されましたが、故障も多く1980年には781系に交代して本州に転属しました。
 485系1000番台は、奥羽本線の電化に備えて1976年から製造されたもので、耐寒・耐雪設備を強化しています。上野ー秋田間の特急「つばさ」などに使用されました。
 1982年11月のダイヤ改正で、東北・上越新幹線の大宮開業により、在来線の特急は大幅に削減されましたが、1985年3月の上野開業までは、特急「つばさ」「鳥海」などが1本ずつ残っていました。それらの列車で活躍する1000番台・1500番台を上野駅などで見た記憶があります。
【撮影:佐野次郎 2009.11.15新座駅】

183・189系〈チタH61編成〉

 武蔵野線は首都圏の外周を放射線状に結ぶ路線でして、貨物列車の運行を目的に主要幹線との間に線路が接続されています。週末を中心にその武蔵野線の特性を生かして、快速列車などの臨時列車が運転されています。
 写真の列車は中央線に入って河口湖方面に向かう快速列車です。田町車両センターの183・189系6両編成での運転です。
 田町の臨時列車用の電車は、もともと修学旅行用電車として製造された167系がJRへの移行後も使用されていましたが、特急運用を退いた183系や189系によって置き換えられました。
 私は京浜東北線の品川から田町間で車窓からいろいろな車両が見えるのを長らく楽しみにしていましたが、ブルトレが消滅し、旧東京機関区も取り壊され、ずいぶんとさびしくなってしまいました。時代の流れなので仕方ないとは思いますが・・・。
【撮影:佐野次郎 2009.11.15新秋津駅】

EF66形(52号)

 府中本町ー東京・南船橋〈海浜幕張〉間を結ぶ武蔵野線は、現在も貨物路線として大きな役割を果たしており、多数の貨物列車が運転されています。複雑な立体交差や配線で幹線と接続されています。
 そのためJR貨物に在籍する多彩な電気機関車の姿を武蔵野線内において見出すことができます。写真の列車はEF66形の次位にJR貨物では珍しくなった原色のEF64形1000番台を連結しています。
 EF66形はもともと高速コンテナ列車の牽引を目的として製造された機関車ですが、1985年3月のダイヤ改正では一部の車両が東京口のブルートレインの牽引用に転用されました。
 写真の52号機は2000年3月にJR西日本から購入した機関車で、吹田機関区に配置されています。ブルートレインの削減で余剰となった機関車をJR貨物が購入して使用しているわけです。

武蔵野線205系〈ケヨM15編成〉

 武蔵野線では従来8両編成のうち6両をモーター付き車両で運転していましたが、VVVFインバーターの電車を導入することでモーター付き車両を4両に減らしてコスト改善を図ることになりました。
 そのため山手線などから205系を転用する際に、電動車をVVVF改造を行うことになり、2002年から2008年にかけて72組の電動車ユニットが改造され、5000番台となりました。
 搭載されたインバータ装置はIGBT式のSC71で、1台で8個のモーターを制御します。主電動機は誘導電動機のMT74に換装したため、台車もDT70に改造されています。その他従来の車両にあわせて、耐雪ブレーキを追加しています。
 写真のケヨM15編成は、1986年2月に東急車輛で完成し、山手線で使用されました。2003年7月に南武線に転用され、ナハ45編成となりました。さらにT車2両を加えて2005年6月に秋田車両センターで武蔵野線転用工事を完了しました。
【撮影:佐野次郎 2009.11.15新座駅】

根岸線209系〈ウラ52編成〉

 何日かは不測の事態に備えて待機するそうですが、いよいよ京浜東北・根岸線の209系が本日1月24日をもってラストランとなります。
 私佐野次郎は先週末に大船駅でウラ64編成に乗車したのが撮り納めだと思っていましたが、昨日たまたま石川町駅でヘッドマーク付きのウラ52編成を撮影できました。
 社会人となってから、毎日のように利用した209系でした。外板のあまりの薄さに大丈夫か?という疑問もあり、車内の造作には205系から一歩後退では?など正直いって疑問を持った電車でもありました。また窓が開かなくてトラブル時に乗客が蒸し風呂状態になったことまでありました。
 買い物の帰りに通った関内駅でも、カメラを構えたファンがおおくいらっしゃいました。C社の白い望遠レンズを構えた方も・・・いました。あれってウン十万するものですよね・・・。お金かけている方もいるんですね。愉しみ方は人それぞれですが、愉しくかつ安全にといきたいですね。
【撮影:佐野次郎 2010.1.23石川町駅】

2010/01/23

209系500番代〈ケヨ33編成〉

 209系500番代は、総武・中央緩行線の103系を代替するために1998年から2000年にかけて170両〈10両編成17本〉が新製投入されました。  209系0番台のシステムを踏襲しながら、車体幅を拡大して定員の増加を図っています。また外板を強度を高めるために1.5mmに厚くしたり、台車の改良などを行っています。  現在京葉線で活躍している4編成の209系500番台は、京浜東北・根岸線から転属してきたものです。京浜東北・根岸線には輸送力増強や209系試作車の代替を目的として5編成の209系500番代が総武・中央緩行線から転用されていました。  写真のケヨ33編成は2000年1月に新津車両製作所で完成し、2009年1月に東京総合車両センターに京葉線向けの転用工事を終えています。また2009年3月にはスカートを大型化しています。
【撮影:佐野次郎 2010.1.10市川塩浜駅】

205系〈ケヨ1編成〉

 1989年から90年にかけて京葉線の新木場ー東京間の延長開業に備えて、205系が120両〈10両編成12本〉増備されました。  前面のデザインが既存の205系から大きく変更され、強化プラステックで前面全体をカバーする構造になっています。ラインカラーは京葉線用として赤14号が新たに設定されました。その他地下区間が長いために不燃化を徹底したり、細かい改良が行われました。  1995年12月のダイヤ改正で、外房線・内房線の速度向上が行われましたが、両線への直通運用を持つ205系はブレーキの増圧工事を実施して、110km/hでの運転ができるようになっています。  写真のケヨ1編成は1989年11月に川崎重工で完成したものです。現在では快速だけではなく、各駅停車にも使用されています。
【撮影:佐野次郎 2010.1.10市川塩浜駅】

2010/01/22

山手線205系

 国鉄最終期の1985年に205系電車が山手線にデビューしました。今では当たり前になった銀色の電車も国鉄では珍しい存在でした。当時国鉄の銀色の電車といえば、東西線乗り入れ用の301系や千代田線乗り入れ用の203系くらいしかありませんでしたから。
 205系電車は国鉄の通勤型電車では初めてステンレス製の車体を採用したものです。前面のブラックマスクや車内設備などは201系のデザインをかなり反映しています。当時国鉄は財政難のため、高価なチョッパ制御の201系の増備を取りやめ、205系でコストダウンを追求しました。主回路を添加励磁制御にしたほか、戸袋窓や連結面の窓もなくなり、中間車の連結器を棒状にしたりしています。
 205系はJRへの移行後も増備が進められ、1988年には山手線における103系の置き換えを完了しました。また1991年には6扉車を組み込んで、山手線は11両編成となりました。
 2001年からE231系500番台への置き換えが始まり、2005年4月に山手線から撤退しました。捻出された205系は各路線に残っていた103系電車の置き換えに活用されました。
【撮影:佐野次郎 1985年品川駅】

2010/01/20

東京急行電鉄8090系(8093F)

 大井町ー溝の口間を結ぶ大井町線は、昨年の二子玉川ー溝の口間の延長や新鋭6000系電車による急行運転の開始など、田園都市線を補完する路線として大がかりなテコ入れが行われています。
 その大井町線の中でもっともベテランの電車が、かつて東横線の急行で活躍していた8090系軽量ステンレス車です。車体が軽量化された他は8000系と同等の電車といえるでしょう。
 写真の8093Fは8090系の中でも、前照灯が下にある初期型ですが、昨年廃車となった同じ初期型の8091Fは3連に短縮され、秩父鉄道7500系として再起するそうです。今後も8090系の秩父鉄道への売却が行われるかもしれません。
 写真の8093Fは1982年9月に東急車輛で完成したものです。1988年に8590系が登場したことにより5両編成への組み替えを行って大井町線に転属しています。

2010/01/17

さよなら京浜東北・根岸線 209系


 京浜東北・根岸線の主力として活躍してきた209系通勤型電車ですが、新鋭E233系1000番台への置き換えが急速に進み、いよいよ1月24日をもって京浜東北・根岸線での営業運転を終了します。
 209系は103系と同等のパフォーマンスを、イニシャルコスト・ランニングコストを極限まで削って実現するという「引き算」の電車ということができます。
 またJR東日本の新津車両製作所における量産体制を確立できた形式であり、その後の首都圏での新形車両の大量・迅速な投入に大きく貢献した車両ということもいえるでしょう。
 輸送量も多く運転距離の長い京浜東北・根岸線での運用には無理があったようで、1998年に209系に統一されてから、わずか12年と鉄道車両としては異例な短期間での撤退となりますが、改造の上南武線や房総地区で活躍するのは、209系を毎日のように利用していた者としてはうれしいことです。
【撮影:佐野次郎 2010.1.17〈上〉/1.16〈下〉山手駅】

東京急行電鉄1000系(1024F)

 写真の1024Fが東急1000系の最終増備車になります。1992年に1000系としては初めて3両編成で新製されました。
 戸挟みセンサーを試行したり、中間のデハ1224に東急としては初めて車椅子用スペースを設置したりしました。
 また純粋な新製車両が池上線に投入されるのは実に63年ぶりの出来事であったということで、話題になったそうです。
 東急1000系は既に上田電鉄や伊賀鉄道など地方鉄道に売却される車両が出てきています。地方鉄道で使いやすい18m級車体の電車は限られているので、今後も地方鉄道への売却が行われるものと思います。

2010/01/15

東京急行電鉄7700系(7915F)

 7700系の最終編成である7915Fは、1996年に4両編成3本を池上線用に3両編成4本に組み替える過程で、電動車化・先頭車化改造を行ってできた編成です。
 増設された運転台は1000系に似たデザインを採用しています。そのため7700系でありながら、他の14編成とは異なった風貌をしています。
 7915Fは東急では初めて車両間に転落防止用装置を備えた編成でもあります。また新設した運転台にはモニタ装置を取り付けていました。
 実験的な要素を含む異端な編成でもあり、7000系が増備されるとまっさきに廃車という心配があるのですが、とりあえず12月に登場の7105Fと入れ替わりに廃車ということにはならない雰囲気です。

2010/01/11

東京急行電鉄7600系(7601F)

 今月に入ってから、池上・多摩川線用7000系の5本目の編成である7105Fが営業運転に入りました。代わりに運用を退く車両については特殊な形態の7915Fや伊賀鉄道に譲渡の進む1000系などいろいろな噂があったのですが、どうやら7600系の7603Fが廃車になるようです。
 7600系は1967年から72年にかけて53両が製造された7200系のうち9両を1986年から90年にかけて東急車輛でVVVFインバーター制御に改造したものです。7200系とあわせて池上線に集中配置されました。
 1994年から95年にかけて池上線のワンマン運転に対応するための工事と更新修繕を実施し、現状と同じく赤黒のステッカー貼りになりました。ファンの間で「歌舞伎」と呼ばれるルックスになったわけですね。
 1998年3月から池上線でワンマン運転が開始され、7600系にも機器が追加されました。2000年8月からは多摩川線の運用にも入っています。

2010/01/09

東京急行電鉄1000系(1007F)

 2014年に予定されている東京メトロ副都心線との直通運転開始に伴い、日比谷線との直通列車がどうなるかというのも注目されるところです。
 東横特急の運転が始まるまでは1時間に4本が走っていた日比谷線直通列車は、いまでは1時間に2本まで削減されています。同じ方向であれば中目黒駅で同じホームで乗り換えができるわけですから、廃止される可能性もなくはないですね。
 ところで東横線の9000系を縮小したようなこの1000系ですが、近鉄系の伊賀鉄道に譲渡される仲間が出てきています。少し不思議な気がしますね。
 写真の1007Fは1989年12月に東急車輛で完成したものです。既に20年選手になるわけですね。

2010/01/06

京成電鉄AE100形(AE118編成)

 京成AE100形は「スカイライナー」の8両編成化と初代AE形の置き換えを目的として、1990年から93年にかけて56両〈8両編成7本〉が製造されました。
 車体は普通鋼製ですが、鉄道車両では採用例が稀なリトラクタブル〈蓋付き〉ヘッドライトを採用しています。また地下鉄への乗り入れを考慮して、先頭部に貫通路を設けています。
 主回路はVVVFインバーター制御で、最高110km/hで営業運転を行っています。本年度の「成田スカイアクセス」の開業を控えてもっとも去就が注目される車両であります。
 写真のAE118編成は、1990年6月に東急車輛で完成し、2002年2月にリニューアル工事を実施したものです。

京成電鉄3700形(3848編成)

 京成3700形は、1991年3月に成田空港ターミナルへの直通運転と、北総開発鉄道との相互乗り入れ開始を契機として製造が開始されました。
 写真の3848編成は2001年1月に東急車輛で完成したもので、3700形として7次車にあたります。2000年に完成した6次車とほぼ同じ仕様です。
 6次車から、ヘッドライトが上部に移っています。またパンタグラフがシングルアーム式に変更となっています。
 室内は、着席客と立席客の干渉を避けるため、座席に袖仕切りを採用しています。また客室内の騒音低減による快適性の向上を図りました。

2010/01/04

かもめ

 今日から鉄道会社各社も「平日ダイヤ」となり、2010年も本格的に始動となります。私こと佐野次郎も明日から仕事です。
 私は今日も田園都市線の撮影に出かけ、休日には撮影しにくい8590系や2000系といった東武線に乗り入れない車両たちを撮影してきたのですが、明日からの仕事に備えて撮影は9時30分と早めに切り上げました。
 帰り道根岸線の桜木町駅から少し歩いた大岡川沿いで出会ったのが「かもめ」です。越冬するために日本にやってきています。山下公園のあたりにもいますね。
 かもめは横浜ではなじみの「渡り鳥」でして、中区には「かもめ町」という町名もあり、南区には「かもめパン」というパンの老舗もあります。今年もいろんなことがあるでしょうが、現実を俯瞰し、やるべきこととやらざるべきことを見極めて日々過ごしていきたいものです。

京成電鉄3600形(3678編成)

 京成3600形は1982年から1989年にかけて54両〈6両編成9本〉が製作されました。よく言えばクセがない、わるく言えば印象の薄い電車のような気がします。
 3500形に続いて車体は軽量ステンレス製で、主回路は界磁チョッパ制御に進化しています。京成の通勤電車も「省エネ」化されたというわけです。
 話は変わりますが、線路端で撮影していると「何か珍しい電車が来るんですか?」と尋ねられることがあります。私の興味は普通に走る電車をなるべくカッコよく撮ることにありますので、「普段通りの電車が走っていますよ」と答えています。
 写真の3678編成は1989年6月に日本車輛で完成したものです。1998年12月に3668編成の中間車2両を増結して8両編成になっています。

京成電鉄3500形(3520編成)

 京成3500形は1972年から1982年にかけて96両〈4両編成24本〉が製作された通勤電車です。私にとっては初代AE形と並んで昭和50年代の京成を代表する車両だという印象があります。
 3500形は京成では初めてステンレス製の車体を採用しました。また初めてクーラーを製造当初から取り付けてできあがった電車でもあります。
 1996年から大規模な更新工事を始めたのですが、骨組みはスチール製のセミステンレス車体であるために痛みが当初の想定よりも激しく、全車の更新は見送られました。
 写真の3520編成は1973年4月東急車輛で完成し、1997年9月に大栄車輛で更新を受けたものです。更新によってかなり印象がオリジナルとは異なります。

京成電鉄3000形(3020編成)

 2010年新しい年を迎えて、どこで「書き初め」ならぬ「撮り初め」をするかを考えたのですが、夏に新・成田空港アクセス線の開業を控えて大きな変化の予想される京成電鉄を撮ることにしました。
 京成電鉄でも車両の世代交代が進み、普通列車については新鋭の3000形が席巻しているような印象を持ちました。
 3000形は2002年から、環境への配慮や省エネルギー化、バリアフリー化、保守の簡略化をコンセプトとして製造され、2008年度末で152両〈8両編成1本・6両編成25本〉が在籍しているものです。
 写真の3020編成は2006年12月に日本車両で完成したものです。 ステンレス車体のフラットな質感が同じく日本車両で製造された京王電鉄9000系に似ているような気がします。

相模線205系〈コツR11編成〉

 横浜線の橋本駅と東海道本線の茅ヶ崎駅を結ぶ相模線は、ディーゼルカーが走るローカル色の濃厚な路線でした。
 そんな相模線もようやく電化されることになり、1991年1月から3月にかけて205系500番台52両〈4両編成13本〉が製造されました。
 500番台が新たに起こされていることから想像できる通り相模線独自の仕様です。前面のデザインも独自のものです。しかし他の205系と一番大きな違うことは、乗り降りの際に自分でボタンを押してドアを開ける必要があることです。慣れればなんでもないことですが、初めての人は驚くことでしょう。
 写真のR11編成は1991年2月に東急車輛で完成したものです。豊田電車区に新製配置されましたが、JR東日本に横浜支社が設けられたため現在では相模線の車両はすべて国府津車両センターの配置となっています。
【撮影:佐野次郎 2009.12.31入谷ー海老名間】

鶴見線205系〈ナハT14編成〉

 鶴見ー扇町・海芝浦間を主に結んでいる鶴見線は首都圏では103系を最後まで運用していた路線ですが、2004年8月から2005年4月にかけて205系に置き換えられました。
 モーター付きの車両は山手線から、モーターのない制御車は埼京線でもともと使用されていたものです。いずれも運転台のない中間車両でしたので、鶴見線での使用に先立ち運転台をとりつける工事を実施しました。
 そのためオリジナルの205系とは違う顔立ちになっています。後付けの運転台を持つ205系は首都圏では南武線や川越・八高線で観ることができます。
 写真のナハT14編成は2004年12月に東京総合車両センターで改造工事を受けたものです。2009年にパンタグラフがシングルアーム式のPS33Eに交換されています。
【撮影:佐野次郎 2009.12.31国道ー鶴見小野間】

2010/01/02

小田急電鉄3000形(3282F)

 小田急電鉄3000形は2次車から、「通勤・近郊形電車の標準仕様ガイドライン」を取り入れて仕様を変更しました。
 性能や前面形状などは一次車のままですが、側窓の配置が変更となりJR東日本のE231系や東急5000形など同ガイドラインに準拠した車両に近い配置となっています。
 鉄道車両は鉄道事業者によるオーダーメイドが中心でしたが、近年は標準化が進んでいます。経済の低迷を背景に乗客も減少しつつあることから、コストダウンが至上命題となっているものと見受けられます。
 写真の3282Fは2007年2月に川崎重工で完成したもので、3000形の8次車に相当します。

小田急電鉄1000形(1094F)

 4000形が新しく作られている現在でも、1000形のうち10両固定編成4本が東京メトロ千代田線への直通運用に使用されています。
 1000形が千代田線への乗り入れを開始したのは1989年3月で、既に20年以上前の出来事になります。私にはいまだに9000形の印象が強いのですが・・・
 2007年から4000形が運用を開始したことにより、1000形のうち52両〈6両編成6本・4両編成4本〉が千代田線の直通運用から外れ、直通に必要な機器を取り外しています。
 写真の1094Fは1993年3月に日本車両で完成したものです。千代田線直通車両は10両固定編成に統一され、定員の増加が図られています。

2010/01/01

小田急電鉄1000形(1756F)

小田急1000形にはドアを拡幅した車両があります。基本的なスタイルや走行性能は1000形の在来車と同じものです。1991年と92年に36両〈6両編成2本・4両編成6本〉が製造されました。
 1000形のワイドドア車はいわゆる「バブル景気」といわれた時代の申し子ということができます。経済の好調を背景として通勤の遠距離化と混雑の激化が進む一方でした。
 新線の建設や複々線化などの抜本的な対策は完成するまでに長い年月がかかります。比較的混雑緩和に即効性のある手段として当時導入されたのが、山手線の6扉車など「多扉車」や1000形の「ワイドドア車」です。
 写真の1756Fは1992年2月に川崎重工で完成したものです。小田急も現在では複々線化が進み、かつての「いつどの区間で乗っても混んでいる」という印象を払拭しています。
2009.12.30 相武台前ー座間間

小田急電鉄1000形(1254F)

 小田急1000形は各駅停車の8両編成化と9000形の千代田線直通運転の代替を目的として、1987年から92年にかけて160両〈10両編成4本、8両編成1本、6両編成6本、4両編成19本〉が製造されました。
 小田急では初めて軽量ステンレス車体とVVVFインバーター制御を採用した車両です。1000形のVVVF装置はGTOサイリスタ素子を使用したものです。
 室内の配色は8000形の後期形に続いて暖色系の配色でまとめられました。1000形は当時の通勤型電車としては標準的な構成の電車ということができるでしょう。
 写真の1254Fは1989年12月に川崎重工で完成したものです。近年の車両に比べると丸みを帯びていて、戸袋窓もありなんとなくゆったりとした印象をうけます。