2009/11/29

東上線50090系〈51092F〉

 東武鉄道50090系は、着席ニーズに対応するための東上線の有料列車「TJライナー」導入計画に基づいて2008年に40両〈10両編成4本〉が導入されたものである。また50000系の実質的な増備車でもある。
 50090系の特徴は座席にある。「TJライナー」として走る時は座席が進行方向側に向く。つまり新幹線や特急電車のような配置になる。しかし準急などで走る場合は普通の通勤電車と同じような座席配置にできるような転換装置を備えている。
 特筆すべき点は「TJライナー」使用時の座席の間隔が1.000mmを確保していること。これは「湘南新宿ライン」や東海道線のグリーン車はもちろん、JR東日本の特急電車より少し広いのである。
 2008年6月から運転を開始した「TJライナー」であるが、早くも利用者が通算で100万人を突破したそうである。乗客の要望に鉄道事業者として正面からこたえたことによる成功例といえよう。
【撮影:佐野次郎 2009.11.15川越駅】

東京地下鉄7000系(7122F)

 営団地下鉄〈当時〉有楽町線は、1983年6月に池袋ー営団成増間を延長開業した。延長に伴い7000系の三次車として10両編成6本60両と、一・二次車の10両編成化用の中間車100両が製造された。
 写真の7122F編成は10両編成で製造されたうちの1本である。側窓が1段下降式となり、冷房装置を搭載する準備工事を施していることなどの変更点がある。
 これは当時の営団地下鉄の最新型車両であった半蔵門線用の8000系の仕様を有楽町線7000系三次車に反映させたものである。同様に千代田線6000系四次車にも同様の改良が施されている。既存形式の増備に際して、最新形式の仕様を反映して改良を施すという手法は東京メトロとなった現在でも行われている。
 有楽町線も2010年には副都心線と同様ホームドアを導入してワンマン運転を行うとのことで、有楽町線開業以来の黄色い帯を巻いた7000系も姿を消すことになる。副都心線対応工事を施した7000系については引き続き使用される。

2009/11/28

江ノ電1500形〈1502+1552〉

 1987年に1500形の増備車1502+1502号が登場した。1500形は1986年に1000形の四次車として登場したもので、江ノ電としては初めてカルダン駆動を採用した。
 江ノ電の電車は小型でなかなかカルダン駆動に移行できなかったが、技術的な問題を克服して1986年に1500形を投入したわけである。ちなみに国鉄では1958年に製造された101系電車からカルダン駆動に移行しているから、小型電車での採用がよほど困難であったことがうかがわれる。
 江ノ電と大きさが似通っている路面電車の世界でも、カルダン駆動の新造車は広電の800形・3500形・3700形や長崎電軌の2000形くらいしか1500形と同時代には存在しなかった。
 江ノ電では1500形の登場のあと、2000形やレトロ調の10形、20形、そして名車のイメージを継承する二代目500形などカルダン駆動の新車を続々と投入し、車両の近代化を進めている。
【撮影:佐野次郎 2009.8.13江ノ島駅】

江ノ電1000形〈1201+1251〉

 1000形の三次車である写真の1201+1251号は1983年に登場した。従来の1000形と比べると製造した当初から冷房装置を備えたほか、ライトが角形になったことなどの変化がある。
 江ノ電では最後の吊り掛け駆動の新造車両ということになる。 入れ替りに600形の603+604号が廃車となっている。
 現在1201+1251号は、「江ノ電プラレール」号として走っている。「プラレール」というのはプラスチック製の鉄道のおもちゃである。
 「pラレール」はNゲージのように精巧なものではないが細かい部品などはなく、壊したり誤って口に含む危険性も低いので、まさに子供のためのレールなのである。江ノ島駅の待合室にはプラレールも展示されている。
【撮影;佐野次郎 2009.9.20極楽寺ー稲村ケ崎間】

2009/11/27

江ノ電1000形〈1101+1151〉

 写真の1101+1151は1000形の増備車で、1981年に登場した。冷房装置をつける準備をしていた。このような車両は「冷房準備車」と呼ばれ、昭和50年代には国鉄115系や営団地下鉄01系などの例がある。
 1101号編成は1982年12月には冷房装置を搭載し、江ノ電では初めての冷房付きの電車となった。この頃にはまだまだ冷房のない通勤電車というものが多く存在していた。
 私が毎日のように利用する根岸線でもこの頃は先頭車のみに冷房があり、中間には冷房のない車両が当たり前のように連結されていた。
 1101+1151は2009年の2月からSKIP号として写真のような塗装を施して走っている。沿線のイメージを車体に描いているということである。
【撮影:佐野次郎 2009.9.20極楽寺ー稲村ケ崎間】
 

2009/11/26

江ノ電1000形〈1001+1051〉

 江ノ電1000形は1979年に江ノ電としては48年ぶりの新造車両として登場した電車である。当時としては意外なことに旧式の吊り掛け駆動の電車である。
 当時としては旧式の方式を採用したのは、江ノ電の急曲線が多い線路条件が理由であった。江ノ電がカルダン駆動の電車に移行したのは、1986年に登場した1500形からである。
 ちなみに国電が吊り掛け駆動を採用していたのは72・73形までで、1957年の101系からはカルダン駆動になっている。前者を旧形国電、後者を新性能電車とも呼んでいた。
 吊り掛けl駆動の電車は走行音が明らかに現代の電車とは異なる。ウイーンという盛大な音を立てる。また止まる時にも重厚な音を立てる。首都圏で今も走る吊り掛け駆動の電車は江ノ電1000形の他には東京都電7000形・7500形くらいだろうか?
【撮影:佐野次郎 2009.8.13江ノ島駅】

2009/11/22

江ノ電600形〈601+602〉

 江ノ電では単行運転をやめることによる車両不足を補うため、1970年に東急玉川線のデハ80形4両を購入して、600形として営業運転に投入した。
 江ノ電での使用に際して、乗降口のステップを廃止している。写真の601号編成は1990年まで使用された。また601 号車は東急世田谷線宮の坂駅に隣接している宮坂区民センターで静態保存されている。塗装は東急世田谷線と同じグリーン、車番は江ノ電時代の601号のままである。
 ちなみに東急玉川線は渋谷ー二子玉川園間の路面電車で1969年に廃止された。現在は同じルートの地下を東急田園都市線が走っている。
 有数の混雑路線である田園都市線が地下を走る国道246号線の上を、40年前まで写真のような小さい電車が走っていたのは今では信じられないことである。
【撮影:佐野次郎 1986年頃江ノ島駅】

江ノ電100形〈108〉

 100形は江ノ電としては初めてのボギー車〈台車が1両に二つある車両〉で、1929年に4両が登場し、1931年には6両が増備された。
 江ノ電は1949年に鎌倉駅の位置を現在と同じ横須賀線鎌倉駅西口に移したことにより利便性が増し、1945年には600万人台であった乗客が一気に1.200万人台に増えた。
 1956年から輸送力の大きい連接車が投入されるようになり、ボギー車による単行運転は脇役に退いていった。写真の108号車も1980年にはさよなら運転を実施して、現役を退いた。
 108号は1982年に廃車となったあとも、江ノ島駅の留置線で姿を見ることができた。現在では極楽寺の車庫で保管されている。
【撮影:佐野次郎 1986年頃江ノ島駅】

江ノ電20形〈21+61〉

 20形電車は、10形に続いて製作された「レトロ電車」と呼ばれる復古調の車両であるが、その種の車両にありがちな「あざとさ」がない。
 不自然な装飾もなく塗装も落ちついたものなので、現代の江ノ電に完全に溶け込んでいる。
 かつての300形電車に通じる安心感がある。1000形が20形に準じた塗装に変更したのも正解だと思う。
 この車両を横から見ると、最新型の500形電車とレイアウトがよく似ていることに気がつく。本質としてはやはり新しい電車なのである。
【撮影:佐野次郎 2009.11.21 稲村ケ崎ー七里ヶ浜間】

江ノ電500形〈先代〉

 先代の500形がどういう車両であったかというと、ヨーロピアンスタイルの車体を新しくこしらえた電車であった。江ノ電では人気の高い電車でもあった。
 1956年に501号編成、1957年に502号編成が製作された。それぞれ違うメーカーで製作されたこともあり、ヘッドライトやテールライトの形が違っていて印象の違う顔立ちをしていた。
 両編成が同じ形になったのは、501号編成が2000年に、502号編成が2001年に更新されてからであった。
 新型車両が入ってからも継続して500形を使う予定だったが、冷房化が車体の構造上難しかったので、501号編成が2002年に、502号編成が2003年に廃車された。先代500形の走行機器は20形電車に流用された。
【撮影:佐野次郎 1986年頃 江ノ島駅】

2009/11/21

江ノ電500形〈501+551〉

 江ノ電でもっとも新しい電車である500形電車のよいところは、落ち着いた塗装を施し必要以上に存在を誇示していないところだと私は思う。
 江ノ電は地域住民の足であると同時に観光資源でもある。
 古都鎌倉を走る電車であるから、間違っても銀色の電車など走らせてほしくはないものだ。
 最近江ノ島電鉄は京都を走る嵐電と業務提携をしたそうで、嵐電と同じ塗装を施した電車も登場している。確かに両者の雰囲気はよく似ている。
【撮影:佐野次郎 2009.11.21稲村ケ崎ー七里ヶ浜間】

江ノ電300形〈301+351〉

 江ノ電300形は1編成ごとにベースとしている車両が違うので、それぞれ仕様が異なっている。現存している305号編成も今では古い電車だという気がするが、既に引退した編成にはさらに古色蒼然とした面構えをしていたものがある。
 写真の301号編成は、1956年に東京都電の113号・114号を連接車に改造したものである。
 1979年に事故から復旧するために写真のスタイルに変更されたが、それ以前はヘッドライトが屋根上にあった。
 方向幕などというものはなく、「鎌倉ー藤沢」というサボを前面に掲げて走っていた。その他、302号編成、306号編成が301号編成に近いスタイルであった。
【撮影:佐野次郎 1986年頃 撮影場所不明】

2009/11/18

E233系3000番代〈コツE01+E51編成〉

 JR東日本が運行している東海道本線の東京ー熱海間でもっとも新しい電車が写真のE233系3000番台である。今のところ、2007年11月末に東急車輛で竣工した1編成しかない。  JR東日本の通勤電車は単一の系列が多くの用途をカバーする傾向にある。最新のE233系は、103系・113系・115系と201系・203系と205系・207系・209系・211系を1系列で代替できる車両である。  過去にさかのぼって考えると、1986年に登場した211系は平坦線用113系と勾配線用115系というくくりをなくした系列であり、2000年に登場したE231系は通勤型電車と近郊型電車を1系列でカバーできる系列になった。  E233系は京浜東北・根岸線への投入が完了すると、次は京葉線に投入される。東海道線向けの3000番代も今年度に1本の追加投入が取り沙汰されている。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

2009/11/15

211系〈チタN32編成〉

 好評を持って迎えられた211系近郊型電車であるが、旺盛な経済活動を背景として東海道線の混雑は激しくなるばかりであった。
 激化する混雑に対応するため、211系の基本編成もN6編成を最後にセミクロスシートを取りやめ、以降の増備車は基本編成もロングシートを採用した。
 JR西日本の新快速のように転換クロスシートを採用するのは理想ではあるが、近畿圏と東京圏では乗客数のベースがやはり違う。なにがなんでもクロスシートがいいとは言えない思う。
 東京ー横浜間はほんとうに混む。3扉車では限界なのではないかという気がずっとしていた。211系も近い将来に東海道線から退き、4扉車に統一されることになるだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

211系〈チタN6編成〉

 東海道線では長い間113系近郊型電車を使用してきたが、1986年になってからようやく211系近郊型電車を投入した。
 113系の普通鋼製・抵抗制御・コイルバネ台車という仕様は、登場当時の1960年代後半はともかく、1980年代ともなると、まさに「時代遅れ」、なものとなっていた。
 211系では、車体は軽量ステンレス製となり、電気を節約できる回生ブレーキも装備され、台車も軽量ボルスタレス台車となった。
 車内も明るくなり、温かい配色と丸みを帯びた腰掛の形状も実に好感の持てるものだった。211系によって113系の全面取り替えというわけにはいかず、相当数の113系がその後も活躍を続けた。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

2009/11/14

EF66形〈34号〉

 EF66形電気機関車は、パワーとスタイルの両面において従来の国鉄の電気機関車とは一線を画する存在であるといえよう。
 EF66形はコンテナ車を牽引するために生まれた機関車である。従来の貨車をコンテナ車に代えることで、鉄道は拠点間を結ぶ輸送に特化し、各需要地への輸送は小回りの利くトラックに委ねることができる。
 しかし、昭和50年代後半の鉄道貨物の低迷により、EF66形に多く余剰が発生し、ブルートレインの牽引に転用されたのは今となっては皮肉である。
 現在、JR貨物がEF66形と同等の性能を持つEF210形を増備しているのは、EF66形のコンセプトが鉄道貨物のあるべき姿を見越していたものだったからだと思われる。
【撮影:佐野次郎 2009.11.13大船駅】

EF65形500番代(524号)

 EF65形の中でも目立つ存在であったのが、F形の高速貨物牽引用のグループである。貨物用でありながら、特急牽引用と同じ番号を持ち、同じ塗装を施していた。  しかしながら連結器まわりが重装備で、すっきりとした顔立ちの旅客用とはミッションが異なることを物語っている。  これら高速貨物牽引用のF形が現役を退くときにはファンの注目を相当集めたものである。また鉄道模型の世界では、T社が最後まで残った3両をわざわざセットで模型にした。Nゲージでも一歩踏み込んだマーケティングをしていることがわかる。  今では写真のような貨車を連ねた貨物列車はなくなり、コンテナ車が中心になっている。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 大船駅】

EF65形〈4号〉

EF65形電気機関車は、一般型、P形(ブルトレ牽引用)、F形〈高速貨物牽引用〉、PF形と長期間に渡って製造された機関車で、昭和50年代から近年まで首都圏ではよくみかける存在だった。
 1985年3月のダイヤ改正で、東京ー九州間のブルートレインの牽引機関車がEF66形に交代するまでは、国鉄を代表する電気機関車であった。
 中でも地味な存在ながら貨物輸送に日夜活躍を続けていたのが写真の一般型である。JR貨物に継承されてからは更新工事により塗装も一新して活躍を続けた。
 近年は新型機関車の登場により、EF65形も急速に数を減らしている。現在新製されているのはEF66形と同等のEF210形であり、EF65形に相当する新型機関車はない。
【撮影:佐野次郎 1984年頃 大船駅】

2009/11/13

200系新幹線電車

 200系新幹線電車は東北・上越新幹線の開業に備えて1980年に第1編成が完成した。1982年6月の東北新幹線大宮ー盛岡間、同年11月の上越新幹線大宮ー新潟間の開業にあわせて12両編成36本が揃えられた。
 その後1985年3月の上野ー大宮間開業や1991年3月の東京ー上野間開業による列車の増発に対応して増備され、最高速度を240km/hに引き上げた車両や先頭車の形状を100系に準じて変更した車両や二階建て車両も登場した。1990年までに700両が製造された。
 200系新幹線電車は0系のイメージを継承しているが、車体はアルミ製で耐寒・耐雪設備が大幅に強化されている。また主回路はサイリスタチョッパ制御を採用し、発電ブレーキと全電気式空気ブレーキを装備している。
 1997年から2001年にかけて10両編成12本のリニューアル改造を行い、老朽機器の交換・劣化部位の改修、塗装変更、アコモ改善を行った。E2系やE4系など新型車両の増備により、2004年3月のダイヤ改正でリニューアル編成を除いて定期運用から退いている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23高崎駅】

115系1000番台〈タカT1143編成〉

 115系近郊型電車は1963年から1983年の長期間に渡り1.921両が製造された。東海道線用の111系に電動機の出力強化、勾配・寒冷地対策を施した系列で当初は東北・高崎線に投入された。
 1000番台は1977年に長野・松本地区の旧形国電を置き換えるのを契機に登場した番台で、寒冷地対策の強化とクロスシートのピッチを広げたものである。1000番台は1982年までに651両が製作された。
 115系は1000番台も含めて宇都宮線・高崎線の主力として長く運用されてきた。上野口では「ありふれた」存在であったが、E231系の急速な増備によりあっという間に姿を消した。
 高崎地区では高崎車両センターに77両〈4両編成・3両編成各11本〉が配置され、信越本線高崎ー横川間、上越線高崎ー水上間、東北本線小山ー宇都宮間と両毛線・吾妻線の全線で運用されている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23高崎駅】

横川駅

 信越本線は長野新幹線の開業により分断され、高崎方は高崎ー横川間の折り返し運転となっている。日中は普通列車が1時間に1本程度の運転となっている。
 軌道は複線が維持されている。終点の横川駅は配線こそかなり整理されているが、広い構内や長いホームはそのままで、都市間輸送の要衝であったことをうかがわせる。
 駅弁で高名なおぎのやの「峠の釜めし」も盛業中で今もホームで食べることができる。
 信越本線の普通に使用されている107系電車は165系急行形電車を車体更新したものである。乗車していると警笛音やコンプレッサーの音が急行電車そのものであることが実感できる。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むら

 1999年4月に開業した碓氷峠文化むらは、高崎駅を起点とする信越本線の横川駅に隣接する鉄道の保存施設である。
 横川機関区跡を利用した敷地に実に50両近くの実物車両を展示している。写真の通り屋外の展示が中心であるが、EF80形電気機関車や10系軽量客車など大宮の鉄道博物館ではお目にかかることのできない貴重な車両が展示されている。
 鉄道を知る人にとっては、興味深い車両が多数展示されている素晴らしい施設である。屋外展示なのが心配ではあるが、長く続いてほしい施設である。
 私は一度行ってみたいと思っていたが、なかなか行けなかった。一度訪ねてみて大満足であった。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらクハ189-5

 1990年から上野ー長野間を結ぶ特急「あさま」の需要の維持・向上を目的として189系電車のグレードアップ工事が行われた。
 工事内容は、編成全体の塗装変更と車内設備の改善で、グリーン車は腰掛を1+2の3列配置というゆxたりとしたレイアウトに改善した。また指定席車は腰掛の間隔を50mmから60mm拡大して、960mmから970mmとした。またグリーン車と指定席車については側窓の拡大と、床の一部かさ上げを行っている。
 これらの改造内容は1988年から行われた中央東線の特急「あずさ」に使用する183系1000番台に準じたものである。
 それなりに好評を博した189系グレードアップ車であるが、抜本的な改善は新幹線に委ねることになった。1997年には長野新幹線が開業し、「あさま」の愛称も新幹線に継承された。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/11/11

特急「あさま」

 碓氷峠鉄道文化むらに保存されている189系特急形電車は、現役時代上野ー長野間を結ぶ特急「あさま」に使用されていた。
 189系は1975年から長野新幹線が開業した1997年まで走り続けたものである。現在でも一部の車両が団体輸送用に残っている。
 写真は現役時代の189系を上野駅の地平ホームで撮影したものである。
 1985年3月のダイヤ改正で、東北新幹線の上野ー大宮間が開業したことにより、在来線の特急は相当整理されたが、常磐線の「ひたち」 と信越本線の「あさま」は相当な本数を維持していた。
【撮影:佐野次郎 1985年頃 上野駅】
 

碓氷峠鉄道文化むらクハ189-506

 信越本線の横川ー軽井沢間を通過する信越本線の優等列車にはEF63形電気機関車と協調運転を行うことができる特急用電車189系・489系、急行用電車169系といった専用車両が用意されていた。
 これらの専用車両は最大12両編成で運転され、特殊な急こう配区間を抱えるにも関わらず、通常の幹線と同等の輸送力を誇っていた。
 横川運転区の敷地を利用して開設された碓氷峠文化むらに189系電車が保存されている姿は感慨深いものがある。
 また国鉄末期には183系・189系のグリーン車を大改造してEF63形の助けを借りることなく碓氷峠を通過できる187系特急形電車が構想されたが、実現しなかった。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/11/09

東西線5000系

 営団地下鉄5000系は1964年から1981年にかけて7次にわたり428両が新製された。東西線用の主力車両であるが、一時的に千代田線で使用されたこともある。
 車体はセミステンレス製を基本として、一部アルミ製の車両が存在した。今では信じられないが、冷房装置も装備していなかった。
 主回路は抵抗制御であるが、多段制御を採用し、乗り心地は悪くはない。
 既に05系と07系に代替され、東西線での運用は終了している。現在は千代田線の綾瀬支線用に少数が活躍している。
【撮影:佐野次郎 1986年冬中野駅】

2009/11/08

東西線05系〈05040F〉

 2004年度に導入された13次車である第40編成~43編成が、おそらく05系の最終増備ということになると思われる。5000系の代替を目的として製造されたもので、相互乗り入れを行っている東葉高速鉄道2000系と共同発注という形態をとり、既存の05系より約15%のコストダウンを図っている。
 デザインは一見1999年の05系8次車以降と同じように見えるが、車体はオールダブルスキン構造に変更している。この構造は新幹線の700系などに取り入れられているもので、強度の向上や衝撃の吸収性能の改善がなされている。
 客室内では、一人当たりのシート幅が従来より10mm広がった460mmとなっている。私はほぼ毎日京浜東北・根岸線のE233系1000番台を利用するが、はじめて乗車したときに感じたことは、JR東日本の通勤電車もようやく地下鉄の電車のレベルに近づいたかということだった。
 また副都心線・有楽町線用として増備を継続している10000系はこの05系13次車を基本として設計された車両である。
【撮影:佐野次郎 2009.10.24西葛西駅】

東西線05系〈05035F〉

 05系のうち2002年から2003年にかけて導入された第34編成~39編成は、半蔵門線用の08系と仕様を共通化することによりコストダウンを図っている。
 前面のデザインは1999年に導入された第25編成~33編成と同一となっている。
 この前面デザインは05系の初期型のデザインが優れていたこともあり、無理に変えたような気がしてならなかった。しかし見慣れてみると面白いデザインに思えてきた。ヘッドライトのあたりは目が吊り上がっているように見える。
 第34編成~39編成は05系の第11次~12次車に相当する。
【撮影:佐野次郎 2009.10.24西葛西駅】

東西線05系〈05022F〉

 05系も1993年度に新製された第19編成から主回路をVVVFインバーター制御に変更した。
 写真の第22編成は1994年に新製された第7次車である。
05系のVVVFインバーター装置は、当時の最新形式であった千代田線06系・有楽町線07系の仕様に準じたものである。
 07系については既に全車東西線に転属し、05系と同様に運用されている。
【撮影:;佐野次郎 2009.10.24西葛西駅】

東西線05系〈05007F〉

 東京メトロ東西線の05系は開業以来使用していた5000系に代わる主力車両として1988年から2004年にかけて仕様の変更を繰り返しながら430両〈10両編成43本〉が製作された。
 初期の車両は日比谷線用の03系をベースとして設計され、アルミ車体を採用し、主回路はチョッパ制御である。実用本位の5000系に比べると1ランク上の車両だという気がする。
 写真の第7編成は1990年度に投入された3次車である。
 チョッパ制御を採用した05系の初期型は、副都心線・有楽町線用10000系をベースにした15000系ワイドドア車に置き換えられることになりそうである。更新すればまだまだ使える05系初期型を淘汰してまでワイドドア車を新製投入することに東西線の混雑の激しさが顕れている。
【撮影:佐野次郎 2009.10.24西葛西駅】

2009/11/07

日比谷線03系5扉車〈03113F〉

 1990年代は激化する一方のラッシュ時の輸送に対応すべく、鉄道各社は施設・運転・車両などの観点から対策を講じてきた。
 車両面の対策としては、乗降時間の短縮を意図して、乗降口の数を増やした「多扉車」、乗降口の幅を広げた「ワイドドア車」が登場した。
 「多扉車」には、写真の03系の他、京王6000系、JR東日本205系・209系、「ワイドドア車」には小田急1000系、営団地下鉄05系などがある。
 近年では経済成長の鈍化による乗客数の減少や、複々線化工事などのインフラの整備により、多扉車が新製されることはなくなっている。
【撮影:佐野次郎 2009.9.27新丸子駅】

丸の内線02系〈02143F〉

 東京メトロ02系は1988年から96年にかけて336両が製作された。丸ノ内線は方南町支線も含めて02系での運転に統一されている。
 丸ノ内線で開業以来使用していた300形・500形などの老朽置き換え用として、銀座線に投入された01系をベースとして設計されたものである。銀座線の電車をほんの少し大きくしたように見える。
 車体はアルミ製で、主回路は1992年製造の19編成まではチョッパ制御を採用していた。20編成目からVVVFインバーター制御に変更されている。
 写真の43編成は1994年に製造された7次車と呼ばれるグループに入っている。また丸ノ内線では2009年3月から池袋ー荻窪間でもワンマン運転を実施している。
【撮影:佐野次郎 2009.11.1後楽園駅】

2009/11/03

西武鉄道4000系(4015F)

西武鉄道4000系は、主に秩父線で使用する2扉・セミクロスシートの車両です。1989年4月から開始した秩父鉄道への直通運転に使用することもふまえ、旅客サービスの向上やアコモデーションのグレードアップが図られました。
車体は普通鋼製で、1.300mmの両開き2扉・一枚下降式のバランサー付き側窓を採用しました。塗装は明るいアイボリーを基調としたライオンズカラーです。腰掛は鮮やかなブルーの縞模様のモケット張とし、シートピッチ1.640mm、シート幅942mmとゆとりのある配置がされました。
制御装置はMMC-HTB20E、主電動機は出力150kWのHS836Prb、補助電源装置はMG117A-Sです。台車はFS372/FS072、冷房装置はCU72Bを装備しています。集電装置は新製当初は菱形のパンタグラフでしたが、現在ではシングルアーム式に換装されています。
写真の4015Fは1989年3月に東急車輌で完成したものです。2003年1月にワンマン運転対応工事、2004年8月に集電装置の換装が行われました。2023年7月現在では飯能ー西武秩父間での各駅停車での運用が基本になっています。

2009/11/02

西武鉄道3000系(3003F)

 西武鉄道は長らく20m級車体・両開き3扉という通勤電車を導入してきたが、3000系が最後の系列になりそうである。
 3000系は池袋線用として1983年から87年にかけて72両〈8両編成9本〉が製造された。最初の3編成は東急車輛で製造されたが、第4編成以降は西武所沢車両工場で製造された。
 また3000系は101系電車の最終増備形でもある。新101系や301系とほぼ同じデザインだが、先頭車にスカートを装備しているため印象が異なる。
 池袋線の3000系は小手指車両基地に48両〈8両編成6本〉が在籍している。

2009/11/01

E233系1000番台〈ウラ177編成〉

 京浜東北・根岸線もほとんどの列車が最新型のE233系1000番台で運転されるようになったきた。
 根岸線沿線に住んでいる私にとっては、103系→209系→E233系1000番台と3世代目の車両ということになる。
 車両は変化しても、運転面の変化は乏しい。大船行は少ないし、運転間隔を調整するために東神奈川駅に停車するのも、本数が少ないのが原因である。
 山手駅もいよいよバリアフリー化のため改装に着手するようである。終電から始発が走るまでの限られた時間に工事をするわけであるから完成までに相当の年数を必要とすることだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.10.31山手駅】

209系〈ウラ64編成〉

  早いもので2009年も11月と12月を残すだけとなりました。京浜東北・根岸線では209系からE233系1000番台への置き換えが急速に進んでいます。
 2009年10月末の段階で既に209系の稼働編成は7~8本に減少しているはずです。京浜東北・根岸線における209系の活躍もいよいよ最終章に入ってきたという感じですね。
 これだけ減ると209系を目にする機会も減ってきます。朝夕のラッシュ時こそ、それなりに走る姿をみかけますが、日中はすっかり影が薄くなりました。
 写真のウラ64編成は1996年2月に新津車輌製作所で完成し、浦和電車区に新製配置されました。2010年1月に京浜東北・根岸線での営業運転を終了し、2月に長野総合車両センターに回送されました。
【撮影:佐野次郎 2009.10.31山手駅】