2009/06/27

209系0番台(ウラ69編成)

 京浜東北・根岸線では、E233系1000番台の新製により、209系の代替が進んでいる。代替は急速に進み、3月のダイヤ改正時点で半数が置き換わったものと記憶している。
 6月の段階では、既に209系の稼働編成は30本代まで減少しているようである。私もほぼ毎日京浜東北・根岸線を利用するが、E233系1000番台が来ることが多い。
 90年代生まれの209系を廃車するのはもったいない気がしていたが、一部の車両は改造を施して南武線や房総各線に転用される。
 209系はしばらくすると京浜東北・根岸線ではさらに数を減らして、撮影も難しくなってくるだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.6.27山手駅】

横浜市営地下鉄3000S形

 横浜市営地下鉄ブルーラインは2007年10月にワンマン運転を行うようになった。1985年3月の新横浜延長開業を契機に新製された2000系は、3000S形に一部機器を譲って現役を退くことになった。
 3000S 形は3000形としては4次車に相当する。台車や補助電源装置などを2000系から再利用している。
 それにしても上永谷駅は撮影がしにくくなったものだ。ホームドアは仕方がないとしても、上下線間のポールはいったい何なのだろうか?
 なかなか整備が進まなかった横浜市営地下鉄もグリーンラインの開業により、ようやく路線延長に限っていえば市電の最盛期に匹敵する路線網を形成することができた。
【撮影:佐野次郎 2009.6.20上永谷駅】

横浜市営地下鉄3000R形(3401F)

 横浜市営地下鉄ブルーラインは、あざみ野ー湘南台間40.4kmを結ぶ路線である。相互乗り入れを行っていない地下鉄路線としては異例な長距離を走る路線である。全線を乗りとおす乗客もごく少数にとどまるものと思われる。  ブルーラインの車両は、現在では3000系に統一されている。増備が長期間に及んでいるため、同一系列ではあるが4種類のバリエーションが存在する。  写真の3406以下6両編成は、2004年から2005年にかけて増備された3000R形と呼ばれるグループである。開業以来の1000系の代替を目的として導入されたもので、3000形としては3次タイプに相当する。  1000系が当時としては斬新なスタイルであったため、新型の3000形からはそれほど新しさというものは感じられない。
【撮影:佐野次郎 2009.6.20上永谷駅】

2009/06/21

横浜市電523号

 横浜にも昭和47年まで路面電車が走っていた。横浜市電としては最大の車両基地であった滝頭車庫跡に昭和48年に横浜市電保存館が設けられ、実際に走っていた車両が保存されている。
 滝頭といえば、昭和を代表する歌手である美空ひばりの出身地として知られている。現在でも市バスの車庫が設けられているが、地下鉄は通らない。
 写真の500形は関東大震災からの復興を目的として一挙に60両が製造された単車である。横浜市電は大都市の路面電車としては、遅くまで単車を使用していたことで有名である。500形も昭和44年まで活躍した。
 横浜市電保存館は、JR根岸線の根岸駅から市バスで約10分程の距離にある。入場料は大人でも100円と格安である。横浜市在住の若い家族には、遠くて混んでいる鉄道博物館よりもよほど手軽で満足感を得られる施設のように私は思う。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13横浜市電保存館】

横浜市電1007号

 横浜市電1000形は、500形と同時期に20両が製造された大型の電車である。モーターの出力が小さいため、平坦路線を主な活躍の場としていた。
 現役を退いた姿で横浜市電保存館に収蔵されている。この塗装は、現代の横浜市営バスにも継承されている。
 聞くところによると昨今の不景気を反映して、道路の交通量が減少し、路線バスもほぼ定時運転ができるようになっているらしい。そのため東京都などでも路線バスの乗客が増えているそうだ。
 1000形は昭和45年には現役を退いている。それでも40年近く使用されたわけである。現代の市バスでは考えられない長期にわたる就役である。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13横浜市電保存館】

横浜市電1104号

 横浜市電1100形は昭和11年に5両が製造された。現代でも京浜急行の快速特急の一部で見られるようなクロスシートを採用し、「ロマンスカー」などと呼ばれた。ほぼ同時期に神戸市電700形もクロスシートを採用して新製されている。東西の港町で同じような電車ができるということは単なる偶然といってしまえばそれまでだが、何らかの風潮を反映しているようにも思われる。
 2009年現在の日本でも、ひと握りの富裕層に富が集中し、中流層が徐々に消失しつつある。非正規労働の是非は別としたとしても、勤労に見合った所得が得られない層が増加しているのであれば、個人消費が伸びないのは当然だろう。しかし、東京には流行っている店もあれば、東海道線のグリーン車などは連日通勤客で満席である。
 長嶋茂雄や村山実が生まれた昭和11年もそんな時代であったのではないか。当時の日本は競争も激しく、階級が強く意識された社会であったと言われている。華やかな1100形も10両の旧型車を5両で代替したわけだから、リストラ形の新製であったといえる。
 とまれ、1100形は戦後にロングシート化され、さらにワンマンカーにも改造され、昭和47年の横浜市電全廃まで活躍した。1500形などに比べると古さは否めず、ワンマンカー表示やバックミラーを装備した姿にも、無理して長期間使用した感じは否めない。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13横浜市電保存館】

横浜市電1311号

 1300形は昭和22年に終戦直後の輸送力確保を目的として30両が製造されたものである。限られた資材でなるべく多くの車両を作るために、運輸省による標準設計に基づいて製造された。そのため大阪市電1700形や西日本鉄道北九州線500形などの同系車が存在した。
 1300形は全長13メートル、3扉の大型車両である。路線バスより一回り大きいサイズである。このような電車が道路の真ん中を走っていることは、私の感覚では想像ができない。残された写真により、その雄姿を偲ぶのみである。野毛の坂道を走る姿、打越のガード橋をくぐる姿、そして伊勢佐木町を通過する姿、できれば実際に走るところを見てみたかった。
 また1300形は横浜市電では最後まで車掌が乗務していた車両である。現代では、路面電車より遙かに輸送力が大きい地下鉄でさえもワンマン運転を行う路線が増えてきている。
 1300形は、昭和46年に横浜駅前ー山元町間を結ぶ3系統が廃止されるまで活躍した。山元町の終点あとには平成の世に至るまで市バスの定期券売り場が残り、市電の終点の痕跡をわずかに残していた。また山元町は現在も個人商店が多く残り、昭和を感じさせる商店街であり続けている。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13横浜市電保存館】

2009/06/20

横浜市電1510号

 横浜市電1500形は、昭和26年に20両が製造されたもので当時の最新技術を取り入れて、静かで乗り心地がよい上に強力なモーターを持つ電車に仕上がっている。
 東京都電5000形や名古屋市電2000形、大阪市電3000形などの「和製PCCカー」と呼ばれた当時としては高性能の路面電車と同じ系譜に列なる電車である。
 1500形のあとに、1150形というモーターの数を減らした廉価版が22両登場し、横浜市電の顔として市電全廃まで活躍した。
 本牧地区の路線でもかなり活躍していたようである。麦田町付近の理髪店、クリーニング店などの店先に市電の写真が張り出してあるが、1500形がしっかりと映っている。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13横浜市電保存館】

横浜市電10号

 横浜市電保存館の保存車両で一番奥に保存されているのが、無蓋貨車10号である。横浜市電保存館では7両の車両が保存されているが、路面電車の博物館としては国内で最多の両数である。
 横浜市電の路線の総延長は、最盛期でも約50kmであるから東京都電、名古屋市電、京都市電、大阪市電よりも短い。しかしこれらの都市には、これだけ大規模の路面電車の展示施設はない。
 10号貨車はレールの輸送など事業用車両として使用されていたようだが、明治時代には現在の北方小学校付近(横浜市中区北方町)にキリンビールの前進となったビール工場があり、市電の貨物電車を使用してビールを運んでいたそうである。
 10号貨車は横浜市電の全廃に際して、花電車として使用された。路面電車を走らせ続けるのは難しかったと思うが、これだけの規模の保存施設をよく整備できたものだと思う。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13横浜市電保存館】

横浜市電1601号

 横浜市電1600形は、横浜市電では最後の新製車両で、昭和32年に滝頭工場で6両が製作されたものである。市電保存館は滝頭車庫跡にあるわけであるから、製造された場所で新製から50年以上たった今も保存されているわけである。
 横浜市電では、唯一乗降用の扉に4枚折戸を採用している。4枚折戸の採用例は非常に珍しく、他には東京都電2500形や京都市電700形くらいしか思い浮かばない。また工作を容易にするため一部にバス用の部品を採用している。窓の上部がHゴムで固定されているのもそうだが、これは同時期に新製された国鉄のキハ10系気動車にも見出すことができる。
 市電保存館の開設当初は、クリーム色に青帯という現役最終時の塗装で保存されていたが、昭和58年に現在の建物に移ってからは、新製当初と同じ塗装に変更されている。
 最新の車両ではあったが、横浜市電の全廃に先立ち昭和45年に廃車された。中扉を降車用にすると、後輪で降車した乗客を轢く危険性があるため、ワンマンカーに改造することができなかったためである。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13横浜市電保存館】

2009/06/13

東上線50070系〈51071F〉

 早いもので副都心線が開業してから1年がたつ。渋谷・新宿・池袋という三大主要駅を擁するため客足の伸びも予想を遙かに越えるという。また定期外の利用客が多いということは、埼玉県から買い物に出る人が増えているのだろう。副都心線の急行に乗ると確かに地下鉄とは思えないほど速い。そのうえ空いている。買い物客も増えるわけである。
 東武鉄道が副都心線開業に備えて増備した最新型車両が50070系である。50000系を基本に、副都心線・有楽町線乗り入れに対応した車両で2007年度に第一陣が登場した。
 軽量アルミ車体に、IGBT素子を使用したVVVFインバーター制御を採用している。近年の通勤電車としては、一定以上の水準に達しているものと思われる。
 2007年度末現在で、50070系は40両が在籍している。 2012年に副都心線が東急東横線に直通するころには大きな動きがあると思う。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13和光市駅】

東上線50000系〈51002F〉

 「人と環境にやさしい次世代型車両」を設計コンセプトとして、2004年に50000系が東上線に投入された。
 50000系は、東武鉄道の通勤形車両としてははじめてアルミ合金製の車体を採用している。車体を軽量化することにより消費電力を軽減することや、アルミ材質を極力共通化してリサイクル性を向上するなど環境負荷の低減に意を用いた電車である。
 8000系に代わる車両として大いに期待されたが、50000系は2007年度末現在でわずか20両が在籍するにとどまっている。
 有楽町線・副都心線乗り入れ用50070系や、「TJライナー」用50090系が実質的な増備車両ということになっているのだろう。
【撮影:佐野次郎 2009.6.13下赤塚駅】

東上線10030系〈11643F〉

 10030系は、1988年に10000系の後継車両として第一陣が投入された。東上線の地上線でもっともよく走っている電車である。
 10000系と同様、軽量ステンレス製の車体に界磁チョッパ制御を採用しているが、ステンレス車体製作の技術の進歩により、よりすっきりとしたスタイルの電車になっている。また台車も当時主流となっていたボルスタレス車体を採用している。
 また同時期にVVVFインバーター制御を取り入れた10080系も導入されている。
 2007年度末現在で、10030系は364両、10080系は4両が在籍している。東武鉄道では、8000系に次ぐ勢力を保っている。

【撮影:佐野次郎 2009.8.16志木駅】

東上線10000系〈11006F〉

 8000系を長らく増備していた東武鉄道がようやく1983年に投入したステンレス車体の通勤電車が、この10000系である。
 お世辞にもスマートとはいえないスタイルの電車である。何か東国武士的というか、質実剛健というか無骨なほうへ連想のはたらく電車である。
 8000系の増備が長く、新しい電車だと思っていた10000系も新製から既に20年以上を経過し、更新修繕も行われている。 写真の編成については、パンタグラフこそシングルアーム式に換装されているが、行先表示は幕式のままとなっている。
 10000系は2007年度末現在で、118両が在籍している。地上線専用の車両であり、地下鉄には入らない。
【撮影:佐野次郎 2009.8.16志木駅】

2009/06/08

りんかい線70-000形

 埼京線は、新木場ー大崎間を結ぶ東京臨海高速鉄道りんかい線と相互乗り入れを行っている。1996年のりんかい線新木場ー東京テレポート間の部分開業にあわせて新製されたのが、70-000形である。  70-000形はJR東日本に車両検修を委託している関係で、当時の最新型であった209系を基本に設計されている。性能・車体構造とも209系そのものといっていいが、前面デザインがオリジナルであるほか、客室に関しては寒々とした209系とは似ても似つかぬ温かみのあるものとなっている。  りんかい線は2001年3月に天王洲アイルまで延長されてから、2002年12月に大崎まで開業して、全線開業となった。70-000形も増備され、総勢80両となった。  りんかい線は、新木場で京葉線に接続するほか、大井町で京浜東北線に接続する。JR東日本の路線として運営されたら、通勤客を中心にさらに利用されるように思う。
【撮影:佐野次郎 2009.6.7恵比寿駅】

2009/06/03

東海道新幹線700系

 東海道新幹線における最多勢力が700系である。最もよく見かける車両であるし、私が最近東海道新幹線を利用した際にも、ほとんどが700系がやってきた。
 700系は1997年度に量産先行車が投入され、1999年度から量産車が登場した。300系との共通運用が可能となり、本系列の投入により0系・100系といった旧式車両が淘汰され、東海道新幹線は270km/h運転ができる形式で統一された。
 私も0系の時代から新幹線を利用しているが、「のぞみ」の登場で本当に新幹線は速くなったと感じる。なにしろ横浜から京都に早く行くのには、昔は東京までわざわざ「ひかり」に乗りに行く必要があったのである。いまでは新横浜から京都までわずか2時間で行くことができる。
 700系は2007年度末現在で、JR東海に960両、JR西日本に368両(「ひかりレールスター用7000番台」を含む)が在籍している。

【撮影:佐野次郎 2009.5.31東京ー品川間】

2009/06/02

東海道新幹線N700系

 N700系は、東海道・山陽新幹線の最新型車両で、2004年度に量産先行車が投入されてから、2007年度には、JR東海が16両編成を16本、JR西日本が同8本を一気に投入した。
 車体傾斜システムなど、さまざまな最新技術が取り入れられ、速度の向上や快適性の向上をはかっている。また省エネルギー化にも配慮を行っている。
 「のぞみ」として走る新幹線も、300系、500系、700系に続いてN700系で4形式目となる。食堂車まであった0系「ひかり」とは隔世の感がある。
 N700系は、2011年度までに計96編成が揃う計画になっている。また山陽新幹線・九州新幹線直通列車にも本系列をベースにした車両が使用される。
【撮影:佐野次郎 2009.5.31東京ー品川間】