2009/07/25

AE100系

 京成電鉄では1978年に成田空港が開港して以来、京成上野ー成田空港間に座席指定の特急列車「スカイライナー」を運転してきた。
 1991年の成田空港ターミナル地下駅開業を契機に、従来の6両編成を8両編成に増強した「ニュースカイライナー」AE100系を投入した。1990年から1993年にかけて56両が順次投入され、「スカイライナー」すべての運用を置き換えた。
 主回路にはVVVFインバーター制御を採用している。車体は普通鋼製である。また都営地下鉄浅草線・京浜急行線への乗り入れを考慮して、先頭車には貫通路を設けている。普通車のシートピッチは1.040mmとゆったりとしたものになっている。
 2009年にはAE100系の後継車両である新型AE形の第一陣が登場した。新型AE形は成田新高速鉄道を経由して日暮里ー成田空港間を36分で結ぶもので160km/hで運転可能である。2010年の営業運転開始に向け準備が行われている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.22国府台駅】

京成3400形〈3448編成〉

 京成電鉄では、1978年5月から上野ー成田空港間に特急「スカイライナー」を運転しているが、1993年5月までに現在使用されているAE100形に車両を取り換えている。
 1992年から先代「スカイライナー」の旧AE車の走行装置を再利用して通勤車3400形を製作した。当時の最新型通勤車両であった3700形の設計を可能な限り取り入れている。
 新たに製作された車体は3700形によく似ており、塗装もデザインを揃えているので3700形をグレーに塗ったように見える。3700形同様、スカートを装備しているがまったく違和感がない。
 2007年度末現在で40両が在籍し、地下鉄乗り入れ運用を中心に活躍している。
【撮影:佐野次郎 2009.7.24立石駅】

2009/07/24

京成3300形〈3304編成〉

 3300系は1968年から72年にかけて54両が製作された通勤型車両である。普通鋼製車体・非冷房で新製された最後の系列ということになる。
 都営地下鉄1号線乗り入れ規格に準拠した3000系列は、1958年に登場した3000形を皮切りに、3050形、3100形、3200形と順次増備されていったが、現在も残るのは3300形だけになってしまった。
 私は横浜に住んでいてほとんど京成を利用する機会がないため、京浜急行の1000形と同じように、3扉の鋼製車が中心に走っているような気がしていたが、今では3500形以降のステンレス車が主力となり、3400形以外の鋼製車は急行や快速にはもう使われていないようである。
 3300形も2007年度末の段階で32両が在籍するのみとなっている。リバイバルカラーを施している編成もあるが、近いうちに姿を消すことになるのだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.7.22国府台駅】  

253系

 1991年3月に成田空港駅が開業し、新宿(池袋)・横浜ー成田空港間に空港アクセス特急「成田エクスプレス」の運転が開始された。横浜ー東京地下駅間については横須賀線を経由することになった。
 253系の走行機器は先に登場した651系や251系を基本としている。車体は新しく設計されたもので、東京地下駅で新宿方面と横浜方面の列車の分割・併合を迅速に行うための幌装置なども新たに開発されている。
 車内の設備はモノトーンを基調とした斬新なものである。3列配置や個室を取り入れたグリーン車や航空機のようなハットラック式の荷物棚や間接照明は評価できるものだと思う。しかし普通車の腰掛が向かい合わせ式というは解せないところだ。さすがに最終増備車である200番台では普通車の腰掛は設計変更され、常に進行方向を向くようになっている。
 平成生まれの253系だが、早くも新型のE259系による全面取り換えが実施されることになった。捻出される253系は直接廃車となるのか、転配属により活用されるのか注目されるところである。
【撮影:佐野次郎 2009.7.20西大井駅】

2009/07/23

E217系(クラY-24編成)

 E217系は新製してから約13年を経過しており、電気機器の劣化に伴う故障の発生により、列車の定時運転に支障をきたす懸念があるため、主要な電気機器を取り換えることになった。  また一部の機器は回路を二重化することによって、信頼性を高めることになった。745両のE217系すべてを2008年から約4年かけて更新することになった。更新される電気機器は下記の通りである。  1)VVVFインバーター制御装置、2)補助電源装置 3)ATS-P保安装置、4)ブレーキ制御装置、5)モニタ制御伝送装置、6)電気式戸閉装置  更新工事を施行した車両は、車体の帯が明るい色調となり、先頭車のロゴがE233系と同じスタイルとなったため容易に識別することができる。
【撮影:佐野次郎 2009.7.20西大井駅】

2009/07/22

E217系(クラY-47編成)

 国鉄時代には、山手線などで使用する通勤型電車は4扉・ロングシート、東海道線などで使用する近郊型電車は3扉・セミクロスシートと明確に区分されていた。1994年から横須賀線・総武快速線で使用していた113系1000番台を置き換えるために新製されたE217系は、近郊型電車でありながら4扉となり、ロングシート車が編成に占める割合も大幅に増えた。  横須賀線用というよりは、ラッシュ時に激しい混雑となる総武快速線の輸送の実態に適合した車両であると思う。通勤は毎日のことであるから、3扉の車両に無理に詰め込むよりは、4扉・ロングシートの車両を充当するほうが現実的である。  通勤・通学から観光利用、また成田空港へのアクセス輸送など1系列で多彩なニーズをよく破綻することなく対応できているものだと思う。今となっては1世代前の電車となっているが、E231系やE233系にも大きな影響を与えていると思う。  横須賀線・総武快速線用のE217系は、鎌倉総合車両センターに715両が配置され、主力車両として活躍している。また30両だけが、国府津車両センターに配置され、東海道線用として使用されている。

2009/07/21

E351系(モトS23+S3編成)

 1994年に「スーパーあずさ」として運転を開始したのが、E351系特急型電車である。
 E351系は「振り子電車」である。「振り子電車」とは曲線にさしかかると車体を傾け、高速で曲線を走り抜ける機構を持った電車である。E351系は振り子機能を電気的に制御するもので、より高速性能が増すと言われている。JR東海が特急「しなの」で使用している383系電車やJR四国が土讃線の特急「南風」「しまんと」などで使用している2000系気動車などと同じ機構である。
 残念ながらE351系は導入時に意図した高速化ができなかった失敗作であるとも云われている。云われてみれば、振り子電車にしては重心が高いような気がしないでもない。
 結局E351系の増備は60両にとどまり、183系・189系の全面取り換えは振り子電車ではないE257形に委ねられた。しかし12両の長大編成で中央線を走る姿は威風堂々たるものだ。

E257系

 中央本線の特急「あずさ」「かいじ」は長らく183系1000番台によって運転を行ってきた。1994年にはE351系を投入し「スーパーあずさ」の運転を開始したが、全面取り換えには至らなかった。
 2002年にE257系特急型電車が登場した。E257系は E231系電車を特急型電車に発展させた形式だといえる。TIMSと呼ばれる情報伝送システムを備え、情報の集約・一元管理と電気配線の大幅な削減を実現している。
 車体はアルミ製で塗装を施している。客室内の設備は標準的なものでまとめられている。特別豪華なものではないが、183系に比べると良くなっているように思う。
 154両が揃い、「あずさ」「かいじ」で使用したいた183系・189系を置き換えている。以前は東海道線の「通勤ライナー」にも間合い運用で運用されていたが、現在ではこの運用はなくなっている。
【撮影:佐野次郎 2009.7.20西国分寺駅】

2009/07/20

中央快速線201系

 中央快速線の201系は、103系ばかりを長らく増備していた国鉄が初めて回生ブレーキ(走行に使わない電力を架線に戻す)を装備した省エネ電車として導入したものである。
 老朽化した101系を置き換え、中央快速線は長い間201系電車だけで運転されていた。私も学生時代にお世話になったものである。
 今や中央快速線の201系は10両編成2本が残るだけになってしまった。後継車両のE233系の投入のペースが早くあっという間に減ってしまった。
 イベント用の改造車「四季彩」も引退が決まり、残りの2本についても三鷹ー立川間の立体交差化工事が完了したら現役を退くことになっている。

京葉線で活躍する「青い」201系
http://sanojiro.blogspot.com/2009/03/201.html
【撮影:佐野次郎 2009.7.20西国分寺駅】

京王線7000系〈7724F〉

  京王線の7000系は、1984年から5000系などの代替を目的に新製された電車です。京王線でははじめての軽合金製の電車で、6000系をステンレス車にしたような電車ともいえますね。
 京王電鉄は、戦後も長らく京王帝都電鉄という社名でした。京王線は明治・大正天皇陵のそばを走りますので「帝都」と冠することはうなづけないこともありません。ちなみに東京メトロもかつては帝都高速度交通営団と称していました。
 新しい電車だと思っていた7000系も、VVVFインバーター制御に電装品を換装したり、バリアフリー化改造を行ったりしています。中には最新の電車のようにドアの上にテレビがついている車両もあります。
 現在では各駅停車に限らず、準特急や快速など速達系の列車にも運用されています。当面は現状のまま活躍することでしょう。
【撮影:佐野次郎 2009.7.19代田橋駅】

2009/07/19

京王電鉄6000系(6714F)

  京王線の6000系は昭和50年代から平成初頭にかけて新製投入された車両です。特急から各駅停車まで幅広く運用されていた主力車両です。
 今から21年前の大学1年の頃、体育の授業が郊外の校舎で行われており、そのあとでサークルやバイト先に行く時には京王線を利用していましたが、その頃やってきた急行電車はすべて6000系でした。当時は特急・急行・地下鉄乗り入れが6000系、各駅停車が5000系と7000系で運転されていたような記憶があります。
 意外なことに京王線で20m・4扉の車両もこの系列が最初でした。5000系は3扉で片開きでした。また製造当初は帯の色も現状とは異なり、先頭車にスカートも装備していませんでした。
 あれだけたくさん走っていた6000系も、9000系への置き換えが進み少数が活躍するのみとなってしまいました。今日撮影できたのはラッキーだったと思います。

カレーショップC&C

 カレーショップC&Cは京王電鉄の子会社であるレストラン京王が経営するカレーハウスである。京王線のターミナルである新宿店を旗艦店とし、京王線の要所を中心に、また有楽町など京王線が走らないところにも出店している。
 あくまで私の個人的な感想であるが、ここのカレーライスはたとえ毎日でも食べ飽きない味である。実際私は週に何度も食べている。コ●イチやy野屋ではそうはいかないだろう。
 私は学生時代今はなき飯田橋店でアルバイトをしていた。当時は今はメニューにないハヤシライスがあり、皿も楕円だったような気がする。 制服も青系だった。約20年前の話しであるが・・・
 鉄道写真を撮ると意外に腹が減る。今日は明大前の店に入ったが、あまりに店内がきれいでびっくりした。コロッケカレーに温野菜をトッピングしたが、カレールーがいい感じに煮詰まり欧風の本格カレーのようだった。アルバイト中心で店を運営しているはずだが、カレーを出すという仕事に「気概」を持って取り組んでいるからだろう、カレーを工場で作って店では温めているだけなのは知っているが、それにしてもうまかった。
【撮影:佐野次郎 2009.7.19明大前駅】

井の頭線1000系

 京王電鉄井の頭線は、渋谷ー吉祥寺間12.8kmを結ぶ路線である。長い間3000系電車が主力として活躍していたが、現在は1995年から新製された1000系電車が主力となっている。
 1000系電車は、レインボーカラーと呼ばれる3000系のイメージを継承した車両ではあるが、実態は京王線の8000系を基本とした車両であり、18m・3扉の3000系と異なり、20m・4扉に大型化されている。
 しかし遠目に見ると、3000系と同じく、正面2枚窓に見える。実際には新しい設計の車両であり、輸送力も強化され、性能的にも大きく改善されている。
 3000系の淘汰も進み、近い将来には井の頭線は1000系で統一されることになりそうである。
【撮影:佐野次郎 2009.7.19明大前駅】

2009/07/18

鉄道博物館7101号

 1880年に開業した北海道の幌内鉄道で使用するため、北海道開拓使がアメリカから輸入した2両の蒸気機関車のうちの1両である。この7101号が「弁慶号」、僚機が「義経号」である。機関車に愛称をつけるのは珍しい。
 1906年に国有化されたあと、1924年まで使用された。イギリス生まれの1号機関車や1292号とは明らかにスタイルが異なり、西部劇に出てきそうな機関車である。
 1939年に大宮工場で復元工事を行ってから、鉄道博物館で保存展示された。神田では1292号と並んで展示されていた。
 私は神田にあった交通博物館が大宮に移って鉄道博物館になるのはなぜかと考えたが、所蔵されている車両の一部が大宮工場で保管されたり、復元されたりしているので浅からぬ因縁があったのだ。
【撮影:佐野次郎 2008.12.15】

鉄道博物館1292号

 日本で最初の私鉄は、1881年に設立された日本鉄道で現在の高崎線、東北本線を建設した。1292号機関車は1873年にイギリスのマニング・ワードル社で製造され、1882年から日本鉄道の建設工事に使用された。当時は甲1号機関車と称していた。
 日本鉄道は1906年に鉄道国有化法により国鉄に編入され、この機関車も1909年に甲1号から1292号車となった。
 この機関車は、荒川の水運を利用して、埼玉県川口の善光寺付近で陸揚げしたので「善光号」と呼ばれている。
 1942年から神田の鉄道(交通)博物館で展示されていた。1号機関車は本館に展示されていたが、「善光号」の展示スペースは売店などを通る通路の先にあったのを覚えている。後ろには地下鉄1000号もあったが、これは営団が地下鉄博物館を作るときに引き取られた。
【撮影:佐野次郎 2008.12.15】

鉄道博物館1号機関車

 1872(明治5)年に新橋ー横浜間で開業したのが、日本における初の鉄道による営業運転である。現在の東海道本線の一部に相当する。
 1号機関車は営業列車を牽引した10両の機関車の中の1台である。イギリスのバルカン・ファウンドリー社で製造されたもので、1909の年形式称号改正により、150形機関車の150号機となった。
 1880年に京阪神地区に転用されたあと、武豊線、横須賀線、大阪駅での入換に使用され、1911年には国鉄では廃車となり、島原鉄道に転じた。
 1930年には国鉄に返却され、1936年から神田の鉄道博物館(のちの交通博物館)で展示された。私も交通博物館で何回かこの機関車を見た。100年以上前に製造された鉄道車両が常時公開されているのは、凄いことだと思う。
【撮影:佐野次郎 2008.12.15】

2009/07/12

根岸競馬場

 横浜の根岸には、戦前に競馬場があった。現在のように競馬が大衆化していなかった時代の話である。
 その競馬場跡は戦後根岸森林公園となり、市民の憩いの場、レクリエーションの場として親しまれている。
 旧競馬場の観覧席の跡は、ずっと残っていた。しかし、米軍の管理下に置かれ、長い間姿は見えるが近づくことはできないという状態が続いていた。
 近年になり、米軍が管理する区域の見直しが行われ、根岸森林公園も拡張された。こうして今では観覧席跡に近づくことができるようになった。長年放置されながら直立する姿に見る人それぞれが何かを感じることだろう。

183系

 国鉄末期には、限られた予算の中で車両の新製を抑制するため、車両の改造が盛んに実施され、系列間の改造や中間車の先頭車化改造などが盛んに行われた。
  写真の183系は波動輸送用として大宮総合車両センターに配置されているもので、写真の先頭車は485系特急型電車の中間車を改造したものだ。
 JR東日本では、209系や253系など平成生まれの車両でさえ、置き換えの俎上にあがってしまうが、財政難の国鉄ではパッチワークのように車両をやりくりしていたのである。
 昨今の不景気による旅客収入の減少により、JR東日本でも設備投資の見直しを図ることになるだろう。その中で意外な車両の転用が見られるかもしれない。
【撮影:佐野次郎 2009.7.12大船駅】

189系

 189系特急型電車は1975年に信越本線の特急「あさま」用に新製された。183系1000番台に、碓氷峠を通るためにEF63形電気機関車と協調運転を行う設備を付加した形式である。
 特急「あさま」は1997年に長野新幹線が開通するまで、上野ー長野間を結んで活躍した。1990年頃から塗装を変更して、内装をグレードアップした編成も登場した。またJR化後の一時期には横浜線経由で中央本線と横浜を結ぶ特急「はまかいじ」として、根岸線の磯子まで乗り入れていた。
 長野新幹線の開業後は、直接廃車されたり、183系の老朽置き換え用として転配属が実施された。
 写真の編成は田町車両センターに波動輸送用として配属されているもので、183系1000番台も含めて6両編成を構成している。平日の朝のラッシュ時には、田町車両センターに留置されていることが多い。私も通勤途中によく京浜東北線の車中から見かける。
【撮影:佐野次郎 2009.7.12大船駅】

185系

 185系特急型電車は、1980年から東海道本線を走り続けている。車齢はすでに30年近くなり、いつ置き換えられても不思議はないが、いまだに新車投入の予定はない。
 塗装は製造当初のグリーンのストライプから湘南色をモチーフとしたものになり、腰掛も転換クロスシートからリクライニング式に取り換えられた。
 しかしいまとなっては、国鉄特急のシンボルであった「特急マーク」と「絵入りヘッドマーク」を現在に伝える貴重な存在となっている。
 東海道線で運用されている車両の中では、数少ない国鉄形車両として当面は活躍する姿を見ることができるだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.7.12大船駅】

2009/07/10

EF210形

 私が幼少のころ、横浜駅のいまの横須賀線ホームのあたりはまだ貨物線であって、銀色の貨車を連ねた列車が走りぬけていた記憶がある。その頃の東海道線の電車にはスカ色の車両も混じっていた。
 昭和50年代には東海道線の貨物新線が開通し、従来の貨物線は横須賀線に転用され、現在の運行形態ができあがった。
 大船駅の東海道線上りホームからは貨物線が撮影できる。私は中学生の頃この場所でEF65形などを撮影した。
 土日はあまり列車が走らないようだが、 EF210形が牽引するコンテナ列車がやってきた。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5大船駅】

2009/07/05

湘南モノレール5000形

 江ノ島に向かうには、江ノ島電鉄、小田急江ノ島線、湘南モノレールの3ルートがある。私は乗っていて、一番楽しいのは湘南モノレールだと思っている。
 湘南モノレールは、大船ー湘南江ノ島間を結ぶ路線で、首都圏では東京モノレールと並ぶ老舗の路線である。
 軌道の上を走る東京モノレールとは違い、懸垂式と呼ばれる方式を採用している。千葉モノレールも同じ方式を採用している。
 実際の速度以上にスピード感があり、勾配を潜り抜ける快感がある。また改札業務をもこなす添乗の車掌のきびきびした姿も気持ちいい。私は大船から横須賀線で鎌倉に出て、江ノ電で江の島に行き、湘南モノレールで大船に戻るのがお気に入りである。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5大船駅】

江ノ電新500形〈502+552〉

 江ノ電の最新形式は2006年に導入された新500形である。旧500系の丸みを帯びたデザインを現代化した車両である。
 江ノ電の車両では初めてVVVFインバーター制御を採用し、側扉も両開きとなっている。台車や駆動装置は300形のものを再利用している。
 引退した車両のイメージを、新しい車両に投影するという手法はかなり珍しいものだと思う。私は他に例をしらない。
 シングルアーム式のパンタグラフやLEDの行先表示など、標準的なデバイスを備えながら、江ノ電伝統のツートンカラーが実によく似合っている。素晴らしい電車だと私は思う。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5腰越ー江ノ島間】

江ノ電10形〈10+50〉

 江ノ島電鉄の腰越ー江ノ島間は、併用軌道区間となっている。道路を電車と自動車で共用するわけである。
 間近でみると電車が自動車より大きいことがよくわかる。また車掌が顔を出し、安全確保に注意していることがうかがえる。
 写真の10形は平成生まれの新しい電車だが、レトロ調のスタイルを採用している。東京都電や熊本市電にもレトロ調の新造車が在籍している。
 首都圏に気軽に路面電車の雰囲気を味わえる路線が現役で存続しているのは、やはりうれしいことである。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5腰越ー江ノ島間】

江ノ電2000形〈2002+2052〉

 江ノ電では、1979年から87年まで1000系列の車両を増備してきたが、1990年に登場した2000系ではデザインを一新した。電気機器は1500形を基本としているが、前面のデザインは大型窓を採用したスマートなものになり、側窓も大きくなっている。
 また車端部にはクロスシートも設けられている。運転台に近接してクロスシートが設けてあるため、前面眺望を愉しむこともできるわけである。
 しかし側扉は片開きであり、制御方式も抵抗制御であるから、現代の感覚では技術的に一世代前の電車ではある。
 2000形も早いもので、既に20年近く走っていることになる。私自身の記憶の中では、300形や500形といった旧式の連節車が走る路線のような気がしているが、それからずいぶんと時間が経っているのだ。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5腰越ー江ノ島間】

江ノ電1000形〈1201+1251〉

 2009年現在の鎌倉といえば、観光名所であると同時に高級住宅地として位置づけられているものだと私は思う。
 JR横須賀線のグリーン車を通勤に利用し、買物は鎌倉駅近くの紀伊国屋を愛用などという人たちが確かに存在しているように感じている、
 近年は、湘南新宿ラインの運転によりさらに利便性が増しているのだろう。
 今から900年前には何と鎌倉は政治都市であったのだ。あの狭い鎌倉の地で、元寇にいかに対応するかという意志決定が行われていたのだ。今ではやはり想像が難しい。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5腰越ー江ノ島間】

江ノ電1500形〈1501+1551〉

 江ノ島電鉄は1979(昭和54)年製の1000形から新製車両の投入を始めたが、カルダン駆動を採用した車両は1986(昭和61)年製の1500形が最初である。
 1500形も当初はクリーム色に赤帯という、従来の江ノ電の車両とは一線を画した新しい装いで営業運転を開始した。 その後は、緑色を基調とした塗装に変更された。
 その後は、2000形、10形、20形と新型車両が増備され、1500系が新しい車両だという印象も薄れていったように思う。
 最近になり1編成が新製当初の塗装に復元された。1000系列も既に30年江ノ電を走っていることになる。1500形の当初の塗装もあえてそうしたものだったのだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5腰越ー江ノ島間】

江ノ電1000形〈1002+1052〉

 江ノ島電鉄は鎌倉ー藤沢間を結ぶ路線である。全線が単線の観光路線である。土日や祝日にはかなり混雑する。
 小型の電車が海岸線沿いに走り、趣の深い路線である。
 1000形は、1979年(昭和54年)に江ノ電としては久々の新造車両としてデビューした。
 現在では、塗装の緑色の部分が濃くなっているが、1000形には、よく似合っているように思う。
【撮影:佐野次郎 2009.7.5腰越ー江ノ島間】