2009/10/31

EH200形〈3号〉

 通勤型電車が主体の根岸線にあって、ひときわ目立つのがEH200形電気機関車である。
 2車体連結でやや前面の傾斜したスタイルで力強さを感じさせる電気機関車である。EF65形などとは重量感が違う。
 根岸線の電気機関車といえば、EF15形からEF65形まで東海道線系統の機関車が走るイメージがあったが、EH200形jはEF64形の系譜に連なる山岳路線用の機関車である。
 JRになってから、根岸線を走る電気機関車も多様になってきたものである。
【撮影:佐野次郎 2009.10.31山手駅】

185系200番台〈チタB5編成〉

 根岸線にはわずかながら特急電車が走っている。横浜線経由の臨時列車「はまかいじ」に充当される田町電車区185系B編成がそれである。
 その中でもD-ATCを装備したB4~B6編成だけが、送り込み回送で根岸線に入ってくる。
 かつては189系も特急「はまかいじ」の運用で根岸線に入ってきていた。磯子まで客扱いをしていたようだが、関内駅に着くころには車内は閑散としていたようだった。
 ともあれ、根岸線を走る特急電車には意外性が感じられる。できれば通勤ライナー的な列車も設定してもらいたいものだ。
【撮影:佐野次郎 2009.10.4山手駅】

2009/10/30

碓氷峠鉄道文化むらキハ35-901

 キハ35系気動車は両開き3扉・ロングシートの通勤型車両で、1961年から関西本線を皮切りに、千葉・新潟・九州地区を中心に413両が新製された。
 900番台はステンレス車体を採用した特殊仕様の車両で、1962年から63年にかけて10両が製作された。海岸線の近くを走ることが多い、千葉地区に投入されたがその後の増備はなかった。
 900番台の導入にはアメリカのバット社との技術提携によりステンレス車両の製造を始めた東急車輛の強い働きかけがあったそうである。
 製造コストが予想より高いことや、軽量化の効果が十分でないなどの要因で当時はステンレス車体は普及しなかった。また塗装の職場を失うことを恐れた労働組合の抵抗も相当なものであったという。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/10/29

碓氷峠鉄道文化むらキハ20-467

キハ20系気動車は1953年に導入されたキハ17系を基本として、車体を拡幅して接客設備の改善を図ったもので1957年から66年にかけて、キハ20形を中心に北海道向けにデッキを設けたキハ22形や勾配路線向けに2エンジンとしたキハ52形など7形式1.126両が新製されました。
キハ17系に比べて車体幅を200mm、車体高さを180mm拡大し、準急用のキハ55形に準じた大きさとなりました。電車・客車なみの寸法に拡大して居住性の改善を図る一方で鋼体の軽量化によって重量が増えないようにしています。
ディーゼル機関はDMH17Cを搭載しています。台車はコイルバネ式のDT22A/TR51Aを装備しています。客室内部はセミクロスシートとし、側窓は2段上昇式となっております。客室の照明には40Wの白熱灯を使用していました。
写真のキハ20 467は1962年3月に日本車両で完成したものです。更なる車体の軽量化や台車の変更などの設計変更を行ったキハ20系200番台に区分される車両です。JR東日本に継承され、1990年5月に廃車となりました。

碓氷峠鉄道文化むらD5196

 D51形蒸気機関車は「デゴイチ」の愛称で知られ、最も有名な蒸気機関車である。1936年から1.115両が製作された。これだけの数が製造された機関車というのはほかにないだろう。
 D51形のなかでも初期の車両は煙突にドームが直結した「なめくじ」と呼ばれるグループを形成している。
 写真の96号機は埼玉県長瀞にあったSLホテルから移設したものである。
 赤ナンバープレートとロッドの赤がよく似合っている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらソ300

 操重車ソ300は1966年日立製作所製の架橋用操重車である。きわめて特殊な用途の車両であり、本線を走る姿を見ることも考えにくい。ましてや保存をしているのはここだけだろう。
 外観も特異そのもので、鉄道車両という範疇をはみだしているようにも感じられる。
 展示車両の表記を見ると「神奈川工事区配置」とある。横浜のみなとみらい地区の新高島駅付近にはかつて旧国鉄のヤードがあった。
 そこでこんな感じの貨車を見かけたような気がするが、記憶がさだかではない。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/10/27

碓氷峠鉄道文化むらオハユニ61-107

 オハユニ61形は大正時代に製作された木造客車の部材を利用して鋼体化改造を施したものである。
 3等客室に郵便室・荷物室を併設し、車掌室を設けている。
 1952年から56年にかけて富士重工、東急車輛、日立製作所で130両が改造された。
 長く現役として活躍し、最後まで残った車両は1985年に廃車となった。1985年といえば205系電車が山手線に投入された年である。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらマイネ40-11

 マイネ40形は戦後になってから初めて新製された1等寝台車である。1948年に21両が日本車輛で製作された。
 車内は区分室が4室とプルマン式寝台8区画を設けた。カーテンなどには西陣織など高級素材を使用していた。なお室内灯には国鉄では初めて蛍光灯を採用している。
 1955年に1等寝台の等級が廃止されたため、形式をマロネ40形に変更した。事業用車両に改造された車両を除き1970年に廃車となった。
 マイネ40-11は工事用宿泊車オヤ41-2から2000年に復元されたものである。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

碓氷峠鉄道文化むらスニ30-8

 スニ30-8は、1927年に日本車輛で新製された二重屋根の荷物車である。救援車スエ30-9となっていたものを荷物車に復元したものである。
 車体長さも短く、二重屋根というのはいかにもレトロな車両である。このような地味な車両がよく保存されているものだと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.7.23】

2009/10/25

目黒線5080系〈5189F〉

 2008年6月の目黒線武蔵小杉ー日吉間の延長開業に伴い、5080系36両〈6両編成6本〉が増備された。
 今回の増備により東急の目黒線用の車両は3000系が13本、5080系が8本の21編成が揃ったことになる。それでも他社の車両が目立つ。
 東京メトロ南北線・都営三田線の2路線に乗り入れているので、東急車の影が若干薄いのは仕方のないことである。
 それにしても旧目蒲線区間が現在のような変貌を遂げるとは、80年代には考えられなかったことである。
【撮影:佐野次郎 2009.10.18奥沢ー大岡山間】

2009/10/24

東京急行電鉄3000系(3010F)

東急電鉄3000系は2000年8月の目蒲線の運転系統変更による目黒線の開業に備えて専用車両として導入されたものです。営団地下鉄(当時)南北線と東京都営地下鉄三田線との相互直通運転の協定に則り、運転機器等の取扱を共通化しました。1999年から2001年にかけて78両(6両編成13本)が製造されました。
車体は軽量ステンレス製でビードのない平板で、艶消しの仕上げとなりました。先頭部は曲線デザインのFRP製です。車内の配色はピンク系の暖色でまとめられました。腰掛は片持ち式とし、座面が茶色、背面が赤色としています。
制御装置はIGBT-VVVFインバータ制御のVFI-HR2420E/SVF038-A0、主電動機は出力190kWのTKM-98・99、補助電源装置はIGBT-SIVのINV127-B0です。台車はTS-1019/TS-1020、集電装置はPT-7108B、冷房装置はRPU-11012H/HRB503-1を装備しています。
写真の3010Fは6両が2000年8月に東急車輌で完成しました。3000系の2次車に相当し、1999年4月から東横線で暫定運用についた3001Fに対する、乗客・乗務員・検修員の意見を踏まえて改良を施しています。

東京急行電鉄3000系(3001F)

 1999年に営団南北線・都営三田線・埼玉高速鉄道への相互直通運転用車両として「すべてにやさしく美しい車両」を目指して開発された3000系の第一編成が8両編成で東横線に投入された。
 正面は長い間東急では標準であった切妻から脱却し、側面まで回り込んだパノラミックウインドウを採用した。これはワンマン運転に備えて広い視界を確保するためである。
 主回路はIGBT-VVVFインバーター制御を採用している。また行先表示は新製時からLED式となっている。
 3001Fは2000年1月に東横線を離れ、6両編成に組み替えられて目黒線に転用された。スカートの切り欠き部分が大きいのが、3001Fの特徴である。

三田線6300形(6324編成)

 2000年9月の三田ー白金高輪間延長開業、営団南北線・東急目黒線との相互直通運転開始に備えて、1999年6月から2000年8月にかけて6300形三次車144両(6両編成24本)を増備した。
 相互直通運転開始とともにワンマン運転を行うため、ATC/Oやホーム監視装置を新製当初から装備した。スカート形状が変更されているのが特徴である。
 また製作費の低減のため、車端部クロスシートの廃止や床敷物・カーテンの単色化、ドア内張の化粧板廃止などを行っている。
 三次車の導入により、三田線開業以来の6000形は全車廃止となった。その中には秩父鉄道、熊本電気鉄道、インドネシアに転用され、現在も活躍している車両がある。
【撮影:佐野次郎 2009.10.18奥沢ー大岡山間】

三田線6300形(6313編成)

 目黒ー日吉間の東急目黒線は、目黒ー多摩川間の旧目蒲線区間と多摩川ー日吉間の東横線複々線化区間から構成されている。
 東京メトロ南北線・都営三田線・埼玉高速鉄道と相互乗り入れを行っており、東急の車両よりも他社の車両をよく見かける路線である。
 一番よく見るような気がするのが、都営三田線6300形である。
 写真の6313編成は1994年7月に二次車の最終編成として増備されたものである。スカートが大型のものに変更となっている。
【撮影:佐野次郎 2009.10.18奥沢ー大岡山間】

東京都交通局6300形(6301編成)

  都営地下鉄三田線では1993年からサービス改善を目的として、営団(当時)・東急との相互乗り入れに対応した6300形を投入した。
 車体はステンレス製であり、スピード感を感じさせるデザインとなっている。また車内設備は6000形に比べて大きく改善されている。
 主回路はVVVFインバーター制御を採用し、省エネルギー化と保守の軽減を図っている。
 6300形は222両(6両編成37本)が製作され、志村車両検修場に配置されている。

2009/10/23

新宿線10-300形(10-379)

  東京都交通局では、都営地下鉄新宿線の開業に備えて1978年から79年にかけて製作した10-000形のうち108両が老朽化したため、編成すべてが新車の10-300形と、先頭車だけが新車の10-300R形を投入することになった。
 10-300形はJR東日本のE231系をベースにしている。性能については京王電鉄との「10号線直通車両規格」に基づいている。
 外観は同じくE231系をベースとした東急5000系とよく似ているような気がする。しかし前照灯の位置は本系列独自のものである。
 10-300形は2005年5月から営業運転を開始した。相互乗り入れにより京王相模原線の終点橋本まで乗り入れている。
【撮影:佐野次郎 2009.10.17 京王永山駅】

2009/10/16

東京急行電鉄9000系(9001F)

東横線は8000系の天下が長く続いていたため、私にとっては9000系は新しい部類の電車という印象がある。
しかし近年の5050系の急速な増備により、東横線では一番ベテランの形式となっている。
現代の通勤電車では標準装備となっているVVVFインバーター制御やボルスタレス台車にしても、9000系は実用車両の採用例としては関東民鉄初といってもいいだろう。
写真の9001Fは、1986年3月に投入された9000形の第一編成である。5連に組み替えて大井町線で使用されたこともあるが、現在は東横線に戻っている。

2009/10/04

京浜急行600形(656編成)

 600形のうち1996年に製造された32両(608編成、651~656編成)では、システムの大幅な見直しを行っている。
 シンプルな構成により導入コストの低減を図るため2M2Tユニットを採用し、京急としては700形以来のMT比1:1の編成となっている。
 外観上の最も大きな変化はシングルアーム式のパンタグラフを採用したことである。また座席配置の見直しを行ったことに伴い、側窓の分割位置を変更している。
 4両編成については単独で普通に運用されているほか、快速特急の増結用にも運用されている。2100形には4連は作られていないので、600形や新1000形の4両編成がその役割を果たしているといえるだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.10.3仲木戸駅】