2009/04/26

大井町線8090系(8091F)

 1980年代の東急を代表する電車がこの8090系である。形式名からわかるとおり、8000系と同じ機構だが、軽量ステンレス車体を採用している。側面のコルゲートが少なくなっていて、従来のステンレス車体より進んだものであることがわかる。
 当初は東横線の急行専用に運用されており、保育社のカラーブックス「東急」でも表紙になっていた。
 みなとみらい線の開通をにらんで、昭和63年頃から先頭車を貫通式の8590系に差し替え、残りの車両は大井町線で走るようになった。
 写真のトップナンバーの車両は1980年の製造であるから、すでに約30年走っていることになる。
【撮影:佐野次郎 2009.4.26荏原町駅】

2009/04/25

24系ロビーカー

 ブルートレインが東京駅に入らなくなってから、早いもので一か月以上が過ぎてしまった。
 写真の客車は、1985年3月のダイヤ改正で鳴り物入りで登場した「ロビーカー」である。余剰となっていた食堂車を改造したもので、ホテルのロビーよろしくソファが並んでいるという代物であった。
  
 またかつては当たり前の光景であった品川駅構内での入換作業も過去のものとなってしまった。
 東北縦貫線が開通したら、品川駅周辺の姿もまた大きく変わることであろう。

2009/04/19

梅小路蒸気機関車館C622


  梅小路蒸気機関車館の良いところは、扇型の機関庫がそのまま残っているところ、そして何よりも蒸気機関車が実際に「動く」ことである。
 そのあまりの迫力に見物に来た幼児が泣くこともしばしばあるということだ。
 蒸気機関車とういうものは、何といっても力強い。C62形はその最たるものだ。効率が悪かろうが何だろうが、人を魅了するものがある。
 小生が初めて梅小路を訪れたのは、30年以上前のことだ。確かに「動く」蒸気機関車は少し怖かった。当時はまだ新幹線にビュフェもあれば、京都市電も現役だった。
 また当時はc11やC55など今では火を落としてしまったカマたちも有火状態だったのである。

鉄道博物館C57135

鉄道博物館の所蔵車両を代表するのが、このC57形135号機である。館内の中央に設置されたターンテーブル上に鎮座している。
 コンディションは保存蒸気の中でも最高レベルにあるではなかろうか。
 小生としては神田の交通博物館で見慣れたこのカマが大宮にあるのは、少し不思議な気がしている。ところで、交通博物館で1号機関車の背後に掲げられていたおびただしい数のナンバープレートはいったいどこへいったのだろうか?  

鉄道博物館C515

小生は人気の鉄道博物館を2度訪問したが、規模も展示内容もやはりすばらしいものであった。
 都心にあった交通博物館では、このような運営はとてもではないが、不可能だったであろう。
 このC51形は、青梅鉄道公園で展示していた5号機を移したものである。何といっても大正時代を代表する機関車であるから、屋内で展示するのが望ましいと思う。
 鉄道博物館には今後の拡張を望みたいところである。D51形蒸気機関車や583系寝台特急電車などを展示してほしい。

梅小路蒸気機関車館C612

 京都にある梅小路蒸気機関車館には、国鉄の蒸気機関車のほとんどの形式が保存されている。
 C61形はD51形のボイラーを利用して、旅客用にした形式で、東北や九州方面で活躍し、20系客車も牽引したことがある。
 小生は巨大なC62形よりも、中庸というか抑制された美を感じさせるこの形式のほうが好みである。
 これだけの機関車群を後世に残した国鉄の決断はなまなかなものではないといえる。

2009/04/05

113系


 今や銀色の電車ばかりになってしまった東海道線だが、小生にとっては湘南色の113系こそ東海道線の代表選手である。
 それも写真のような前照灯の大きい古い車両がお気に入りであった。新技術をどんどん取り入れる民鉄の車両を尻目に、コイルバネの台車の車両を作り続け、朝のラッシュ時には地獄絵に近いまさに「痛勤」。通勤で骨折したとか何とか、そんな話しを聞くのもこの路線くらいだ。
 国鉄からJRになって車両は良くなったが、混み具合は相変わらずだ。時間が少し余計にかかっても小生は京浜東北線を利用しよう。こちらもけっこう混んでますがね。

485系

 小生が通勤に利用している京葉線では、団体臨時列車に489系ボンネット車が入るということになれば、たいへんな騒ぎとなる。
 小生にとっては、通勤の一経路に過ぎない舞浜駅のホームにも、カメラの砲列が並ぶことになる。話しには聞いていたが、ほんとに脚立を使って撮影する人っているんだな。
 先日の「富士・はやぶさ」廃止でも思ったことだが、誰もが注目するものなど、マスメディアに任せておけばいいのだ。わざわざ出向かなくても、マスメディアが速報を、そして鉄道誌が詳細なレポートを提供してくれる。
 収入に見合った範囲内の機材費・交通費で普通に撮影できるものを、背伸びすることなく撮っていくのがいいのだ。それが蓄積したときには、すごい財産になっているはずだ。
 写真の赤いスカートの485系電車は、高校生の頃、父からカメラを借りて上野駅に撮りに行ったものだ。人を押しのけるまでもなく、普通にホームに立ってシャッターを切ったはずだ。今ではそれが再現できない貴重な記録になっている。

EF62形












今から24年前、新子安駅のホームでカメラを構えていると、EF62形電気機関車を先頭にして、スロ81系お座敷列車がやってきた。
 EF62形はもともと信越本線用の機関車であったが、1984年2月のダイヤ改正から、荷物列車牽引用のEF 58形の代替として、約半数が下関運転所に転じて来ていたのだ。
 荷物列車の運用の間合いを利用して、団体臨時列車の牽引を行っていたものと推察される。
 勾配路線用のEF62形にとって、東海道・山陽本線の荷物列車のような長距離運用は無理があったともいわれている。1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正では、荷物列車そのものが廃止され、EF62形の東海道・山陽本線での活躍も短期間で終わってしまった。

2009/04/04

横浜市営バス101系統

 地下鉄のない本牧地区の主な交通機関といえば、横浜市営バスである。
 主要な運転系統のいくつかは、市電のルートを代替するものである。
 この101系統は、保土ヶ谷車庫と根岸駅前を結ぶもので、旧市電5系統の代替バスである。
 横浜駅西口方面への行き帰りには、意外と便利である。また利用していると、和田山口から根岸方面に向けてかなり乗ってくる。
 桜並木と市バスの組み合わせも悪くはない。

横浜市電1205号

  かつては横浜市の中心部を縦横に走っていた横浜市電ですが、その存在の痕跡を示すものはほとんど残っておりません。
 本牧市民公園には、D51蒸気機関車のうしろに横浜市電1205号が保存されていました。1200形は市電保存館にも保存されていない形式でした。
 写真を撮影したのは1989年頃ですが、1205号の痛みは相当激しくなっていました。
 90年代の初めには撤去されてしまい、市電のあった場所には横浜機関区から移設されたターンテーブルが保存されています。
【撮影:佐野次郎 1989年頃】

東京都電荒川線7000形〈7023号〉

 荒川線の恒久的存続が決定し、ワンマン化を図ることになり、7000形は車体を載せ替えた。
 今にしてみれば、停留所にスロープを設けて、電車の段差をなくしたことは先進的であったと思う。
 昭和50年代初めに行われた車体更新だが、塗装変更や更新修繕を経た現在でもそれほど古さは感じない。
 しかし台車は旧型だし、走行音は釣り掛け式の旧型電車そのものである。
 それでも新型の8500形より、よほど頻繁に走っているように見受けられる。扱いやすいのだろうか?当面は元気で活躍する姿を見られることだろう。 
【撮影:佐野次郎 2009.4.3荒川車庫前】

2009/04/03

都電おもいで広場


 都電荒川線の荒川車庫の隣には、「都電おもいで広場」が設けられ、PCCカーこと5500形5501号と学園号こと7500形7504号が保存されている。
 屋外とはいえ屋根がつき、管理体制も整っているようである。飲料の自動販売機が都電と同じ塗装というのもご愛嬌だ。
 しかし、かつて東京中を走り回っていた都電の保存施設がこれだけいうのはいかがなものかとも思う。
 「都電博物館」なるものがあっても不思議でも何でもないと思う。両国にある江戸東京博物館の無駄な吹き抜けに作ってもらいたい。6000形・7000形・8000形など現存する廃車体をかき集めるのだ。
 いささか好き勝手なことを書いてしまったが、小規模ながら保存施設があること、そしてなによりも荒川線が営業運転を継続していることを素直に喜ぶべきだろう。

2009/04/01

東急東横線 桜木町駅


 かつては当たり前だと思っていた光景でも、過去のものとなることはよくある。 
 東急東横線の始発駅は長い間桜木町駅だった。小生も渋谷方面に向かうときには、始発の桜木町駅からゆっくり座っていくのを常としていた。
 昭和50年頃の桜木町駅といえば、現在バスターミナルとなっているあたりが貨物駅であり。海側には三菱の造船所があった。国電のホームには、海からの風がもろに吹きつけ。やたらに寒かった。
 そのころの東横線には青カエルこと5000系もまだ走っていたような記憶がある。
 写真の撮影は2003年である。当時はまだ原型に近い8000系も走っていたのである。既に東横線の桜木町駅も8000系も過去のものとなった。現在ではみなとみらい線がかつての東横線より海側の地下を走り、元町・中華街駅まで乗り入れている。